親バカのじい様
「こんな時間にいつも帰るんですか? 義兄さん」
マティアスと一緒に帰ったらロジオンが食卓で紅茶を飲んでいた。すっごく嫌らしい口調。けっこう嫌いなのかな。何か昔にあったとか?
「今日は特別だ」
「クラウスは月に1度か2度と言っていましたよ」
「……」
でもってマティアスもすぐバレちゃう嘘とかついちゃうんだ。
「まあ、いいんですけれど……。親はなくとも子は育つと言いますから」
「寛大だな」
「違いますよ。僕は経験に従って言っているのみですから」
「そうか。が、クラウスはきちんと立派に育っている」
「姉さんの教育が素晴らしいようで、僕もほっとしています」
「とにかく僕は疲れているんだ。寝かせてもらう」
「ごゆっくりどうぞ。人と違う朝は取り残されますから、十分にご注意を」
「忠告ありがとう。だが僕は無知な子どもと違う。出すぎた助言は小ばかにされているようで不愉快だから少し控えてくれ」
「そうでしたか。体ばかり大きな子どもだとばかり……」
ロジオンを睨みながらマティアスが行ってしまう。またお茶を一口飲んでからロジオンが目を向けてくる。
「座るかい?」
「うん」
「……きみに、大事な話がある」
「大事な話?」
「この手紙――。きみの言う、じい様から、僕へあてられたものでね」
言いながらロジオンが封筒をテーブルへ出した。
「何て手紙だったの?」
「きみは騎士になりたいんだってね」
「うん!」
「……最低限の戦う術だけは仕込んでおいたけれど、それで本当に通じるかどうかを見極めてくれと書いてあった」
ふと、減点されてたことを思い出す。
合計いくつだったっけ……? いい予感はしない……。
「きみが騎士として足りないものは、知識だ」
「知識?」
「単なる読み書きや算術なんていうものではなくってね。それよりも大事な、人の心の動きや、機微といったものを洞察するための判断材料がきみには圧倒的に欠けてしまっている。だから海賊が報復にきた。そして人が傷つき、海賊も必要以上に死んだ」
そんなこと言われたって、しょうがないと思う。
気がつかないし、思いつきもしなかったことだし。
「だからきみは、騎士になれない」
「……」
「大人しくじい様のところへ帰るのがいいよ。路銀はあるかい?」
「嫌だ」
「嫌だじゃない」
「嫌だもん、ディオニスメリアに行って騎士になる!」
カップに目を向けてからロジオンはテーブルの上で手を組んだ。
「どうして、騎士になりたいんだい?」
「……じい様が、さみしそうだったから」
「って、言うと?」
「この剣、じい様にもらったの」
言いながら剣を鞘に入れたままロジオンに見せる。
「それは値打ちものだよ。かつて、偉い騎士団長が使っていた、由緒正しきものでね。……けれどその騎士団長は誰にも譲らず、どこへ行ったかも分からなくなってしまっていた。どこで手に入れたんだろうね、きみのじい様は」
「……小さい時に夜、目が覚めちゃったらじい様が剣を鞘から出して見つめてた。それが、さみしそうだった」
「……それと騎士が、どう結びつくんだい?」
「オッサンが言ってたの。騎士にとって剣は魂なんだって。だからじい様も、騎士だったのかなって」
「なるほど」
「……厳しいけどじい様が好きだし、いつも怖い顔してたけどしごかれてる時、ちょっとだけ楽しそうだった。だからじい様も、嬉しく思ってくれると、思って……」
「そうかい」
ロジオンが何を考えてるのか分からない。
でもロジオンまで、いつかのじい様と同じようなかなしそうな色を瞳に映した。それからしばらくして、テーブルに出していた封筒を自分の方に寄せて便箋を出す。その2枚目にゆっくりと目を通し始めた。
「……まったく」
「ロジオン?」
「きみは随分な親バカに巡り合えたようだね。……少しだけ羨ましいよ」
親バカ? 何それ?
親代わりのじい様がおバカだってこと?
「そんな顔をするもんじゃないよ。2枚目の手紙は、きみが騎士に足るかどうかを見極めてから読むようにと書いてあった。だから読んだけれど……。どうやらきみは、きみのじい様にも騎士として足りないものが多すぎると予見していたらしい」
「じい様まで……?」
「その上で、足りないものがあるなら僕にきみを鍛えろと書いてあった」
「えっ?」
「……だから親バカって言ったのさ。やれやれ……どうしたものかな」
つまりじい様はダメでもよろしくってロジオンに手紙で頼んでたっていうこと?
最初っからダメな子扱いされてたみたいでちょっと面白くない。だけどあのじい様が、とにかく何でも厳しかったじい様がダメだったらダメなままじゃなくて、ダメなら鍛えてほしいなんて。何だろう、このむずむずしてて恥ずかしいような、でもちょっと浮ついちゃうような気持ち……。
「……少し、身の上話をしよう。
僕にはね、兄がいたんだ。姉さんにとって、弟。けれど生まれて間もなく、病気で死んでしまったと教えられて育ったよ。生家の屋敷の近くに小さいお墓があったけれど姉さんはいつからか、そのお墓参りをやめてしまった。ある人と出会ってからね。空っぽのお墓なんだってさ」
「どういうこと?」
「どんな意図があったかは分からないけれど……病死したということにしなければならなかったんじゃないか、って。その子は産まれてから、レオと呼ばれていたらしい。きみと奇しくも同じだった。何だかそれが不思議に感じられてね。
僕はつまり、次男だった。だから本当は家督を継ぐこともなかったし、病死したとされている兄が生きていたら……きっと僕が失敗を犯すこともなかったと思う。全てが上手くいっていたと思う」
「……そうなの?」
「うん」
「……」
「僕は失敗をした。今さら、騎士として中央に舞い戻って権力闘争に歪んだ騎士団を是正することなんてできやしない。だからね、残酷なことを考えついたんだ」
「どんな?」
「きみを正当なるブレイズフォードの後継者として、騎士団へねじ込む。そうしてきみが、見るに堪えない醜悪な貴族社会に身を投じて、正しい騎士として振る舞い、騎士の使命を全うする。騎士の使命とは王国と、人民を守ることだ。外敵が現れれば率先して敵を殲滅し、無辜の民草が飢餓に苦しむならば己の食い扶持を減らして分け与えながら、尚、戦い続ける。自分のためではなく、他者のために身を犠牲にして戦い続ける使命を負うことこそが騎士の正しい姿勢だよ。
それでもきみは騎士になりたいと思うかい? 想像以上に過酷で、栄光なんてものは総じて虚飾に満ち溢れるとしても」
「うん」
「あっさりというね……。どうして?」
「今、ロジオンが言ったでしょ? 自分のためじゃなくて、他人のためだって。だから、じい様とロジオンのために、なるよ」
ハッキリとロジオンは言わないけど、じい様と同じことを考えていたのかも知れない。
「ねえ、ロジオンとじい様ってどういう関係?」
「……今さらもう、言わない必要はないね。きみのじい様の名前は、エドヴァルド・ブレイズフォード。僕の父親さ。歴代最高と謳われたディオニスメリア騎士団長。後継者を据えることができなかった、その点のみが歴史に汚点として残される最強の騎士さ。僕とは違ってね」
ロジオンの言葉はいつも、悲しく聞こえる。
いつでもきっと、自分の父親のじい様と比べてしまっていたからだって今、分かった。