9.2人の秘密
イモが親父を殺しただって? まさか!
イモはまだ中学生の可愛く無邪気で優しい女の子。人を……親父を殺すなんて、出来るような子ではない。
「出来ますよ? だって……殺さなければ私が殺されていましたもの」
まさか! たしかにすぐに殴るクソ親父だったが……イモを、自分の子供を殺そうだなんて、そこまでは……
「それはお兄様が男性だからです」
どういうことだ?
確かに俺は男でイモは女。暴力を振るう相手としては力に劣る女の方がやりやすいだろうが……俺もイモも子供。大の大人からすればそう変わらないだろう。
「変わりますよ? だって同性を相手にセックスできませんよね?」
せ、せ、せ……イ、イモ? そんな破廉恥な言葉。いったいどこで覚えたのだ……?
「授業で習いますよね? もう生理もきていますので、私は子供を生むことだってできますよ」
聞きたくない……純真無垢で目に入れても痛くないはずのイモから、そのような生々しい言葉……まだまだ子供だと思っていたイモが、妙に大人びて見える。
ショックのあまり灰のように思考が止まる城をよそに、イモは言葉を続けていた。
「お母様とお兄様が留守の日。お父様は自分の性欲を満たそうと。私を強姦しようと襲い掛かって来たのです」
まさか……いや。父による娘への性的暴行はニュースで見かけるが……だとしても……あのクソ親父。そこまで……そこまで腐り落ちていたか!
「私の純潔はお兄様のためのもの。失うわけにはいきませんが力で敵うはずもありません。それでも必死に抵抗したところ、部屋の床が抜け落ちた先がここです」
抜け落ちたって……部屋からここまで。ダンジョンの底まで5メートルはある。そんな高さを落ちて大丈夫だったのか?
「ちょうど落ちた先のアメーバ獣がクッションとなり私は無事でした。アメーバ獣は潰れてしまいましたが」
モンスターもたまには役立つというわけか。一安心である。
「いいえ。まったく一安心ではありません。一緒に落ちたお父様は怪我をしており、私が逃げたのが原因だと、それはもの凄い剣幕で迫ってきました」
自業自得ではないか。それをイモに八つ当たりするなど。
「このままでは犯されるだけでは済みません。殺されると。死にたくないと。それなら私ではなくお父様が死ねば良いと思いました」
……
「そうしましたら……ほら」
イモが手をかざす。
その腕には青白い光が絡まり激しい火花を散らしていた。
「……ギフトか」
アメーバ獣を押しつぶした際に魔力を吸収、ギフトに目覚めたというわけだ。俺がアメーバ獣10匹を退治しても獲得できなかったギフトを、1匹倒しただけで獲得するとは……
「だから殺したんだよ!」
イモの頬を涙が伝い落ちていた。
「殺すつもりなんて……でも! イモは、私がお父様を!」
だとしても緊急避難の正当防衛。イモに非は存在しない。
「イモは良い子だ! イモは何も悪いことをしていない!」
無理矢理言葉を続けようとするイモの身体を、俺は抱きとめる。
「悪い子です! 私は全然良い子ではありません! お母さんにもおにいちゃんにも内緒で……人を殺すイモは悪い子なんだよ!」
かんしゃくを起こしたようにイモの両手が俺の胸を打つ。大人びて見えたその顔は涙に崩れ、その言葉もまたぐちゃぐちゃに崩れていた。
1年前。イモが自分の部屋を1階に移した理由はダンジョン入口を隠すため……イモは1年もの間、誰にも話せず1人で悩み苦しんでいたのだろう。
だが、それも限界が来る。
中学生の少女が自分の父を殺したのだ。理屈の上では非は存在しなくとも……その心が、精神がまともに保てようはずがない。
俺が探索者になると言った時からこうなることが分かって……いや、イモは俺に知って欲しかったのだ。俺に助けを求めていたのだ。そうであるなら。
「イモは殺していない! イモは良い子だ! イモは誰も殺していない!」
誰が、世間が何と言おうと。
