第3章 黄昏刻に潜むモノ8
その空間は、異常だった。
歪で、異常で、不快。
ありとあらゆる負の感情を凝縮して詰め込んで吐き出したとしても形容し難い。
――敢えて言葉に出すなら、札の墓場とでも呼べばいいのだろうか。
空間全体に張り巡らされた紅い注連縄。
それには一定の間隔で封印を施していると分かる刻印された鈴が括り付けられている。
そして至る所には簡素な墓と覚しき積み石と卒塔婆。
一目見ただけで、此処で〝何か〟があったのだと嫌でも理解できる。
(リツ……、此処って、もしかして)
【なにやら、呪術的な儀式でも行ったのであろうな。嫌な滓がそこらかしこに漂っておるぞ】
気を引き締めよ、と忠告をしてくれるリツ。
「なんで、学園の地下に……こんな場所があるんだよ」
夏生の口から、呻くような呟きが零れ落ちる。
確かに、自分の通う学園の下にこんな儀式場めいた場所があると誰が思うだろうか。
「い、行くです、よね?」
「ただの禍津者じゃなさそうだ」
「…………」
背筋に嫌な寒気が這い上がってくる。
湿った空気が喉の奥に絡みつく。
錆びたような得体の知れない何かが腐敗したような、不快な空気に口許を覆う。
迫り上がってくる吐き気に耐えられなかったのだろう。
秋葉さんは咳き込み、夏生でさえも青ざめた顔で立ち尽くしていた。
くじけそうになる心を奮い立たせ、前進の合図を出す。
「……っ、行こう」
「はい、です」
「……おう」
石階段をゆっくりと降りる。一段下へと進む度に空気がどんどん冷え込んでいくのを肌で感じる。やがて暗闇にも目が慣れた頃、空間の最奥に目的の祠の輪郭が見えた。
「あった……、あれだ」
目配せをし、目黒先生から預かった新しい札を貼り付けようとしたその時、
チリン……、
その時、音が一つ、鳴った。
風もない、誰が触れたわけでもない。
なのに、鈴の音が不自然に鳴った。
「……!」
直後、最初の音がトリガーとなったかのように、空間が震え始める。
チリンチリン……!
チリンチリンチリン……ッ!
チリンチリンチリンチリン……ッッ!
幾十、幾百だろうか。
次第に鈴の音が増幅され、冷たい悲鳴を上げている。
空気を奮わせ、今までの静寂が嘘のように悲しい産声を上げていた。
「く……っ」
「ひぃ……!」
「うるせぇ……」
それに耐えきれず各々が悲鳴を上げ呻いた直後、ピタリと音が一斉に鳴り止んだ。
まるで侵入者の存在を〝何か〟に報せ終え、役目を果たしたと言わんばかり……。
不気味なほどの静寂が周囲に降り注いだ。
「……ナニか、来る……!」
ゾクリとした悪寒が、足下から這い上がる。
それは昨日体感したものとは比べ物にならない威圧感。
本能的に刀を構え、僅かな物音すら警戒を怠らないようにと右舷左方へと視線を巡らせていたその時だった。
唐突に、目の前の空間がグンニャリと歪み――それは現れた。
【何奴かと思えば、童か】
【ククッ、我らに刃を向けるとは不敬者め】
(……禍津者じゃ、ない?)
周囲の空気は異質だが、あの独特の黄昏色の空間にはなっていない。
その違和感に戸惑いながらも、目の前に悠然と佇む一対の蛇を見据える。
(禍津者がいない理由……もしかして)
【此奴らが喰ろうておったのじゃろうな】
自分の考えを後押しするようなリツの言葉。
疑惑が確信に変わる。
一匹は、白蛇。そしてもう一匹は、黒蛇。
番か兄弟か……図りかねる存在に、気圧されそうになる。
それだけの力を、これまで禍津者を喰らうことで溜めてきたのだろう。
そして結界の綻びの原因も、その力に効力が耐えきれなくなったが故――。
【去ね、童ども】
【去らねば、殺す】
「……ッ!」
リツとは違う、殺気の込められた明確な言葉が頭蓋を貫いた。
ゾクリとした感覚に、身震いしそうになるのを抑えつつ声を張る。
「貴方達に危害を加えるつもりはありません……! ただ祠に札を貼らせて貰えれば――」
シュッ……!
大きく唸りを上げて振るわれた尾が、頭上を鎌の如く切り裂いていく。
「わ……!」
「く……ッ! 何している、れん! 禍津者に話なんか通じる訳がないだろうが!」
「禍津者じゃない……このヒト達は……」
最後まで言い切る前に、先に対の蛇が動いた。
一振り尾を振るうだけで、積み石が崩れ石や卒塔婆やらが、僕らの身体を穿たんと飛翔してくる。それを刀で払い、受け流し、攻撃を躱す。