老けた再会
「何か、地味にレベルが高くなってるよな? 俺が毎日教えてたころと比べると授業の進行が、かなり早い気がする」
「ええ、そうでしょうね」
「何で?」
「識字率がかなり高くなったことが影響していると思いますわ。最近、ユーリエ学校での初めての授業の時、すでに自分の名前が書けるという子も少なくありませんの。特に上のお兄さんやお姉さんがいるような家庭の子は顕著ですわね」
久々に教壇に立って1日過ごすと、色々と時間の経過なんてものを感じさせられた。
このぐらいの時季なら、あの辺をやってるんだろうと来てみればそこより先をやっていたのだ。慌てて朝の内に打ち合わせたものだ。だが、今や名実ともにユーリエ学校の校長という地位に就けたシルヴィアの説明には納得させられた。
「昔は親が字ぃ読めない、算術は足し算と引き算で手一杯って感じが普通だったしなあ」
「ええ。壁新聞も大いに識字率向上に役立っているようですわ」
「だとさ、シオン。良かったな」
「光栄です。ところでシルヴィア校長、頼みたいことがあるのですが」
「壁新聞ならお断りさせていただきますわ」
「なくなりました」
「うわははは、なくなってやんの」
笑うとシオンが困ったような顔をしながらも笑みをこぼした。シルヴィアもほほえむ。
元々は俺の部屋だった校長室でしばらく談笑していたら不意に職員室と続いているドアがノックされ、そこが開いた。入ってきたのは三十路半ばほどの男。栗色の髪に、少し疲れたような表情をしている。一瞬、誰が入ってきたのかと思った。だが俺を見て浮かべた笑みを見て、ピンときてしまった。
「ロージャ?」
「久しぶり」
「バースはどうした!?」
「残念ながら、ディオニスメリアに」
「元気か?」
「元気だよ」
「そうか、なら良かった」
「僕じゃなくてバースか……」
「すまん、すまん。いやでも、久しぶりだな? 何でいきなり? いつ来た?」
「今日だよ」
「マジか。あ、シオン、シルヴィア。こいつはロジオンって言って、ミシェーラの弟で、俺にとっても弟分。リュカとも仲いいんだよ」
「まあ、そうなのですか?」
「もうずっと会っていないけどね」
「……申し遅れましたが、わたくし、シルヴィア・カハールと申します。リュカの、妻の1人です」
「1人?」
「あいつ重婚。3人も嫁さんいる」
「そうだったの?」
「やっぱ驚くよな! あ、座れよ」
「うん、じゃあ失礼……したいんだけど、うーん……」
何やらロジオンが外を気にするような素振りを見せる。すでに茶を出そうとしていたシオンが飲まないのかと動きを止めた。
「連れがいるんだ、ちょっと事情があってね。で、今、姉さんの旦那さんの子どもと一緒に外で待ってて……何だか気になる」
「クラウスなら問題ないだろう」
「ええ、クラウスは優秀な子ですわ。エンセーラム魔法大学にも進んでいますのよ」
「はい。クラウスはエンセーラム王国には珍しい、品行方正さで知られる少年です」
「すごい絶賛されてる……」
「お前ら褒めすぎだろ、マティアスの子どもだぞ!? けっこうあれで追いつめられるとテンパるし、テンパったら色々と残念なとこ見せるからな?」
何かちょっと気になったから言ってやるとシルヴィアが呆れ、だがロジオンは小さく笑ってくれた。
「それじゃあ彼を信用しておくよ。それで、エンセーラムまで来たのは実はレヴェルト卿が一枚噛んでてね。手紙を託されたんだ。受け取ってくれるかい、レオン?」
「オルトから?」
差し出された手紙を受け取る。その場で封を切ろうとしたら、シオンがペーパーナイフを渡してきた。どこから取り出したのか、気になるくらい自然に出てきてしまったので少し驚く。
「さてさて、どんな内容か――」
便箋を開くと見慣れてしまったオルトの筆致が、少し懐かしく感じられた。
内容は簡潔だった。曰く、ロジオンがここへ来た理由。そしてもう1点については、マレドミナ商会へ渡りをつけてもらいたいという頼みだった。
