巡り合わせの銛
「なあ、じいさん。そのじいさん愛用の銛ってさ、アーバインってやつにもらったんだろ?」
何かと慌ただしくしていたレオンが、急に暇になったと言ってワシを釣りに誘った。2人で釣り糸を垂らし、のんびりしていたらそんなことを言ってきた。
「んむ……。もう随分と昔のことだがの」
「どれくらい?」
「そうだのう……。バットが赤ん坊だったころだ」
「バット? バットが赤ん坊っつーと……ああ、まあ、確かに随分と昔かもな。
いやさ、アーバインってじいさんは知らないかも知らねえかもだけど、けっこう有名な鍛冶らしいんだ。で、そのアーバインの武器ってやつは多少は見てきたけど、本人についてはさっぱり知らねえなと思ってさ。直接会ったんだろ? どんなやつだったんだ?」
またこいつは変なことに興味を持つ。
アーバインがどんなやつか、と改めて問われると少し悩まされた。
「変なやつだったのう」
「どう、変だったんだ?」
「ある日、急に現れてワシの魚を食うておったわ。魚を1匹返せと言ったら、指輪をぽんと寄越してのう。魚と指輪が釣り合わぬのなら、もうしばらく食事を恵めと……確かそんな経緯で、数日だったか、数十日だったか、あの小屋に居着いたのだ」
「そりゃまた、確かに変なやつだ……」
鼻で笑いながらレオンが釣り糸を垂らしている竿を少し揺らした。
「老人だった」
「よぼよぼの?」
「んむ……一見すると吹けば飛びそうな老人だったが、足腰はしっかりしておったのう。今のワシと同じほどだろうて」
「よせよせ、じいさんは同年齢のジジイどもと比べたら最強すぎて比較になりゃしねえよ」
こやつはワシを何と思っておるのか。しかし、まあ良しとするか。
もし寝たきりになどなれば、エノラにも世話をかけてしまう。ようやく家庭を築いたレオンの荷物にはなるまいて。フィリアも生まれたばかりだというのに、こんな老いぼれが余計な迷惑をかけられぬ。
「んで?」
「アーバインか……。ろくに覚えてはおらん、今となっては」
「なーんだ、つまんねえの……」
肩を落としてレオンは腰掛けている岩から足をぶらぶらと振った。こういう仕草は幼かったころと変わらぬように思える。
そう言えば――アーバインとは妙な問答をしたか。
いかなる望みも叶うとして、何を望むかというものであったような気がする。
どれだけ頭をひねってもとんと望みなどというものは出てこず、しかし、ふっと思い浮かんだことを言った。
『どうせならば、ワシはもう少し……あの小さく、弱く、だがふっくらとした、赤ん坊というのをまた抱きたかったものだ』
幼い子どもや、赤ん坊というのは好きだった。
泣けばうるさく、誰かが世話をしてやらんといけない手のかかる存在だが、それを差し引いてかわいいものだ。ふっくらとした愛らしい見た目と言い、汚れを知らぬ無垢でキラキラとした目と言い、腕に抱いた時の壊れてしまいそうなほど弱く感じてしまうところと言い、たまらなく愛おしく守ってやらねばならぬ存在なのだと思わせられる。
だが、あまり息子のカークを生まれてすぐのころに抱いてはやれんかった。
それが少し心残りであったと思い出し、そうアーバインに言ったものだ。
アーバインは、その問答をした直後に姿を消した。
かと思えば、また戻ってきて銛をワシに渡したのだ。いつの間にやら、アーバインにもらったということさえ忘れかけながらずっと使ってきた。しかし思い返せばアーバインの銛を使うようになってからというもの、獲物に恵まれなかった日はなかった。1匹の魚も獲れぬ日があったはずであったのに、いつも最低でも1匹は手に入れられるようになっていた。どんな嵐の日であっても。
そして確かに、ワシが思い残していた希望というものは叶えられてしまった。
いや、それ以上にたくさんの幸福がワシの身には降りかかってきたようにも思える。それが銛と関係あるのかは分からぬが。
「アーバインが作ったもんってさ」
「ん? 何だ?」
「単純な切れ味とか、頑丈さっていうのじゃなくて、何か特別な力があるんだと。しかも道具に選ばれたやつしか、その力は引き出せないとかで……。オルトが持ってた短剣は剣の先にちょっとだけど光が灯るようなやつだった。ロビンとマティアスが持ってる剣はさ、握ってると呼吸が合うんだ。そういう……妙な力ってやつが、じいさんが持ってる銛にもあったりすんのかなーってちょっと思ってたんだけど……ないよな?」
「……ふむ」
「だよなぁ……」
勝手に早合点し、レオンはないと思ったようだが――なるほど、銛の力やも知れぬと思うことはある。
カークがワシに会いにきて、ともに暮らそうと言った。
心のどこかで気にしていたカークとの再会は態度に出さぬようにしていたが嬉しくないはずがなかった。
