ロジオン・ブレイズフォード
ロジオン・ブレイズフォードという名前はディオニスメリア王国騎士団において、一時はよく知られるものだった。
前騎士団長であるエドヴァルド・ブレイズフォードの息子。代々、騎士団長を輩出してきたブレイズフォード家の嫡男として入団してきた折、誰もがロジオン・ブレイズフォードに近づこうとした。華々しい活躍を上げ、誰もが羨望するほどの手柄を立てるのだろうと予想をした。
だがその期待は裏切られることになる。
第八魔法隊に配属された彼は、戦略魔法の研究という任を与えられた。その発動実験において責任者であったロジオン・ブレイズフォードはあろうことか暴発を引き起こし、レマニ平原に居合わせた大勢の人間を瞬時にまとめて消し飛ばした。――以来、1年の謹慎が明けて以降の彼は僻地守護を任ぜられ、人々からは嘲笑の的となり、次第に忘れられていった。
それから――様々なことがあった。
国王の崩御、新国王の即位。エドヴァルド・ブレイズフォードの退任。新騎士団長の就任。騎士団への不信から始まった王都治安の乱れと、そこから波及していった王国全土の治安悪化。それに伴う農地の荒れ。それから食糧難へ続くのはすぐのことだった。しかし貴族の多くは騎士団に端を発した権力争いにしか興味がなかった。彼らは領民の飢えなど知ろうともしない。
「レヴェルト卿の治世は多くの貴族が見倣うべきでしょう。この情勢下においても食糧生産は安定していて、民が飢えていることもない。どころか飢餓を免れるために生まれ育った土地を捨てて移民が押し寄せてくる。もっともそのせいで、安定していた治世にも亀裂が生じることになっているかも知れませんが」
「それで? 一体、わたしに何の用事だろうか。ご覧の通り、庭木の手入れで忙しい。新しく雇った庭師が大変な家族思いで、今日は娘のために1日遊び相手になるのだとかで」
オルトヴィーン・レヴェルトは自然体に答える。言っている内容を除けば嫌味のような口調ではない。大領主が自ら、自分の邸宅の庭木手入れをするなんてどうかと思うが変わり者のレヴェルト卿ならばと思わないでもない。恐らく、自分の領地が荒れ果てて、どうにか援助を求めようとした貴族はこのタイミングで何かしらのリアクションを起こすだろう。
態度に対して憤懣したり、貴族の身で庭いじりをすることが品位を貶めるのだと言いだしたり、色々と想像はつく。レヴェルト卿もそれを見越して、こんな応対を客人にぶつけているのかも知れない。
「ご助力を願いたく」
「ほう。どんな」
「わたしの任地を治めているのはアルシェ子爵ですが、王都より戻ることはなく民の寄る辺がありません。そこで辺境守護の任を与えられているわたしが、彼らの声に応えてあなたに助力を求めて参りました。彼らは飢えています。賊に畑を荒らされてしまい、収穫間際の作物が焼き尽くされました。残った僅かなものを、分けながら食べる始末です。どうにか野山へ入って獲物を狩って凌いでいますが、それもいつまで保つか分かりません。冬を凌ぐだけの食料をいただきたく。このような願いを受け入れていただけるのはあなただけなのです」
「ふふ、家の隆盛というのは面白いものだ。あのブレイズフォード家の者が、今では無辜の民のためにわたしのような辺境の貴族に頭を下げるのだから。……もっともわたしは、これまで機会がなかっただけできみの家には興味があった。ファビオ、続きを誰かに頼んでおいてくれ。それからお茶を淹れてくれ。彼と話をする。ようこそ、ロジオン・ブレイズフォード。改めて客人として迎えよう」
貴族社会を毛嫌いしていることで変人と名高いレヴェルト卿は、しかし民には善良な貴族である。
そんな相手に興味があったと言われると色々と勘繰りたいことができてしまうが、ひとまずは一筋の希望が生まれた。
「ところできみは、レオンと懇意にしているのかな」
「え?」
難しい条件を突きつけられることもなく交渉がまとまりかけた折に、不意にレヴェルト卿がそんなことを言った。