ディオニスメリアの内情についてはちらちらリアンから聞いていた。どうもブレイズフォード前騎士団長殿がその任を降りてしまってからというもの、騎士団から端を発した権力争いのせいで内政が大荒れ中らしい。シグネアーダという新女王が政治をまとめきれていない原因としては、その戴冠は前王の雲隠れによるものだったために家臣の権力への野心が噴出してしまっているからだとリアンが分析をしていた。
そこでオルトは――いや、レヴェルト領は、安定している食料生産をあちこちから頼りにされてしまっているらしい。かくいうロジオンもその1人で、ロジオンが飛ばされた僻地を治める貴族はまったくもって領民を顧みない。騎士が人民を守るのは決して武力だけではなく、空腹からも守ってやらなければならなかった。そこでロジオンもオルトを頼ってレヴェルト領に行き、食料を分けてほしいと嘆願をしたそうだ。その見返りにロジオンは俺へ手紙を届けるよう仰せつかった――という顛末らしい。
こういう手紙を人に託してあっさり届けさせるんだからオルトらしい。
エンセーラム王国へ頼みごとをしたいという手紙を受け取る機会は何度かあったが、それはもう豪華そうな書簡が届けられるのだ。なのにオルトは何の変哲もない封筒へ、便箋を2枚入れてロジオンに持たせただけ。しかも内容も、俺にどうしろとか、エンセーラム王国としてこうしてほしいじゃなくって、ただマレドミナ商会の、ディオニスメリアの、それも南部、東部への何かしらの決定権を持つ人物の紹介を頼むというだけ。商会長のセシリーを紹介しろというわけでもない。
オルトらしい――。
「手紙には何と?」
「ん、大したことなかったわ。とりあえず持っててくれ、シオン」
「は」
手紙をシオンに預けてから茶をすすってソファーを立つ。俺と同じタイミングで茶を飲んだロジオンが、少しだけティーカップを見つめた。
「うまいか?」
「あまり、味合わないなと思って」
「俺の特製。何だかんだ、10年くらい、茶ぁ作ってるわ、趣味で……」
「レオンが、お茶? 何だか……年取ったね」
「互いにな」
小さく笑い合った。
ロジオンからすれば俺は老けたように見えるだろうが、俺もロジオンを見て老けたように見えてしまうのだ。年だってそうは変わらないのに、互いに相手がおじさんになったものと思わせられる。
「ほら、あの子がレオだよ」
「ほほーう、懐かしい呼ばれ方された気分……」
「レオンって、レオなんて呼ばれたことがあるの?」
「まあ、ちっせえころに、ごくごく限られたやつにだけ? 嫌だったんだけど、学院時代に寮の先輩が呼んできた覚えがある」
校庭でクラウスが遊ばれているのを遠目に見ながら、近づいていく。
レオという子どもが鞘に入れたままの剣で一方的にクラウスへ突きを入れようとし、クラウスはそれを身構えながら避けたり、手で挟みとろうとしている。意外と鋭い一撃を繰り出してはクラウスの体には当てられず、引いてからまた呼吸を入れてフェイントを仕掛けたりと遊ぶようにして次を仕掛ける。
「ほっ」
「っとと、セーフ」
「やるね、クラウス」
「そっちこそ」
「仲良くなってるじゃねえか、クラウス。ラルフとうちの子に妬かれるぞ?」
「あ、陛下」
「陛下よせ、今は先生だ」
「面倒だなこの人……」
「うわははは、とうとうクラウスにまで言われた!」
最近、ガキどもの世代にまで馴れ馴れしくされるのも楽しく感じてしまう。クラウスなんてミシェーラの教育が良かったのか、国で1番、品行方正かも知れない子どもに数えられている。なのに素で面倒だなんて言われたら笑うしかないというものである。
「この人が王様?」
「そーだ、王様だ。敬わなくていいぞ」
「うん、敬う必要はない。変にかしこまると、さっきみたいに面倒なこと言っちゃうから」
「クラウス、お前、最近ちょっと疲れてきてるだろ? 人間関係とか」
「えっ……」
