算置の段
算置の段
「占屋さん。占の御用」
「……表に算置が来たようじゃ。この不思議。ここは一算、置かせてみよう」
旦那は自分に起きている不思議な事態の解明と井杭の場所を探すには、算置が適任と考えた。
『算置』とは所謂占い師である。
算木と呼ばれる短い棒でもって、置き方や動かし方等で吉凶を占うのである。その占いの様子から算木を用いる占い師の事は『算置』と呼ばれた。また算木で占いを行う事を『算を置く』とも言う。
「占屋算。占の御用。しかも上手です」
「いや。のう。のう。そこな人」
旦那は急いで門前に出て、算置を呼び止めた。
「やあ。やあ。のう、と仰られるのは私の事でござるか? 何事でござる?」
算置は自分の事とは思いつつも旦那に確認を取った。
「いかにも。そなたの事じゃ。そなたは陰陽師であるか?」
「いかにも。陰陽でござる」
「それならば頼みたき事があるのじゃ。屋敷に入っておくれ」
「心得てござる」
算置は客が付いた事に喜ぶ。二人は屋敷の門を入り玄関を通り座敷に進んだ。
「はぁ。これが旦那様のお屋敷でございますか」
「いかにも。それがしの屋敷じゃ」
「これ程の良い家相は中々に珍しき事。万々年までも栄える家相と見えまする」
算置は客である旦那の歓心を得るために追従を述べる。
「ちと尋ねたきことがある」
「お任せ下さりませ旦那様。我々算置の話すことに間違いはござらぬ」
「まずは座りなされ」
「心得てござる」
旦那と算置は座敷に着座した。
「さて旦那様、お伺いの件は如何様な事でござる?」
「他でもない事じゃ。失せ物である」
「何。失せ物!?」
「そうじゃ」
「失せ物に待ち人と申しまして、よく尋ねられる事が多い事でござる。して旦那様、それは何時頃の失せ物でござる?」
「今日、只今の事じゃ」
「ではまず手占を置いてみましょう。では。たんちょけんろ、ぎんなん、ば!」
算置は自らの手を見つめて、指を折りつつ怪しげな呪文を唱えた。
「ぎんなん、ば!! ……ははぁ、なるほど。旦那様、お探しの物は生き物でござるな」
「ほぅ。そなた中々に上手じゃな」
旦那は算置の腕前に満足した。
――あの変な手の動きで何が分かったんだ?――
井杭は疑問を抱きつつも算置の見立てに驚いた。
自分は間違いなく生き物だ。
井杭は初めて見る算置の占いの不思議に興奮を覚えていた。
「そなたが、占いの上手であることが分かった。尋ねたき事とは、その生き物がこの屋敷を離れたか否かを見て欲しいのじゃ」
「そこまでの事となると手占では荷が重うござる。算木を置いて一算致しましょう」
算置は自らの懐から小袋を取り出し、そこから小さな棒を床に並べ始めた。
袋の中身は算木、つまりは占いの道具である。
「さて、お尋ねの物が生き物である事が当たったから言うのではござりませんが、我が算は良く当たるとの評判でござる。何れへ参っても喜ばれまする」
「ふむ。確かにそうであろう」
算置は算木の準備を整えた。
「そなたの算は見慣れぬ算を置くものじゃ」
占い始めようとした算置に旦那は疑問を投げかけた。
「ほう。貴方様は御素人かと思っておりましたが、殊の外、算をお好みになられる方でございましたか。……これは『天狗の投げ算』と申しまして、我が家ならでは、良く当たる算でござる。我が家の秘でありますので他の算置はこれを用いる事はございません」
「ほう。左様であるか」
算置は旦那に知識に感心しつつも、自らの占いに対する自信を誇示する。
占い好きの旦那は興味が尽きないようだ。
「それでは一算、置きましょう」
「早く置くのじゃ」
旦那は井杭が何処にいるか、気が気でない。
「では。……一得六害の水。二気七曜の火。三障八難の木。四絶九厄の金。五祈祷の土」
算置が言葉に合わせて算木を置いていく。
「金性水。水性木。木性火。火性土。土性金」
算置は厳かに算木を並べ続ける。
「金克木。……ほう。最後は金克木」
算置は思案顔で占いの結果を確認する。
「して算はどうであった?」
「まず算の表は相性を順に巡る目出度き算でござる。然れども旦那様、ここに金克木ときたところは、難しゅうござれども、大方は知れました」
「どうと知れたのじゃ?」
「このお屋敷の中、一間も離れぬ失せ物とござる」
「いや、これ。その失せ物は一間の内にいて見えぬものではない」
旦那は、井杭が一間も離れない所にいるという算に納得ができない。
――また当てられた。確かに私は二人と同じ部屋にいる――
対して場所を当てられた井杭は驚き、これが算置の、占いの、陰陽師の力かと思った。
