第9章 神降ろし2
『神降ろしの儀式をしましょう』
記憶を失う前に言っていた、禍津姫の言葉が鮮明に過る。
それはもしかしなくとも、〝日暮れん〟を供物にして〝日暮こう〟を喚び起こそうとしているに他ならない。その事実に、ゾッと背筋を冷たいモノが奔る。
紅い組紐は首、右手首、左手首、右足首、左足首とまるで身体を五等分にするための徴のように括り付けられている。
(せめて、声が出せたら……)
助けを呼べるだろうか。
そんなことを考えて、ふっと自嘲の笑みが漏れた。
(助けを求める……? あの時、助けられずに見捨てて兄様を隠し神にした僕が……?)
そう、だ。今の今まで日暮家で生かされていたのは他でもない。
次期当主である日暮こうを捜すことが目的に他ならない。
なら、隠し神である兄が〝こちら側〟に戻ってくれば僕は用無しになるだろう。
都合よく記憶までなくして、今までのうのうと生きてきたのが間違いだった。
(これで良かったんだ)
初めから僕が隠し神になっていれば、全てが丸く収まっていただろう。
兄は多くの人々から望まれ、僕は隠し神として殺される。
本来在るべき現実が訪れ、安寧が生まれるだけだ。
それの何が悪いことだろう。だけれど――、
(せめて……皆にはお別れを言いたかったな……)
瞼を閉じた裏に浮かぶのは、学園で知り合った仲間と先生達だ。
屋敷にいた時より、誰よりも優しく僕を迎えてくれた。
兄捜しをしていると打ち明けた時も、〝開花〟ができないと打ち明けた時ですらも拒絶するどころか仲間として受け入れ認めてくれた程だ。
そんな人達と別れること、それだけが心残りだと思った。
シャラン……。
五度目の鈴の音が響く。
すると傍らにいた雑面の一人が懐から一本の小刀を取り出した。ヌラリと光る刀身は切れ味が良さそうで、それが自分に向けられるのだと覚悟した。その矢先のことだった。
「…………!」
薄氷の欠片が空気に混ざったのが嫌でも分かるほど、肌を貫く異物感。
気温が一気に下がったのか吐く空気が白いものに移ろい、ゾワリとした空気に次第に異臭が混じっていく。
あまりの薄ら寒さに周囲に視線を巡らせると、
(な、に……これ)
何故なら黄昏色の空間はいつの間にか、墨を流し混んだかのようにドロリとした闇色に染まっていたからだ。そして、今まで感じていた鉄錆の臭いとは比べ物にならないほどの血臭が鼻腔を突いた。
(う、え……っ)
臓腑の奥から湧き上がる吐き気に眉を寄せながら吐き気を堪えていると、突如ソレは聞こえてきた。
『銘は幽冥、名は冥染』
『今、汝の力を此処に解放せん』
退禍刀を呼び起こす呪文。
それは耳にしたことのない日暮家の銘を宿した退禍刀。
(誰……?)
直後、視線の端に何かが過った。
一閃された煌めき――それは黒い刃に似ていた。
刹那、僕を囲っていた五人の雑面達の悲鳴が轟く。
一人目は首が飛び、二人目は右腕が、三人目は左腕が、四人目は右脚が、そして五人目は左脚が無残にも斬り飛ばされていた。
赤い、紅い、朱い――血潮の色が身体にかかる。ヌルリとしたその感触を気持ち悪いと思う間もなく、僕の四肢を拘束していた組紐は、いつの間にか千切れ自由になっていた。
「なにが、起こって……」
いつの間にか声が出せることの驚き。そしてゆっくりと身を起こした刹那、
「呪い還しだよ」
僕の疑問に対して答えを教える人物がいた。
墨のような靄の中から姿を現したその人物は、淡々とした口調でその言葉を口にした。
いつの間にか僕の傍らに立っていたその人物は、記憶の中にある姿とは大きく異なっていた。
冷たい眼差し。抑揚のない声。そして笑顔とはほど遠い暗い表情。
それは本当に僕の捜し求めていた人物なのかと、一瞬逡巡する。




