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 D猫殿下のピアノ演奏について書くつもりが、妙な方向へと来てしまった。いつも通りと言えばいつも通りだ。色々書いたが、僕が殿下の演奏について言いたい事はそれが「魂の演奏」だという事だ。しかし、こんな言い方は陳腐であろう。だから、僕はそれを様々な方向から描き出そうとした。


 

 例えば、魂とか精神とか心とかに、現実には存在しないものでそれを根拠づけようとするのがいわゆる「スピリチュアル」と呼ばれるジャンルである。スピリチュアルは嫌いではないが、彼らは精神を物質化している。僕の彼らに対する批判としては、彼らは精神を物質と対立する物として考え、そこに様々な根拠や理屈、そういう世界観を提示するが、結局は、それらは精神を物質化する行為に過ぎない。



 彼らは彼らが対立するものと、敵対する事によってその世界観を作り上げているが、スピリチュアルはその敵たる唯物論とそっくりそのまま同じ方法論を採用している。ここにスピリチュアルの欠陥がある。また、現行の「現実主義者」や「功利主義者」、「成功至上主義者」達も同じ事である。彼らは物や金が全てだと言うが、彼らはいつも物や金に過度の精神的属性を付与する事よって、その主張を成り立たせているという意味で、過度な精神論者と言う事もできる。



 殿下の演奏において、技術は完全に彼女の魂の征服下にある。従って、それがうまいかどうかという事自体は意味が無い。その他の人には、うまいかへたかという問いはそれなりに意味があるだろう。なぜなら、そういう風にだけ考えて演奏している人が多いからだ。



 それは現行の資本主義の唯物論的、拝金主義的な思想と一致している。そこではピアノ演奏の技術は外的なものである。例えば人は「ピアノが弾ければいいだろうな」とか「ピアノが弾ければかっこいいだろうな」となどと思う。しかし、一流のピアニストにとっては、ピアノは自分以上に自分である。ピアノは自分の肉体の一つ、というより、ピアノでしか自分を表現できないという倒錯した現象に入り込んでいく。少なくとも、その可能性がある。



 誰でも、自分の腕を上下させる事はできる。その時、自分の腕を上下させるのは、目の前の醤油ビンを取るためかもしれない。それは道具であり、そこには目的、目標がある。当然、腕を上下させる事自体は目的ではない。筋力トレーニングにおいても、その筋力を強化し、それを何かに役立てるという目標がある。音楽というものをそれ自体、目的と考えると、そう考えた途端、その人間は音楽の支配下に置かれる事になる。この人間には次々と、こなさなければならないカリキュラムや課題が見つかり、永遠にそれをこなし続け、遂には自己表現にも自分自身にも達する事ができないのだ。



 芸術においては内容と形式が一致し、心とその表現先たる物質性とは完全に一致する。しかし、それが一致するのは最上の芸術家に限られる。



 先にあげた殿下の「CM伊右衛門の曲のピアノレクチャー」の動画では、殿下は曲をどう解釈すればいいのかをレクチャーしている。それは、殿下の言うように、そのレクチャーが絶対に正しいという事ではないだろう。しかし、そこに何らかの解釈、何らかの精神的な流れ、つながりを想定する事が、演奏としてのレベルを高める事に、究極的にはつながる。



 例えば、あるメロディーを弾く際に、その強弱を完全にコントロールする場合、それを「楽譜通り」弾くとしたら、楽譜に載っていない情報はその演奏から欠落してしまい、平板となるか、雑然としたものになってしまう。だから、そこに何らかの精神的な流れを想定する事が、手による強弱の微細なコントロールを助ける事になる。



 この時、ピアノという物に対する働きかけに対する最大の武器は自分の思念、あるいは曲に対する解釈とか、イメージなのだ。もちろん、ピアニストは自分の手が自分の自在に動くように訓練されていなければならないだろう。しかし、それだけでは本物のピアニストにはなれない。



 以上のように最上の芸術家の場合、どのようなタイプの芸術家でも、形式と内容、魂と技術は完全に一致する。あるいは、その二つのものの齟齬を自分の身の内に感じ、一致させようとしているのが、最上の芸術家の目指している所だと言っても良いかもしれない。