「して旦那様、その失せ物は何でござる?」
「人じゃ」
「何、人でござるか!? ……人であれば、この曇り霞のない御座敷に見えぬはずもござらんが?」
算置は失せ物の意外性に驚いた。まさか失せ物が人間とは。
そこに自らの算が外れたとの意識は欠片もない。
「先ほど不思議な事があった故に、その失せ人の居所を見つけて欲しいのじゃ」
「そこまで分かれば、ようござる。それならば旦那様。次の算をもって神変奇特を置き顕いてお目にかけましょう」
算置はまた算木の木組みを整え次なる占いを始めた。
「犬、土走れば。猿、木へ登る。鼠、けた走れば。猫、きっと見たり!!」
算置は自らの声に合わせて、算木を飛ばす。
そして算木の飛んだ方向に眼光を飛ばした。
「……見たり。知れました」
「何が知れたのじゃ」
算置は居住まいを正して、旦那に答えた。
「旦那様の左の方に居りまして、算の置きようを、じろりと眺めているとござる」
算置の言葉に井杭は驚く。
――あの変な占いでどうして当ててくるんだ。しかもさっきは思いっきり目が合った――
井杭は思った。この算置は本物だ。
猫、きっと見たりと言って、こっちを睨んだ時は目が合った。井杭の姿が透明で姿が見えないにも係わらず。旦那様の左にいて算木を見ているのも本当だ。
井杭は占いが当たる興奮と場所を当てられる恐怖、相反する心の只中にあった。
「それがしの左。ひだり。……いや、これ。それがしの左の方には、何も見えぬ」
旦那は自分の左の方を見回すが、そこには座敷の襖や障子があるだけである。
「確かに姿は見えませぬ。恐らく相手は神か仏の加護を得ているのでございましょう。人間の目には見えなくとも、そこにいる事に違いはござらぬ」
「左様か。……では!」
言い終わると同時に、旦那は自らの左の方へ飛び掛かった。
「ぬぅ?」
「旦那様、何か御手に触りましたか?」
「いや何も感じぬ。……もう一回じゃ!!」
旦那は何もない所を探し回る。
――危ない! もう少しで捕まるところだった。少し場所を変えよう――
井杭は座る位置を変えた。
「合点がいかぬ事じゃ」
「確かにいるはずでござるが。やや。相手は今の間に所を変えましてござる!」
「それは、どこに変えたのじゃ?」
「それは、また算を置きなおさねば知れませぬ。此度こそは、これこそ算置の妙よ、と旦那様が仰られるように、算を置き顕いて御覧に入れましょう」
旦那は算置の腕に不信感を覚え始めた。
算置は次こそ目に見える結果を欲し、新たな算を置き始める。
「大風吹けば、古家のたたり。はぁ。これは恐ろしい事でござる」
「その通りじゃ」
「大水出れば、堤の患い。ほぅ。これはもっともな事でござる」
「もっともな事じゃ」
算置は言葉に合わせて、算木を置き進める。
――旦那様と算置の問答はなんだ? 風がどうとか水がどうとか意味が分からない――
井杭は意味が分からない言葉の応酬を理解できないが、算置の不思議な力に興奮し、彼の次の言葉を待った。
「あちらと、こちらは隣なりけり。……隣なりけり。ははぁ。知れました!」
「どうと知れたのじゃ?」
「はい。この度は旦那様とこちらの間に座しまして、旦那様の顔をじろり、我が顔をじろり、じろりじろりと眺めているとござる」
算置は、自信を持って算の結果を述べる。
――また当たった。たしかに私は二人の間にいる――
井杭は戦慄する。
「そなたは先ほどもその様な事を述べたが、ほれ、それがしとそなたとの間には何も見えぬ」
旦那は算置に対する不信感を増した。
「それについては先ほど申し上げた通り、相手は神仏の加護を受けた者であって、人間の目には見えぬようでござる。しかしそれでも、いるに違う事はござらぬ」
「やはり合点がいかぬ事じゃ」
「旦那様が余りに口を出されるので、相手がそれを聞き取って算の結果を狂わせたのでございましょう。この度は旦那様と二人で合力して、秘かに相手を捕らえましょうぞ」
「それがよかろう。委細、承知した」
「「えぇい!!」」
算置が立ち上がると同時に旦那も立ち上がり、今度は二人して井杭の座る場所へ飛び掛かった。
――危ない。また捉えられようとした。しかし――
井杭はすんでの所で二人の間を掻い潜ると目の間にある物を掴んだ。
――しかし、これさえなければ算置はできまい!!――
井杭の手の中には算木があった。
自らの優位に愉悦さえ覚える井杭。
その顔には暗い笑みがあった。
次で実質的な話は終わりでござる。
その後に一つ、どうでも良い解説を付けるでござる。