彼の書斎は綺麗に片づけられていて、従者であるエルフ2名がレヴェルト卿の後ろへ立っている。凄まじい光景だ。エルフの美しさに男女の差はないというのが理解できる。レヴェルト卿の後ろにある窓から差す光を背負っていると、後光が差すかのように見えてしまうのだ。
「最近は彼も、周りにとやかく言われてふらりと遊びにこられなくなってしまったらしい。きみは最後にいつ会った」
「ずっと昔になります。……僕が辺境守護を任ぜられる前ですから、もう15、6年。17年? 18年?」
「なるほど、かなり昔と言える。どうだろうか。きみに助力する見返りにエンセーラムまで行ってもらうのは」
「……それが、見返りですか」
「そう。手紙を一通届けてもらいたい。それから、エンセーラムから戻ったらまたここへ来て、土産話をしてもらいたい。エンセーラムから――では少し遅いか。食料は定期的に届ける必要もあるだろうから、きみがここから発つのと同時に第一弾を送らせる。ジェニスーザ・ポートから手紙を一通、乗船券を添えて送っておくれ。そうすれば第二段を送る。ダイアンシア・ポートから手紙を送れば第三弾を送る。エンセーラムからで第四弾、と――そういったことにしよう」
「な、なるほど……。定期報告の度、食料を送ってくださると」
「それで? 今夜は泊まってもらっても構わないが、どうするかね」
「すぐにでも」
「そう言ってくれると思った。手紙はすでに用意してある」
すぐに馬を駆ってメルクロスを発つことにした。
エンセーラムまでは、ここからだとどれほどかかるだろう。長旅になりそうだし、残してきたバースが心配にもなるけど、大丈夫だろうと思って馬をさらに速く進ませることにした。
父さんが騎士団を去ってから十数年。処分をできる財産のほぼ全てを処分してしまい、金に換えてから僕へ届けさせると、身ひとつで父はどこかへと旅へ出ていった。最後に会った時、もう会うことはないだろうと言われた。旅先で隠居でもするつもりなのか、それとも旅の中で余生を過ごすかは分からないが、退任後の地位などに目もくれずに去っていったのは、あの当時にしてこういう未来になると予測していたのかも知れない。
ほんの十年とちょっと。ただそれだけで、保たれていた平和が消えうせた。
そうして苦しめられるのはただ巻き添えを食らうだけの民だというのに、貴族が見る世界において領民は勝手に生まれて勝手に育ち、ただ食料を生産するだけの存在にしか思っていない。病をもたらす虫やげっ歯類のように思っている貴族もいるだろう。
そんな態度を敏感に彼らは感じ取り、貴族が作り、貴族が政治をする社会に対しても怒りを剥き出しにする。結果として暴力的衝動に味を占めた一部の民は貴族にその怒りの矛先を向けるようになっていった。
「爵位くれえ教えてくれないか、騎士様よぉ?」
「それによっちゃ身代金と扱いが違うからな、ハハハ」
「嘘はつくんじゃねえぞ」
街道の一部を封鎖して彼らは僕の前へ立ちふさがってきた。めいめい、武器を手にしている。貴族狩りという彼らのこのストレス発散を兼ねた遊びは各地に飛び火してしまっている。
「やめた方がいい。怪我をするし、その行動が他の貴族を刺激して、さらに溝を深めていく」
「スカしてんじゃあねえ。爵位を言え、家を教えろ。そうすれば命は助けてやる」
「……ロジオン・ブレイズフォード。侯爵だよ」
「侯爵? 今までで最高位だぜ、聞いたかよ!」
興奮したように騒ぎ出した彼らに言葉は通じないだろう。馬を降りてから、馬の尻を軽く叩いてどかせる。そうしながら剣を抜いて10人はいる人々に歩んでいく。
「きみ達は本物の騎士を知らない」
「じゃあてめえが本物の騎士だってえのか? やっちまえ——!」
槍や剣を手に彼らが襲いかかってくる。
ディオニスメリアの騎士は、一騎当千と言われている。だがそれはひと昔も前の話で、質の低下によって当時の強さを備えた騎士はいなくなった。この国において、この僕だけを残して――と自称をしている。