そして孫やひ孫と会うことができた。やりきれぬことにキャスを残して家族は失ってしまったが、その矢先に大きくなったレオンとの再会を果たしてしまった。
漁だけではなく、人と人との出会いにまでこの銛が影響していたのかと思わず考えてしまう。
それに、何よりも……。
「今日はボウズか……? 全然、食いつきそうにねえな」
竿を上下に軽く揺らしてレオンがぼやく。
と、ワシの竿に僅かな力がかかったのを感じた。魚が餌をついばんでいる。レオンはまだワシのあたりには気がついておらぬようだった。魚が食いついてくるのを待ち、手応えがパッと強くなったのを感じて竿を振り上げた。
「うおっ!?」
「タモを持て、レオン」
「あいあい、あいよ……っと!」
釣りあげた魚をレオンが手持ち網ですくった。
体をはねさせて水飛沫を上げる魚。水も魚の鱗も、陽光を反射してキラキラと輝いている。
「何で俺にはさっぱりで、じいさんにはあたりがくるんだ?」
「腕の違いだ」
「はあっ? んなの、納得できるか。決めた、もうちょい粘る。つきあってくれよ、じいさん」
「いいだろう。ワシの方が釣れるがのう」
「ハッ、絶対にじいさんより大物釣ってやるからなぁ?」
ムキになってレオンがじいっと揺らぐ海面を睨みつけた。
針を魚から外し、餌をつけ直してまた海へ垂らす。
この銛は、きっと特別な力を持っているだろう。
アーバインは己が、何かを作ってやりたくなる者と巡り会うのだと言っていた。その言葉を借りるのであれば、この銛もまた、巡り合わせの銛と言えよう。ワシが食いっぱぐれぬようにと毎日、魚と巡り会わせてくれている。そして、叶わぬだろうと思っていたことさえも実現させてくれた。
「餌か、餌が違うのか? いや、餌に間違いはないはず……」
ぶつぶつと言いながらレオンは海の底を険しい顔で睨んでいる。
その顔がふと、昔の――赤ん坊であったころのレオンの顔と重なって見えた。
ノーマン・ポートの近くの小屋に居着いて、何十年かが経ったころ。
海から何かが流れてきたのを、偶然にもワシは見つけた。小舟を出して釣りをしていたころだった。海から漂ってきたカゴのようなものを見て目を見張り、近くまで小舟を漕ぎ、銛を使ってそのカゴをひょいと持ち上げた。
そこに赤子が入っていた。
カゴにつけられていたネームプレートは読むのに難儀させられたが、どうにかワシにも読み取れた。しかし家名がなく、恐らくは不幸な境遇で海をさまよってしまったのだろうと考えた。すやすやと何も心配をすることもなさそうに眠っている穏やかな顔は、大物になるだろうなという予感を抱かせた。はたして、それはある意味で的中したと言えるだろう。
小屋に赤子を連れ帰り、腹をすかせるかも知れぬと思って離乳食を作ろうと思い至った。海や林をうろうろしながら離乳食にできそうな食材をかき集めて戻った。するとどうやら漏らしていたようであったので、尻を拭いてやり、その途中に目を覚ましたのだ。目が合った時、きょとんとしたようなその顔に思わず見とれた。ああ、やはり赤子というのはどうしてこうかわいいものか、と。
『おお、目が覚めたかい……?』
そう声をかけても泣きもせず、くりくりとした丸い目でワシを見つめていた。
この巡り合わせこそが、かつてワシが口にした希望をアーバインが叶えたものだったのだろう。
「む……またワシだ」
「またかよっ? どうなってんだ、じいさん?」
手の中に魚が食いついてきている感触を覚えて竿を握り直すと、レオンが渋い顔をする。
「なあに、まだまだワシは現役ということだ」
「死ぬまで現役だろうよ、じいさんは」
「タモを持て」
「あいあい、いつでもこい」
「んむ、それで良い」
魚が食いついた感触で、一気に竿を上げた。
再び魚影が空に舞う。レオンが身を乗り出して網ですくいにかかったが、その拍子にバランスを崩したようだった。
「うおっ!?」
「レオン――?」
そして、盛大に水飛沫を上げながらレオンが海へ落ちた。
すぐに海面から顔を出し、うんざりしたような顔をしていた。
「まったく、しようのないやつだの」
「いいから引き上げてくれよ、じいさん」
「ほれ、届くか」
「んっ……よし、っと」
手を差し伸べると、レオンが掴んだ。
銛を地面に突き立て、それを支えに引っ張り上げる。すぐにレオンは引き上げられた。
「はぁ……やっぱ、じいさんは最強だな。普通、こんなに簡単に大人を引き上げられねえよ。どんな膂力だ」
「当然だろう。ワシはお前の育ての親だ」
「そりゃごもっともだな。はっはっは!」
「はっはっは!」
ワシらは何が愉快かも分からず、笑い合った。
のう、アーバインや。
お主がくれた銛は確かに気に入った。
たくさんのものをワシと巡り会わせてくれた。
この年になって、また何かに感謝をすることが増えてしまった。
アーバインや、ありがとう。お陰でワシは最期の時まで楽しく過ごせそうだ。




