第5章 舞士道と偽士道6
「――行きます……ッ」
ヒュッと呼吸を整え、風舞祈先輩の次の一撃が届く前に自ら前へと踏み込む。
そして風舞祈先輩めがけ、急所を狙った拳を放つ。
力加減はしている――それを先輩は予想通り容易く躱しては倍にして返してきた。
「ぐ……ッ」
「フフッ……!」
両腕を使い急所に当たる前にガードする。
風舞祈先輩の攻撃の重みに怯みそうになるのをグッと堪え、すぐに攻撃に転じようとしたその時だった。
「意外と粘りますね……それでは、これなら如何です?」
試すような、どこか軽い言葉。
そしてその直後放たれた蹴りに、僕は驚愕した。
「ッ……!」
それは迷いなく振るわれた下段からの一撃だった。
僕の意識を奪うに値するモノだと瞬時に判断できたのは、まがりなりにも偽士道の鍛錬を積んでいた賜物だったのかも知れない。咄嗟に軸足を翻し、風舞祈先輩の技を、動きを、呼吸を真似る。思考よりも先に身体が動いた。
「く……!」
「な……っ!」
僕の行動が意外だったのかも知れない。
互いに交差するように打ち合った脚。ギシリと軋む筋肉。
風舞祈先輩の重い一撃が、身体に響く。刹那、
「……! 貴方、まさか……」
風舞祈先輩の切れ長の瞳。その鋭さが一層増したことに、嫌な予感がした。
【クカカッ、ばれたようだのう】
リツの嫌な言葉に、かつて偽士道の技を教えてくれた兄様の言葉が脳裏を過る。
『力量を見誤ってはいけないよ』
それは、兄様の口癖だった。
曰く、武道経験者は僅かな所作だけで互いの力量を測れるものらしい。
僕は正直、偽士道の達人などではない。相手の力量も、正確には測り得ない。
けれど両国家の舞士道継承者候補がもしこの二人なのだとしたら……。
「偽士道の人間、ですか……」
それは低く、殺気を帯びた声。
先ほどまでの涼しい声とは桁違いな低い声音だった。
「面白い……いいでしょう。それなら」
刹那、風舞祈先輩の構えが今までとは違うものに変化した。
「これは真似られないでしょう……!」
それはまるで、夢幻でも見ているかのような幻想的な光景だった。
床を踏む音はたった一つしかない――その筈なのに、音が鳴った直後、風舞祈先輩は十人にも分身し、全員が異なった攻撃を繰り出してくる。
実体がないと油断しようものなら、風舞祈先輩の殺気のこもった一撃が身体を穿つであろうことが容易に想像できた。
刃物のような手刀が、上下左右から連続して襲い来る。
舞うような柔らかさなど微塵もない夢幻のような連撃を躱しきれず、頬や首筋を衝撃が浅く斬り裂く。回避すらも次第に困難になったその瞬間、
「背中ががら空きですよ」
「が、は……っ!」
強力な一撃が背中を貫いた。
いつの間に回り込まれていたのか。風舞祈先輩の囁きが耳朶に届いた直後、風舞祈先輩の一撃に床に昏倒した。引き攣るような呼吸と重い痛みに仰向けになる。
「ぐ……ぅ」
霞む視界。その中に風舞祈先輩の暗い影が這入り込んだ。
此方を見下ろすその眼差しは、氷のように凍てついていて――どこか両親を想起させた。
「舞士道の技を盗みに来たのですか?」
「ち、が……っ」
否定の言葉を言う前に、風舞祈先輩の足が更に腹部を穿つ。
「あ、が……ッ!」
「喋らないでください。この不敬者」
追撃に、喉が反り体内の酸素がすべて奪われる。
「れん……!」
どこか遠くで、夏生の声が聞こえる。
けれどそれに応える暇もなく、僕はゆっくりと意識を手放した。
それは懐かしく優しい声。
優しくて、強くて、憧れた人の言葉。
『いずれ、れんにもできる武術があると思うよ』
唯一、屋敷という檻の中で僕のことを否定しなかった。
出来損ないという名を冠した僕にも、その人は分け隔てなく接してくれた。
『あの人達から教わることだけが、すべてじゃないからね』
その人はそう言って、優しく頭を撫でてくれた。
優しくて、大きな掌。でも良く見るとその手にはうっすらと傷痕が残っている。
幼い僕は、それを見逃さなかった。
『兄様、その手……痛くないの?』
既に完治している手でも、痛々しさは変わらない。
だからつい、そう問いかけてしまう。
その度に兄様は、やんわりと首を横に振り痛いという言葉を否定した。
『痛くないよ、全然』
『ホント? ホントに痛くない?』
『本当だよ。どうしてそんなことを聞くんだい? もう血だって出てないのに』
『だって、怪我したら痛いでしょ? 兄様の手、ずっと怪我してるみたいだもの』
『……これはね、僕にとって誇りなんだよ』
『誇り?』
傷だらけの手を、兄様は瞳を細めて見つめる。
『この傷を見るとね、誰を助けられたか……どんな人と出会ったか。思い出せるんだよ。だから、僕にとっては勲章のようなものだね』
『くんしょう……』
それがどれだけ大変なことだったか。その人は深くは語らない。
努力も挫折も何もかも――その優しい笑顔の中に閉じ込めてしまう。
『…………』
それだけその人は努力を重ね、強さを身に付けた。
生温いものではなかっただろう。
辛く苦しく、プレッシャーに押し潰されそうにもなっただろう。
なのにその人は僕の前では不平不満を、弱音を一度も話したことなどなかった。
心身ともに、強い人だった。とても、とても――。
『こう兄様……』
姿を消してどれくらい経っただろう。
今貴方は何処にいるのですか?
あの黄昏色の世界の中で、今もなお戦い続けているのですか?
それとも――……。
「――――!」
考えたくない結末に、シャボン玉のようにバチリと弾けた夢。
懐かしくて残酷な夢幻が解けて消えた。