「イモは殺していない!」
それが証拠に俺はイモを離れると背後を振り返る。
地面に横たわる親父の身体を──
「ふんぬ!」
ドカーン
力の限り蹴り飛ばした。
「おにいちゃん! なにを?」
蹴られ地面を転がる父であった身体。
突然、手足を動かし起き上がる。
「ひっ!? な、なんで? イモが、イモが殺したのに……」
攻略読本から学んだ俺とは違い、探索者でないイモが知らないのも当然。
ダンジョンに放置された死体は、一定日数の経過後にモンスターへと変化、ゾンビとして蘇る。
そのため、パーティメンバーの亡骸は地上まで持ち帰るか、原型を留めないよう処理するのが探索者のルールである。
これまでダンジョンに立ち入る者がいなかったため休眠していたものが、今日。はじめて近づく人の気配に、人肉を求めて覚醒したのだ。
「イモは誰も殺していない! こいつは、親父はまだ動く。まだ生きている!」
知能を失いゾンビとなった者が、はたして生きているといえるのだろうか? そんなことは関係ない。
働く母を助けようと、幼い頃から嫌な顔ひとつせず家事を手伝うイモ。イモの笑顔は、荒んだ我が家に咲いた一輪の向日葵。
「こいつを、親父を殺すのは……この俺だ!」
ドカーン
両手を上げ掴みかかろうとする親父の胸を蹴り飛ばす。
散らせはしない。
父親殺しの罪は、兄である俺が背負うべきもの。だから──
「俺が殺す!」
倒れた頭をつかみとり、力の限り壁に叩きつける。
ドカーン
叩きつける。叩きつける。
「イモじゃない。親父をぶっ殺すのは──」
叩きつける!
「この俺だ!」
ブシャーン
親父だった頭が砕け散る。
ドス黒い血をあたりにまき散らし、暴れる身体は動きを止めていた。
「だから……イモは何も悩まなくて良いんだ」
向日葵に涙は似合わない。
願うならば、イモにはいつまでも笑顔のまま。
いつまでも大輪の花を咲かせていて欲しい。
死したゾンビは、モンスターは霧となり魔力となり、倒した者の糧となる。
割れ砕けた頭が、動きを止めた身体が。
飛び散り俺の身体を汚す黒い血が、紫煙へと姿を変え消えていく。
「ぐっ?!」
身体が熱い……これは魔力。
ゾンビを……親父を倒して得た魔力。
胸が熱い。心臓が脈打つ。この感覚が……ギフト。
城はギフト【SSR 暗黒魔導士】を獲得した。
「おにいちゃん! だいじょうぶ?」
突然、胸を押さえてしゃがみ込む兄を心配したイモが駆け寄り覗き込む。
「だいじょうぶ……大丈夫だ」
「だいじょうぶじゃないよ。おにいちゃん。泣いてるもん」
座り込む城の姿に、イモは抱きつき泣きついた。
泣いているだって? 俺が?
そっと目元を触れる指に滴が付着する。
「やっぱりイモだよ。イモなんだから! おにいちゃんは何も関係ないよ」
あんなクソ親父でも……いちおうは親なんだな。
おぼろげに思い出すのは幼い頃の記憶、まだ優しかった頃の父の姿。
「いいや。俺だ。イモの方こそ何の関係もない」
だが、親父が道を踏み外したのは親父自身の責任。
後悔はない。いくら昔が良かろうが、大事なのは今なのだから。
「イモだよ!」
「俺だ!」
「イモだよ!」
「俺だ!」
……イモは優しい良い子なのだ。
自分の責任を兄に押し付ける。そのような子であれば、例え妹であっても俺は助けはしない。
だから、無理なのだ。このままでは埒が明かない。
「分かった……俺じゃない。イモでもない。これは俺とイモのやったこと。俺たち2人の秘密だ」
「イモとおにいちゃんの……うん……わかった」
手に手を取り立ち上がると、互いの小指を絡ませ約束する。
「誰にも、母さんにも内緒だぞ?」
「うん。おにいちゃんとイモの、2人だけの秘密」
最悪な親父ではあったが……それでも母が好きになり結婚した相手。今さら真実を告げて悲しませる必要はない。親父は今もこれからも行方不明のまま……それで良い。
「戻ろう。夕ご飯の支度がある」