冷たい人間
バルボスの遺体を奪った海賊船で港まで運ぶと、すぐにダイアンシア・ポートの役人が現れた。遺体を引き渡すとその場で簡単な礼の言葉が述べられて、改めて市長に会ってもらいたいとも言われた。
ヴェッカースターム大陸を統治する王はいない。町や村、集落それぞれのコミュニティーがあり、その中で様々な形で代表者が存在するという。そしてダイアンシア・ポートを統治するのは、大熊族のラウレンス大老。真っ白になった毛の大熊族の老人であるが、やはりその種族の名に恥じぬ巨躯の持ち主だった。
「――そうか、エンセーラムへの船便を早く出したいがために、単独で荒血バルボスを。小さき体で、素晴らしい勇気と言えよう」
「おじいちゃん、おっきいね」
「小さき人族からすればそうじゃろうのう」
僕は単なるレオの保護者として、この場に同席している。
ラウレンス大老が出した茶はヴェッカースタームで生産されているらしい。どんなものかとも思ったが、意外と香りも良い。ただ砂糖を入れすぎのような気もしてしまう。獣人族は総じて甘いもの好きだから、だろうか。
「それと…………ああ、すまぬ、年のせいか、最近は物忘れが激しくてのう。何という名前じゃったか?」
「レオだよ、おじいちゃん」
「そうかそうか、レオじゃったか。……んむ? エンセーラムの王と同じ名か?」
「エンセーラム王はレオンハルトですよ、大老」
「ああ、そうじゃったか」
そっと口を挟むと大老は納得したようにそう言って茶を飲む。
「そうじゃ、レオや。この茶は砂糖でもうまいが、蜂蜜を入れるとさらにうまい。わしのを分けてやる、入れてみい?」
「蜂蜜入れちゃうの?」
「たっぷり、たっぷり、もっと入れてみい?」
「ええ? まだ入れちゃうの?」
というか、大老の真横へ座って身を寄せるようにしているレオは大物なのか、おじいちゃんっ子なのか――。
どうしてこういう場でこんな一見ほほえましいものを見ているんだろうと思わせられる。でもあの人懐っこさが、もしかすれば父さんの心をほぐしたのかも知れない。
「甘っ、甘すぎだよぉ……」
「それがいいんじゃ」
「ええー? んー、でも、これはこれで……?」
「大老、大老っ、大変です!」
いきなりドアが開け放たれて若い獣人の男性が入ってくる。尻尾の毛並みが、いい。艶のある黒い毛。猫だろうか。
「バルボス海賊団の残党が攻めてきて、港が!」
「何と……? す、すぐに対処をさせなさい。住民の避難を急がせて、それから……」
「おじいちゃん! 行くよ、すぐ! ロジオンも、来て!」
「減点20――」
告げるとレオは少しむくれた顔をしたけどすぐに部屋を飛び出していった。
魔剣技――それはブレイズフォードの奥義書にのみ伝えられ、それでのみ伝授を許された秘奥の技術。
そんなものまでレオに仕込んだというのは驚かされた。だがレオは、それをただ教えられて表面だけを真似られる程度にしか習得をできていなかった。そして魔剣技の必殺の意図さえも知らなかった。披露するからには必殺、必勝。領地を持たずして侯爵の地位に上り、代々、騎士団長を輩出してきたブレイズフォード家の何より価値ある宝であるのが魔剣技なのだ。それが稚拙であって良いはずがなかった。だから減点30。
そしてバルボスを失った海賊団がどういう行動に出るのか、という点を失念して全て解決と思い込んだ能天気な思考。それきりで危機感を何もかも失っていたから、減点20を告げた。
きっと僕は教官には向いていないだろうと、我ながら思うのだ。
他人にやさしくないつもりはないし、割と他人に丁寧な方だとも思う。それでも仮にも、教え導く立場の者が、その教える相手に嫉妬めいた感情を抱いては失格と言わざるをえないはずだろう。自明の理だ。
「どれだけ海賊、いるの……!?」
「略奪した大型船が計5隻分。アジト分、100人を削ったとしてもざっと、400人以上――いや500人かな」
「そんなにいたの!?」
「きみは知ろうともしなかったことだよ。知ることは力になる。そんなことさえ分からないから、減点10だ」
「今、合計で60くらい減点?」
「そうだね」
「最初の持ち点は?」
「さあ」
「0点になったらどうなっちゃうの?」
「さあね――。死にはしないよ。この状況と違って、最悪が起きても」
港へつけて火を放ち、怒りのままに暴れ狂う海賊。
だが救援に当たる人員の内、海賊を相手に立ち回れる者はそう多くはない。自分の身は自分で守る、という価値観が獣人族には根強いなんて聞いちゃいたけど、異なる種族同士が集まるダイアンシア・ポートではあまりそうは見えない。一言に獣人族はこうだ、と決めつけられないんだろうとは思っていたが、なるほど、百聞は一見に如かずだ。
「船長の仇、死にやがれぇ!」
「悪党が悪党らしい末路を辿っただけだよ――」
海賊を切り倒し、邪魔だから蹴り飛ばす。
性根がどこかで叩き曲げられた悪党なんて、また暴力的に叩き直されるだけだ。多少の痛い目で直れば良し、そうでなければ死をもって贖うしかない。
「ロジオンって、意外と冷たい……」
「……そうだね。気づけば僕は冷たい人間になってたと思う」
人は純真なままではいられない。だからそれは尊ばれるのだ。
「だからこうなって、少なからぬ民の被害が出ると知っていながら、きみに何も言わずにいた」
「えっ?」
「海賊なんて道徳心を捨てた悪党どもの集団さ。彼らがバルボスの持つ、強さだったのか、行動だったのか、何らかの徳を感じて、その下に集っていたことを考えれば報復という行動に出る可能性は高かった。あらかじめ網を張って一網打尽にする罠をしかけるだとか、襲撃をしてバルボスを討ちとっただけに留まらず、反抗の意思を完全に潰すための行動を取っておくべきだったんだ」
「……だから、減点20?」
「そう。冷たいっていうか、酷い」
「そうだね」
ちょっと侮蔑めいた一言だった。いや、軽蔑しただろうと思う。
それでも失敗は見せつけていかないといけない。犯してしまった過ちは、いつまでも影のようにつきまとう。だから直視しなければならない。犯した過ちに胸が焼かれるような想いを抱えながら、前進するための反省をしなければならないのだ。
「でもロジオンは、そういう考え方なんだね」
「嫌かい?」
「嫌だけど、オッサンが言ってたよ。大人は色んなことがあって考え方が固まるから、可哀そうな考えをしちゃう人は哀れんであげたらいいって」
「それじゃあ僕より、目の前の彼らを哀れんであげるといいよ――」
傷つけて殺すか、動けないほどの苦痛を与えられるか、そんな選択肢しかもらえなかった海賊。どこかで誰かが救いの手を差し伸べていれば異なる結末があったかも知れないのに、ついぞそれを掴み取ることはできなかった。だから彼らは倒れていく。死んでいく。哀れな死者の列へ加わりに向かう。
それとも生きながら、半ば死んでいるも同然の僕の方が哀れな存在なんだろうか。