第7章 禍津姫6
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初めてソレを目にした時、抱いた感情は恐れだった。
背筋の芯までが凍り付きそうなほどの、人ならざるもの特有の造形物。
まるで白雪が人の形を模したような……白い装束に身を包んだ少女が、その紅い瞳が、まっすぐに此方を見据えていた。
そのあまりの美しさと気味の悪さに、鳥肌がたった。
「……っ!」
言いようのない悪寒に、気配に、周囲が変質しているのだと遅れて理解する。
その気配に気圧されないよう退禍刀を引き抜き構えようとしたその時だった。
一目で人外のモノだと判るソレの唇が、わずかに動く。
そして、そこから紡ぎ出された言葉に、目を見張る。
「こう……だって?」
どうしてソレが〝名前〟だと思ったのか。
自分自身の捜し人であるが故か――それとも、直感的な何かが働いたのか。
それは自分でも解らない。
ただ紡がれたその〝名前〟を反芻した。
「……。違う――似ているけれど、違う。こうじゃない」
数秒の、けれどとても長く感じる沈黙と静寂の後、再び開かれた唇。
だが今度は否定の言葉を口にした。
「こうって……まさか――」
「――禍津姫、そいつはこうじゃねぇ。こうの弟だ」
静寂の空間を切り裂くかのように割って入った声。
聞き覚えのあるその声の主は、禍津姫と呼ばれた少女の背後から突然姿を現した。
まるで禍津者が唐突に出現するかのように――。
「平夜、さん……」
「よう、れん。また逢ったな」
平夜さんは以前の時と同様、獰猛な獣のような笑みをその顔に浮かべた。
「……れ、れん君。この人達、は?」
震える声で、秋葉さんが問うてきた。
それもそうだ。二人は平夜さんのことを知らない。呪術市の時のことも、黄昏刻での出来事にしても、だ。事情をどこまで説明するべきか、頭の片隅で考えていたその時だった。
「……っ、は……あ」
苦しそうな声と同時に、傍らにいた夏生が地面に膝をついた。
胸元を抑えたまま、絶え絶えに呼吸をしている。けれどその視線は真っ直ぐに、平夜さんが〝禍津姫〟と呼んだ少女へと注がれている。
「夏生?」
「夏生君……!」
「嗚呼、見たところ混血か……そりゃあ、このお姫さんを前にしちゃ、辛いだろうよ」
それは労るような言葉とは裏腹に同情の色もなく、淡々と事実のみを述べた言葉だった。
「その混血のガキの中の血が騒いでるんだろうよ。かつての長を前にすりゃ、それも当然だ」
「それって……」
夏生が口にしていた混血児という事実。そこから推測するに目の前のこの少女は――禍津姫は、禍津者どもを統べるナニかだということだ。
(なんで、愛宕さんはそんなのと一緒にいるんだ……)
そんな疑問を余所に、
「愛宕」
再び禍津姫が言葉を発した。
「愛宕。こうの弟って、本当なの?」
「ああ。以前、あの野郎が口にしてたからな」
自慢の弟だ、と。ジロリと鋭い視線を此方に向けてくる平夜さん。
その言葉に、やはりと僕は胸がザワついた。
「平夜さん。やっぱり兄のことを識っていたんですね?」
「ああ。けど〝今〟は識らない。それは本当だ」
含みのある答え。それが僕の中に怒りの炎を灯すトリガーになった。
眉間に皺が寄る。それは正直な感情――苛立ちだ。純粋な怒りだ。
「秋葉さん、夏生と男の人を連れて後ろに下がってて」
【待て、れん。何をするつもりだ】
(決まってる。洗いざらい、この二人に吐いて貰う)
兄様について識っている情報を……〝今〟識っているところまで。
感情の炎は消えない。
それどころかそれに呼応するように、冥血と魂冥が脈打つのを掌越しに感じる。
「冥血――魂冥」
「ハッ、お姫さんにまで手ェ出されるワケにはいかねぇな」
それはまるで姫を護る剣士そのもの――平夜さんは少女を隠すように立ち塞がった。
「愛宕。今はそんなことをしている場合ではないでしょう」
「けど、アンタに手を出されちゃ困るンでね。それがあの野郎の頼みだ」
「その人を見つける為に、わざわざ〝あちら側〟から出てきたのでしょう」
異変を感じたから、と言う禍津姫は、平夜さんを引かせると此方に視線を向ける。
「こうの弟。今、貴方と争う気はないわ。私はあの人を見つけたいだけよ」
「あの人というのは、日暮こうのことですか」
「そうよ」
僕の問いに応える少女。
その瞳が、嘘偽りはないと告げている。
それでもチリチリと焦げ付くような感情の炎は治まりどころを識らない。
「貴女が連れ去ったんじゃないんですか」
当然の疑念だった。
禍津者どもを統べる存在が何故、兄を捜しているのか。
「違うわ。あの人は、私を巻き込まない為に行方をくらませているの」
巻き込まない為、その言葉が意味をすることを更に問い詰めたくなる。
けれど夏生の苦しそうな様子を思い出すと、ギリッと奥歯を噛み締めた。
だから、最低限のことだけ問うた。
「……生きて、いるんですね。兄は」
「ええ、生きてはいるわ。それは断言してあげましょう。私がこうして〝こちら側〟に来たのも、あの人の式神の気配を追ってきただけなのだから」
「…………」
「…………」
交わる黒と紅の視線。
やはり少女、禍津姫は嘘は言っていない。それは兄――日暮こうを見つけ出すという目的が一致しているのもあるだろう。
「――わかりました」
(冥血――魂冥、鎮まってくれ)
怒りの感情をなんとか抑制すると、大きく息を一つ吐き出す。
そして、今度は平夜さんへと視線を向ける。
そんな僕の怒る様子を、平夜さんはニヤニヤとした人の悪い笑みを浮かべたまま他人事のように呟く。
「おー、怖い怖い。れん、お前案外あの野郎と正反対なんだな」
「……。僕が学園に入った目的は、兄を捜すことですから。悠長なことはしてられないんですよ」
「落ち着けよ。急げば事をし損じる、そうあの野郎から教わらなかったか」
「それは……」
(リツから言われた言葉だ)
何時ぞやも、リツに咎められた。その事を思い出し思わず閉口すると、平夜さんはケラケラと腹を抱えて笑ってきた。
「素直なガキってのも、からかいがいがあるモンだなァ。まぁ、こうして出逢っちまったのも何かの縁だ。あの野郎に起こったことを今度は教えてやる。ただし、お前にだけだ」
ジロリと平夜さんの視線は僕を通り越し、夏生と秋葉さん、そしていつの間にか気を失っている青年の方へと向けられた。
「あの混血のガキにお姫さんの気は毒だ。着いてくるなら、お前だけ来い」
「れん君駄目です……! 危険です!」
「待て……れ、ん……」
平夜さんの言葉に、二人から制止の声が掛かった。
それもそうだろう。二人にとっては得体の知れない人物だ。着いていくこと自体、僕を陥れる為の罠であることも充分あり得る。
(リツ)
【……。止めても聞かんのじゃろう】
(うん、少しでも兄様の身に起きたことが知られるのなら、行くよ)
それは暴挙だろうか。無謀だろうか。或いは愚か者の所業だろうか。
きっと全てが当てはまるだろう。
たとえ、愚か者の烙印を押されたとしても僕の目的は変わらない。
「行きます」
「ククッ、本当に素直なガキだな。――お姫さん」
「ええ。……行きましょうか」
少女が空間に手を翳すと、黄昏刻と似た光が視界を覆う。
そして二人の仲間の声が、遠くに掻き消えた。




