第4章 銘名と開花
八百万信仰。
それはこの国古来より一部の宗教において信じられている思想だ。
そして、その思想は主に自然崇拝からなる数々の現象を指している。
――曰く、この世すべてのモノには神が宿るという考え方。
そしてそれは動植物、水浴、排泄物、怨霊死霊といった概念的なものに至るまで……だ。
その信仰は根深く、血液の如く広がっている。
だが、その一片を知っていたとしても……大半の人間が識らない存在がこの世には在る。
黄昏刻を引き連れ歩き、影ながら人を喰らい、呪いを撒き散らす悪鬼魍魎。
それが〝禍津者〟――。
「銘は碧円、名は疾風」
黄昏色の空間に、落ちるような詠唱が響き渡る。
「今、汝の力を此処に解放せん」
喪服のような漆黒のスーツに身を包んだ男、目黒龍臣はただ独り、黄昏刻の中を駆けていた。
目の前に立ち塞がる禍津者は斬り捨て、何処かで悲鳴が響けばその場所へ颯爽と駆けつける。
それが教師とは違う退禍師としての顔を持つ目黒のもう一つの姿だった。
「そろそろ時間か……」
そう呟いた直後のことだった。
パキン……ッ、
薄氷が割れた時のような、繊細な音が頭上から鳴り響く。
そして視線を上へと向ければ、氷片のような黄昏色の欠片が降り注ぎ、東の空には朝日が昇り始めていた。白む空を、太陽を見据える瞳を細め、微かに息を吐く。
(見つからなかった、か……)
抜き身の刃を鞘へと収めると、地面に微かに残ったままの黄昏色の残穢を睨みつける。
俺には――退禍師としての誇りはない。
それは、生徒達にも薄々伝わっていることだろう。
今の俺は、ただ一介の亡霊に過ぎない。
黄昏刻の世界に捕らわれた亡霊。
(禍津者をただ葬り去るだけ……)
それを空しいと感じたことは、ある。
だがそれでも、殺すことを辞めることはできない。
何故ならまだ、目的を達していないのだから……。
「嗚呼、クソ……。何処にいるんだ」
呻くような、嘆くような、どちらにも取れない呟きが零れ落ちる。
手元の疾風を見下ろし、歯噛みする毎日。
それは誰にも、学園長ですら知り得ない反面だった。
「六時前……か」
チラリと時計を一瞥する。
このまま職員寮へと帰れば、充分寝る時間は取れるだろう。
だが、胸の内を抉るようなザワザワとした感情が寝ることを赦さない。
だから、いつもそのままの足で、学園の裏庭へと向かう。
人が来ることが少なく、特に早朝であれば誰もいないため、鍛錬をこなすには都合のいい場所――の筈だった。
「ん……?」
思わず、声がもれる。
それも当然だった。普段なら人っ子一人いない筈の時間に、一人の生徒が立っていたのだから。しかも……、
「……日暮。どうしてこんな時間に此処にいる」
自分の受け持つクラスの生徒であれば尚更だった。
「まだ寝てる時間じゃねぇのか? それに今日は休日だと言った筈だろう。わざわざ学園に来ることなんかねぇだろう」
「……。おはようございます、目黒先生」
「……っ」
此方を振り返った生徒の手には、一対の刀が在った。
加えて目の下にはクマが見える――寝ていないのは、一目瞭然だった。
「日暮。もしかしてお前……」
「目黒先生。すみません……」
その生徒は、力ない声と言葉で俺の言葉を遮ってきた。
「少しお時間、頂けますか……?」




