漁師と鍛冶師
「何だ、お前は?」
三つ又の銛をわたしに向け、その男が問う。
わたしはワタを抜かれ、串に打たれて遠火で焼かれた魚を頬張り、その身のふっくらした焼き上がりに舌鼓を打ってから答えることとした。
「旅をしている。鍛冶屋のような者じゃ」
「そうではない。どうして、ワシが釣った魚を悪びれもせず、堂々とむしゃむしゃ食べているのかと言っているんだ」
キッと吊り上げられた目はわたしを非難しているようであった。
向けられている銛を見て、それが随分と使い込まれたものと知る。ものは普通である。しかし痛んでいるということもなく、棹に歪みなども見られない。特別な何かがあるわけではない、ただの二束三文の銛。
「良い腕をしておる。魚の礼じゃ、わたしが何か打ってやろう」
「いらん」
「……いらんのか?」
「それよりも魚を返せ。ワシの昼飯だ」
男は黒々とした髭を蓄えていた。白いものが混じっているが黒い髪は長く、うなじでひとまとめに縛って背中に垂らしている。上半身は脱いでおり、その体には逞しい筋肉が見て取れた。大男というほどではないが、小柄だというわけでもない。年のころはもうすぐ50に届くか、というころであろうか。にも関わらず、この体つきであるならば長生きをするだろう。人を見る目には自信がある。あと40年は生きよう。人間にしては長命な方になるか。うむ、良い御仁である。
「魚は食うてしまったから、これで勘弁はしてもらえんかのう?」
言いながら懐をまさぐって、指輪を差し出す。最近、都の方で流行をしているという模様が彫り込まれた指輪。これが流行りなのかと思って、何の気もなしに買っておいたが彫りは稚拙で、ところどころ線も歪んでいる。それでも銀貨12枚という値打ちのもの。ワシには必要のないものであった。
「これは、指輪か?」
「んむ、指輪じゃ。わたしは銀貨12枚で買った」
「銀貨12枚っ? ……魚1匹分でいい、別のものを寄越せ。貴族か何かか?」
「わたしは貴族などではない。それに他に持っておるものと言えば、どれも必要なものじゃ。わたしにその指輪は必要がないからのう、こいつで許してはくれぬか」
しばし男は指輪を見つめたまま悩み、それから受け取った。
「ワシには似合わんな……。物入りになった時のために取っておくか」
「それだけあれば数日は遊べよう? そうはせんのかの?」
「毎日遊んでいる」
「ほう? 何をしているのじゃ?」
「この海を見ろ。ワシの遊び場は大昔から、ここだ」
そう言って男は背後にしていた海の方へ体を開いた。
寄せては返す白い波。青くうねる海がどこまでも続いてる。海面は光を反射してきらめき、時折、魚が海に飛び込んでは獲物をとらえて飛び上がる。
「ほっほ……これが遊び場か。なるほどのう、ますます気に入ってしもうたわ。名は何と言うのじゃ?」
「……チェスターだ」
「わたしはアーバインじゃ。どうじゃろうか、チェスター殿」
「む、何がだ?」
「その指輪が、どうも魚1匹と釣り合わんで少々もやつくところがあるのなら……しばしの間だけでも、わたしに魚を恵んでくれるというのは」
「逗留先を求めているのなら、半日も歩けばノーマン・ポートというところがあるぞ」
「そういう事情ではなくてのう……。それにわたしは人混みというのは苦手での」
「……ワシも人混みは苦手だ」
「が、良い腕の漁師がとる魚というのがこれほどうまいもんとは長いこと生きてきて、初めて知ったような心地なのじゃ」
「いいだろう。魚だけでいいのか?」
「ご馳走をしてくれるのならば食べよう。ああ……けれどわたしは足のある生き物の肉は食えんのじゃよ」
「分かった。この指輪分の食事くらいは面倒を見てやろう」
そうしてわたしはチェスターとともに、しばしの生活をすることとなる。
この漁師はきっと面白いだろうという予感があった。
チェスターの生活は自給自足で質素なものであった。
家族はいないのかと問えば、伴侶は病で亡くしたと聞いた。一人息子は漁師になることを厭って出ていった、とも。そうして今はこの海辺に建てた小屋でひとりきりで暮らしているらしい。
「寂しくはないのかの? ふと、気がついた時に……このまま孤独に死んでいくのではないか、などと考えたりはせんのか?」
わたしは興味本位でそう尋ねた。
するとチェスターはピンとこない、とばかりに首を傾げる。
「ワシゃ、好きに生きている。好きに、海に生かしてもらっている。だから後悔はしないだろうし、このままでいいとも思っている。カークには……息子には同じく漁師になってもらいたかったが、嫌がるのを無理にさせるものでもないだろう」
「好きに生き、生かしてもっておる……か。よほど海が好きなんじゃのう。何が良い?」
「美しく、やさしく、おそろしい。1日ずっと見ていられる。1年でも、10年でも、生涯、ワシは海さえ見ておれば良いとも思っている。海というのは不思議にもワシの心を惹いてやまないのだ」
海に魅せられた男、か。
孤独でありながら強く、孤独に片肘を張ることなく自然体で受け入れる。
