71.いつからだろう。私が今の私になったのは。
いつからだろう。私が今の私になったのは。
「それじゃ次の問題を……城 妹子さん」
先生の指摘に椅子を引き立ち上がる。
「はい。この問題は……」
およそ中学2年生には少し難解な問題にも、妹子はスラスラ淀みなく回答する。
「良くできました。城さん完璧な回答です」
座席に着くイモの姿。
「イモちゃん。こんな難しい問題を凄い!」
「ふっ。さすが私のライバル」
「美しい上に頭も良いなんて」
「それだけじゃないわ。スポーツも万能よ」
「妹子さんこそ学園のアイドルにふさわしい」
「学園どころか今すぐ芸能界にデビューできるぜ」
周囲は羨望の眼差しで見つめていた。
何事も要領よく。ミスをせず。
それがこれまでの人生で身に着けた私の処世術。
学校の帰り道。友人の林檎ちゃんと並んで歩くその道すがら。
「イモちゃん。今日のテストどうだった?」
「あまり良くないです。少し間違いましたから」
「良くないって……95点もあるじゃん」
公園のブランコに1人、座る少女の姿が目に入る。
「イモちゃん? どうしたの?」
「いえ……あの子。公園に1人でどうしたのかと」
コツコツと。少女の元まで歩み近づく。
うつむき暗い顔でブランコに座る少女の姿。
「? イモちゃん? 誰もいないよ?」
それは過去の私。かつての。小学生だった私の姿。
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かつて私の家には鬼がいた。
一家4人の家族。優しい母と兄。そして1人の鬼。
母のいないその間、鬼は毎日兄と私に辛く当たりました。
「イモちゃん。ばいばーい」
「うん。ばいばーい」
学校帰り。友達と別れた後も家に帰りたくないがため、公園で1人止まっていた昔の私。
今日はいったい何を怒鳴られるのか。
家に帰るのが怖い……それでもじきに帰る時がやって来る。
小学校を終えて友達と別れても時刻はまだ16時。
自然と近所の公園に私の足は向かう。
「おーい。イモー。こっちだ。こっちー」
「おにいちゃん」
声に振り向けば、ブランコを漕ぐ兄の姿。
「イモも漕いでみろ。楽しいぞ」
「うん」
ちょこりブランコに腰かけるも、能天気に漕ぐだけの元気もない。
「なんだ? お兄ちゃんが押してやるよ」
座る私のブランコに近づき、兄は力一杯押して動かした。
「ちょ、待って」
兄は中学3年生。
「お、おにいちゃん。イモこわい」
その力でブランコが戻るたびに全力で押すものだから、勢いが強すぎる。
「大丈夫大丈夫」
突然に兄は同じブランコに飛び乗り、立ち漕ぎを始めていた。1つのブランコに無理矢理に乗るものだから、とても狭い。
「何も怖いことはない」
振り落されまいとぴったりくっつき、必死に足にしがみつく。
「イモは何も心配するな。お兄ちゃんが一緒だからな」
兄の身体は大きく暖かい。
そう思うと今までの恐怖もなくなり。
「うん……あははっ。うんっ。ブランコ楽しいねー」
母は仕事の都合上、遅くなるまで家に戻りません。そのため、兄と私は暗くなるまで公園で遊び時間を潰したものです。
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兄と2人一緒に自宅に帰る。
仕事が長引いているのだろう。母の靴はない。
奥の居間からはTVを見ているのか、大音量でバカ騒ぎする芸人の声が聞こえていた。
「あん? お前ら帰ったのか?」
玄関を開ける音に気付いたのか、出て来なくて良いのに居間から父が顔を出す。
「ただいま」「……ただいま」
「ただいまじゃねーんだよ! 俺のおつまみがねーんだよ!」
「分かりました。俺が買ってきます」
「急げよ。俺は世界お笑い紀行を見る時は、ピーナッツを食いながらって決めてるんだからな」
「イモは部屋に戻っていろ」
「……うん」
兄を1人残して私は2階の自室に戻る。
いつもいつも。兄は私に代わり父の相手をしてくれる。
それも母が戻ってくるまでの我慢だ。
母の前でだけは、あの父もおとなしくなる。
それはそうだ。
自分がヒモであることを、一家の家計を支える母に嫌われ放り出されては、自立が不可能なことを父も分かっている。
でも……父と私と何が違うの?