 一流の詩人というのは、言葉が物である事を自分の身の内に感じて、ある箇所を何度も推敲したりする。それはその言葉の物性が自分の精神にぴったり合っていないと感じられているから、それを合致させようとする努力なのであり、単に「作品を良く」したり、クオリティを上げたりする目的であるのではない。最上の芸術家は物の物性を感じるからこそ、自分の魂も一つの物のような確固とした実在として感じられる。その両者の合一点が彼らの目指す所となる。



 そうでないアーティストの場合は、技術を見せつける事や、誰かの賞賛や再生回数や、自分のキャリアなど、様々なイデーに捉えられてしまう。そこでは、作られたものが、自分との純粋な一対一の関係にならずに、外部に流れていく。だから、そういう作品が評価されようとされまいと、それは「評価」というものから身を守る事ができる独自な存在ではない。



 古典として残る作品にはどこかしら、他人の評価をはねつけるものがある。それがあるからこそ、人々に「私を理解するように」と、作品の方から要請する事ができるのだ。一流の芸術作品とは常に、自己と対話的である。殿下の場合もやはりそうだ。彼女はピアノを弾きながら、自分と対話しているのだ。自己充足的と言っても良い。



 そこでは、ピアノという「物」の響きと魂が交流する接点がある。ペソアの言うように、表現する事が大切なのであり、表現されたものは、もう既に死んでいるものと言う事もできる。そしてこの死んだーー作品としてパッケージ化されたものを、再び生き生きとした形で蘇らせるには、視聴者や読者の力を必要とする。この時、鑑賞者は、芸術家が置いていったもの、あるいは走り去った痕跡から、再びその生き生きとした躍動を自らの内で再生するのである。この時、鑑賞者は当然、一個の芸術家たらざるを得ない。



 とりあえず、以上で僕のD猫殿下論を終わりにしたい。ほとんど殿下とは関係のない所に筆が飛んでいったがーーーまあ、仕方ない。音楽について言葉で触れるというのは極めて難しいし、僕に分かっているのは、芸術が自己表現になっていなければ、一流とは呼べないという事だ。



 ソ連政権下でほとんどろくな芸術が現れなかったのは、芸術家がそれ以外のイデーによって抑圧されていたからだ。芸術家は二つの物を同時に自分の内に持つ事はできないし、持つとしたらそれを統一する「自己」という概念を持たなければならない。しかし、ソ連では自己よりも常に高い存在としてスターリンが存在していたので、芸術は「社会に奉仕するもの」というレッテルを貼られた中で、自分以外のものに仕える奴隷的存在となった。



 高度資本主義が高まった我々の社会にスターリンはいない。その代わりに大衆の娯楽的感情があり、あらゆる芸術や作品は大衆の嗜好に自らを供するような、そのような姿勢を要請されている。だからこそ、現在において最上の芸術家はそういうものに反発しようとする。



 神聖かまってちゃんにおいては「狂人」、D猫殿下においては「変態」、手回しオルガン弾き氏にとっては、社会から孤立した自分の像ーーーこういうものによって、それぞれのアーティストは自分自身を世界に汚染されないよう、防衛していると考えられる。自己とか、孤立とかいうものの只中に芸術が存在するのであれば、芸術家が外部に向かって内部世界を守ろうとするのは当然である。これらの人々がそれぞれに、世界から身を守る為に、普通の人には不可思議な衣を羽織っているのは、重大で意味のある事である。



 それでは、僕のD猫殿下論はここで終わりにしたい。殿下のピアノ演奏は聴いて、すぐに、他の人達とは全く違う次元にあると直感した。それは才能とか努力とかいうものではない、もっと根底的な差異である。その直感から僕は出発したが、ここでは僕は音楽に対しての無知さをさらけ出す結果になったのではないかと危惧している。もっとも、抽象的な論に終始している場合は、それなりの正当性もあっただろうが。



 とにかく、ここで殿下に対する論は終わりにしたい。僕個人、これを書く事によって、殿下の動画から受けた恩恵に対する答えになっている、と信じたい。それでは、ここで筆を置く事にする。



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