何で分かったとばかりにクラウスが俺を凝視して、それからハッと顔ごと目を逸らした。それを笑ってやると顔が赤くなる。フィリアにディーに、それにラルフ――いつもクラウスがつるんでる連中っていうのが、何かと面倒ごとをクラウスに押しつけるということを知っている。だからちょっとやさぐれてきているんだろうとはすぐ分かってしまった。
「ねえ王様」
「おう、何だ?」
「今やってたクラウスとやってた遊び、ちょっとしようよ? すごく強いって聞いたことあるよ」
「いいぜ? フェイントは何回やってもいいけど、当てるつもりなのは2回だけってルールでいいか?」
「いいよ!」
元気じゃねえか、レオ。
こういう元気なお子様は好きだ。
鞘に入れたままの剣をレオが構え直し、ズルかも知れないが俺は魔偽皮を発動する。体表面に薄く膜を張るように魔力を広げ、それとともに反射神経を劇的に引き上げる。こういう遊びじゃあ、ズルとしか言えない技だ。
「行くよ? 行っちゃうよ、王様?」
「来い、来い、いくらでも来い。あ、フェイントは当てたらフェイントじゃなくなるからな? 俺の体にちょっとでも触れたら、な?」
「やめた方がいいよ、レオ。陛下はズルい魔法が使えるから」
「クラウス、しーっ――ととっ!?」
「あ、惜しい!」
クラウスに黙ってもらおうと指を立てて唇へ当てかけたらフェイントなしにレオが攻撃をかけてきていた。それを左手で掴んで止める。
「あと1回だぜ」
「フェイントで砂利とか蹴るの有り?」
「なし」
「ちぇっ」
「ま、発想はいいんじゃねえの?」
狡猾さっていうのは戦いにおいて大事な要素だ。
そういう考えを発送するっていうのは褒められるだろう。
「王様って、女の人好き?」
「好きだぜ?」
「お胸とお尻、どっち派?」
「マセガキめ。俺は断然、おっぱい派だぜ」
「お尻だよ、お尻!」
「ほほう、俺におっぱいお尻論争を挑むか。ろくに経験もねえくせに」
「お尻はね、大きくても小さくてもいいんだよ、王様!」
「おっぱいだってそうだ!!」
脇でクラウスがシオンに変な顔を見せていた。曰く、小学校の夕方の校庭で何をしてるんだ、っていうような。シオンはシオンで、何も言えなさそうな難しい表情をしてしまっている。シルヴィアは完全に白けた面である。
「ぷりぷりもいいし、どっしーんってしててもそれはそれだよ!」
「おっぱいも然り! むしろ? おっぱいには乳首というものがある」
「ち、乳首?」
「そう。あの豊かなものも、なだらかな丘のようなものにも、その頂点には乳首という魅惑のぽっちがあるッ!!」
「魅惑の、ぽっち……!?」
「ふ――おっぱいお尻論争、ここに終結!」
「えい」
「あ痛っ」
論争の完勝で悦に浸った瞬間、脛を叩かれた。
「いえーい、勝った勝ったー!」
「ずっりいぞ、お前!?」
「正直、お胸とかお尻とかどうでもいいもーん!」
「クッソ、全然マセてねえ!? こうしてやらあっ!」
「わ、わっ!? あははっ、もっともっと!」
担ぐようにレオを肩へ持ち上げてそのままグルグル回ってやると楽しそうな声をあげてきた。目が回ってそのまま放り投げると、レオも地面を転がりながら笑っている。
「大丈夫ですか、レオンハルト様?」
「おう、へーき、へーき」
シオンに支えられるが、まだ目は回っている。クラウスがレオにも手を差し出して立つのを助けていた。
「んじゃあ、今日は宴だな。シオン、先に戻って宴だって伝えてきてくれ」
「かしこまりました」
「シルヴィア、リュカ借りるからな」
「どうぞ」
「レオ、クラウス、ロジオン。行くぞ。俺んチ来い」
「僕も?」
「ん、嫌か?」
「母さんが帰ってこいって」
「ミシェーラが言うんじゃあ、一度帰れ。許す」
そういうわけでクラウスは一度、先に帰した。
シルヴィアも昔はユーリエ島に住んでいたが、今やベリル島の住人だ。リュカとマルタがそれぞれ管理している、雷神と灯火神の礼拝堂近くに孤児院があって、そこに血は繋がっていない大家族で暮らしている。だからクラウス以外とは全員で小舟へ乗り込んでわいわいと帰った。