なるほど、この男は海のような大きな器を持っているのやも知れぬ。
数日が過ぎた。
チェスターは毎朝早くに起きて海へ漁に出る。素潜り漁を主としているが、近くの磯で銛突きをして獲物を仕留めることもあった。しかし、毎朝、獲物に恵まれるというわけでもない。銛突きでは何も獲れずに引き返してくることがある。そういう時は網を持ち出し、小舟でそれを海へ放り込んでから陸に戻り、地引き網なる漁法で魚を得ていた。しかし、これも天気が悪い時は舟を出せぬという理由でなしにし、朝食は小屋の裏にある林の中から手に入れるというようなこともしているようであった。
朝食を済ませると漁具の点検が始まる。金具がダメになってうんうんと唸りながら悩んでいるのを見たので、代わりとなるようにわたしが作ってやると目を大きくした。わたしは武具が専門ではあるが、金属を形の通りに作るという程度のことならば雑作もないことである。
わたしがチェスターの暮らしぶりを見るようになってから1度だけ、ノーマン・ポートなる近くの港町へ出かけた。
朝に獲れた魚を箱に詰めて凍結魔法で凍らせ、それを引きずっていくのだ。港町で顔見知りの組合にその魚を売って金を得ると、それで自分では賄えない道具などを買う。衣類であったり、漁具の修繕に使う道具であったりした。
人混みは苦手だと言っていたが、チェスターは人嫌いではない。
それに子どもが好きなようであった。漁港に魚を持ち込み、組合の者に魚を見せている間に赤ん坊を連れた母親がきた。組合の誰かの妻らしい。彼女の抱えていた赤子を見るとチェスターは目を細め、いつもその顔をしておれば良いのにと思わず言いそうになるほどやさしげな顔をしたのだ。
「この子の名前は?」
「バットってつけたんです」
「ほう、バットか。良い名だ。いずれは親父の跡を継ぐのか?」
「あぁぶ……」
「お前が大きくなるころにはワシはもうジジイだのう……。大きくなれ、バット」
赤子の柔らかな頬を指の背でそっと撫で、その感触を楽しむチェスターは穏やかな男だった。
チェスターとの日々は穏やかなものだったが、たまに彼の過激な側面も垣間見えた。
これもノーマン・ポートへ出てきていた時のことだが、買物を終えて帰ろうというころにヤクザ者同士の喧嘩に遭遇をした。原因が何かは分からなかったが、酷く両者とも憤っていて取っ組み合いの争いをしていた。それを囃し立てる者も多かった。わたしとチェスターは輪の外から元気な若者が多いと、ぼんやり見ていた。の、だが。とうとう一線を踏み越えた片方が刃物を抜いて襲いかかった。
喧嘩の見物こそすれど、流血沙汰までは見たくないものが多かったのだろう。顔を背ける者がいた。刃を向けられた相手は修羅離れでもしていたのか、あるいは偶然であったのか、腰だめに構えながら突進してきた相手の攻撃を身を翻して避けた。
しかし、そのせいで突進をしていった者の刃が野次馬に向けられてしまった。
ああ、これは刺さってしまうな、とわたしは静観していたのだがチェスターは違った。風のごとく俊敏な動きで人混みを割っていき、背負っていた銛を振り上げていた。人と人の間から打ち上げられた銛の穂先が、今まさに野次馬に刺さろうとしていたナイフを弾き飛ばした。
「何をしやが――ぶへっ!?」
そして、喧嘩を邪魔されたとでも思ったのか、怒鳴ろうとした男の顔に拳が突き刺さった。
喧嘩相手もその光景に唖然とし、野次馬達がざわついてさらに輪を広げた。わたしのところまで人々の輪が下がってきてしまった。
チェスターは言う。
「喧嘩をするのは構わんが、往来で無関係の者にまで危害を及ぼそうとするのは見過ごせん。続けるのであれば、ワシが打ちのめしてやる。顔の形が変わろうとも恨みはするな。元より大した顔でもあるまいて」
無謀なことに数十秒もせぬ内に、チェスターに牙を剥いたヤクザ者は地に伏した。
相手を全く寄せつけぬ強さであった。さながら嵐にでも向かっていって吹き飛ばされたかのような、見事なやられっぷりを晒したヤクザ者は無様な捨て台詞を残して逃げていった。
「やれやれ……。またやってしまった」
「また、というのは何じゃ?」
「ああいうのはどうも見過ごせん。だから離れたところに小さな家を建てたというのに、これでは意味がない」
その晩、わたしはチェスターの若気の至りだという話を聞かせてもらった。
漁を邪魔する海賊が出た時に、それを銛1本、たった1人で追い返したであるとか。その海賊が報復に来てしまったから、またこれも叩きのめして騎士に引き渡してしまっただとか。注目を集めたのが嫌でよそへ移住しようとして、その道中でも同じような荒事があって、ようやくこの数年になって落ち着けたということであった。
「だから町にはあまり行きたくないのだが……いや、仕方のないことだ」
そう結び、チェスターは床に入った。
わたしは彼が寝静まったのを確認し、彼の銛を観察した。長く使っているという銛と聞いている。手はこれに馴染んでいるのだろう。ならばこれと同じように作らねばなるまいと心は定められていた。