母のヒモである父と。
兄の影に隠れる私と。
他者に依存して生きているのは同じ。
おつかいを終えたのだろう。
兄の足音が2階に響き部屋に消える。
「おにいちゃん。だいじょう……」
兄を追い入る部屋では半裸になり、薬を塗る兄の姿。
その胸には青い痣があった。
「ちょ! イモ。ノックしないと駄目だぞ」
兄は隠すように慌てて頭から服を被る。
いつもそうだ。顔を殴れば母に、学校に知られる。
「ごめ、ごめんなさい……おにいちゃん」
「いやいや……あの野郎。無駄に力がありやがる。そんな力が余っているなら働けば良いのにな?」
自立しなければならない。
いつまでも甘えていては。
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「イモちゃん。おはよう」
「おはよう」
朝の通学路。くるり友人を振り返る妹子の姿。
「あれ? イモちゃん何か変わった?」
「そうですか? 私も春には中学生です。少しは大人にならないといけませんから」
そこに昨日までの幼さはなくなっていた。
それから帰りの遅い母に代わり、私が夕ご飯を作るようになった。食べる物を食べてTVを見ている間は、父もおとなしくなることが分かった。
「おう。イモコ。おまえ料理が上手くなったじゃねえか」
「そうですか。ありがとうございます」
「けっ。ピーピー泣かなくなったと思えば、愛想は全然ねーな」
父の機嫌を損ねないよう。
お行儀よく品性確かで丁寧に。それが私。
「ただいまー」
高校進学と同時に兄はコンビニでアルバイトを始めていた。
「おにいちゃん。お帰りー」
「イモ。待っていてくれて良いのに」
兄は自分のアルバイトするコンビニで立ち読みでもして、一緒に返ろうと言ってくれるが。
「おうおう。お兄ちゃんのお帰りか」
「ただいま。はい。これお土産です」
兄はいつもアルバイトからお土産を買って帰って来ていた。
「まーたこのスルメかよ。もっと旨い物を買ってきやがれってのに」
高校卒業と同時。
兄は就職してアパートを借り、自宅を出ると言っていた。
「イモも一緒に来るだろ? そんな良い部屋は借りられないけど、まあ今よりは良いだろ?」
そうなれば、どれだけ良いだろうか。
近ごろ私を見る父の目が変わってきていた。
街中でよく経験する、いやらしい目つき。
かりにも親子。まさかとは思うが……兄を見る私の目を考えれば不思議ではない。
それまでの我慢。そう思っていた矢先のこと。
私は居間の奥。料理道具を探しに1階の荷物置きとなっている部屋へ入った時、床に謎の穴が開いているのを見つけた。
同時に頭の痛くなるこの感覚。
普段が仮面を被るその分、憂さ晴らしもかねて、よく掲示板に顔を出していた私は、この穴の先がダンジョンだとピンときた。
ダンジョン。そこには凶暴なモンスターが徘徊するという。もしも、もしも不慮の事故により何の備えもない人間がこの中に落ちたなら……
いえ。いくら嫌っていようとも、そのような真似はいけません。
ですが、現実には
「イモ。おまえ段々と母さんに似て来たな」
「そうですか? ありがとうございます」
「へっ。身体も似ているか試してやるぜ」
「……何をするつもりです?」
成人男性と少女。
力で敵うはずがありません。
「決まってるだろう。腹が膨れたんだから、次はあっちも満たしもらおうか」
にじり寄る父を見て、とっさに私は例の部屋へ。
部屋に入ると同時。背後から父に抱き付かれ、そのまま床に倒れた私と父はダンジョンの穴に落ちて行った。
偶然にもアメーバ獣の上に落ち無傷で済んだ上にギフトを獲得した私。
そのまま床に叩きつけられ、血を流し呻き声を上げる父の姿。
「い、イモ。い、医者だ……医者を……ゴホッゴホッ」
打ちどころが悪かったのでしょう。
頭から血を流す父にいつもの暴虐な姿はなく、あるのは息も絶え絶えに助けを求める弱々しい姿だけ。
頭から落ちたとはいえ、現代医療をもってすれば治してしまえるのでしょうが……私の脳裏に映るのは、私を庇い父に殴られ、いくつも痣を作る兄の姿。
「無駄です。もう助かりません」
「い、いひゅー。ひゅごー」
意味不明な呻きを上げ、私に向けて腕を伸ばす父の姿。
その腕をはたき、軽く胸を押す。それだけで父は後ろの壁へと倒れ座り込んだ。
「今、楽にして差し上げます」
なぜだか。私には先ほど獲得したばかりの異能の力。
ギフトの使い方が分かります。
■ギフト:雷轟電撃(UR)LV5
・スキル:電撃:LV1
指先から中威力の電撃を発する。
・スキル:連鎖電撃:LV5
指先から小威力の電撃を発する。この電撃は対象を貫通した後、付近の別対象を追尾、連鎖する。
「電撃」
右手指を発した光が父の身体を貫き地面を焦がしつくす。
その後、ダンジョンのある荷物置き場を片付け、私は2階から部屋を引っ越しました。誰にも秘密とするために。
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兄が探索者になると聞いた時。そうなる予感はありました。
私の部屋に開いたダンジョン入口。板で塞ごうが魔素は板をすり抜け、すでに私の部屋を満たしつくしていました。
いずれ部屋の外にも魔素は拡散するでしょう。そうなれば、探索者となった兄が気づかないはずがありません。
地下に眠る父の身体。兄はどう思うでしょうか?
やっぱり私を軽蔑するでしょうか?
不安。焦燥。私の心は乱れ人格もまた乱れ。
自宅で兄と母の前での私は、ますます甘えん坊に。
自宅を出た私は、ますます厳格に。
仮面を被った掲示板での私は、ますます暴虐に。
ですが……それも全て過去の話。
「イモー」
能天気な声に振り向けば、いつの間にか公園入口には兄の姿。
「なんだか懐かしいな。この公園も」
「……はい」
「昔はよくここで時間を潰したものだ」
兄は隣のブランコに腰かけると、そのまま勢いよくブランコを漕ぎはじめる。
「なんだ? イモは漕がないのか?」
「そうですね……せっかくですから」
ブランコに腰かける少女。
かつての自分と重なるよう妹子はブランコに腰かけた。
「よし。昔のようにお兄ちゃんが押してやるよ」
兄は勢いよくブランコを飛び降りると、そのまま力任せにイモの背中を押して動かした。
「きゃっ。お、お兄様……ふふっ……あははっ」
ブランコに揺れるイモの顔は、かつての少女だったころの、兄に甘える笑顔のままの輝き。
「ふっ。イモはいつまで経っても子供だな。いまだに公園のブランコで喜ぶんだから」
「うん。楽しい。おにいちゃん。これからもイモと一緒に居てね」
「当然。俺はイモのストーカー。イモが嫌がろうが、いつまでも着いて回るぞ」




