運動会の終わり
運動会が終わり、人々が会場を去っていく。
家族で、あるいは友達同士で、気の置けない人と一緒になって少なからず汚れた格好だけど笑顔で帰っていく。
会場では後片付けが始まっていて、シオンが陣頭指揮を執っている。マティアスも国防軍を指揮しながらその手伝いをしていた。子ども達は興奮冷めやらぬ様子で近くで遊んでいる。夕陽が広場をオレンジ色に染め上げて、全ての影を長く伸ばしている。ちょっとだけ寂しくさせられる。
「お母さん……」
「うん? どうしたの、マオ?」
芝生の上で座って眺めていたらマオが歩いてきた。
「お父さんにも、これから話すつもりなんだけど……先に、お母さんに話したいなって、思って」
「うん、いいよ。座ったら?」
「……じゃあ、うん」
横にマオが座る。
顔を向けると、やっぱり大きくなったなと改めて思わせられた。
マティアスにマオのことを最初に聞かされた時は少し驚いたけど、あんまり慌ててマティアスがマオのことを喋るから面白くなってしまった思い出がある。どんな子なのか、って必死に説明しながら、それがいちいち自分を引き合いに出して「きっと僕と同じで美貌にして優秀な男になる」だとか、「この僕の息子なのだから剣を持たせても一流以上にはなれる」だとか。
それで初めてマオに会って、本当にマティアスによく似てる男の子だと思った。でもちょっとだけ内気で、恥ずかしがり屋さんで、マティアスのズボンに隠れていた。あんな小さい子が、今じゃわたしよりずっと大きくなった。すっかり声も太く低くなってて。
「それで何のお話?」
「これからの僕のこと……なんだけど」
「うん。決めたの?」
「……決めた」
遠くからマティアスが何かを運べと指示を出している声が聞こえた。
「旅をしたいんだ、ずっと遠くまで」
「どこまで?」
「具体的に決めてないけど、ずっとずっと遠くまで。
クセリニアの先にはラサグード大陸っていうところがあるんだ」
「ミリアムの故郷があるところだね」
「うん、そこから南下していくと今度はアイフィゲーラ大陸っていうのがあって……」
「とりあえずそこまで?」
「……うん、とりあえず」
「そっかぁ……。どれだけ遠いんだろうね」
「分からない……」
きっと1年や2年じゃ辿り着かなくて、そう考えると帰ってくるのも3年や4年じゃ足りない。
その旅にマオが出て、帰ってきたら次はおじさんになってるのかも。あんなに小さかったマオがおじさん。
「ふふっ……」
「どうしたの?」
「ううん、マオがまた行っちゃったら、今度はわたし、おばあちゃんになって再会するのかなって」
「…………」
「マオ?」
じっとマオがわたしを見てくる。
それから口元を少し綻ばせるなり、マオは立ち上がった。
「帰ってきて、いい……?」
一歩だけ進み、背中を向けたままマオが小さな声を出す。
「もちろん。いつでも好きな時に帰ってきていいんだよ。
わたしと、マティアスと、クラウスと、マオで、大切な4人家族なんだから」
ピクッとマオの肩が動く。
わたしも腰を上げ、マオの横に立って顔を見る。
「……ありがとう、お母さん」
「何にもしてあげられなくてごめんね」
「そんなことないっ! ……本当の子どもでもないのに、やさしくしてくれて、帰りを待っててくれて、嬉しかった。お父さんとクラウスには、何だか……気を張らないといけないから」
「マオは気にしすぎだよ、色々」
「そう言われても……」
「そこがマオのいいところだけどね」
そうかな、と小首を傾げてマオは遠くの空を眺めた。
東の方からは夜がやってきていて、空はオレンジから濃紺へと変わっていく無限の色が広がっている。
「学院にいたころ……知り合った人に、心が弱いんだって言われたんだ。お父さんに聞いてるかも知れないけど、僕……あんまり学院に馴染めなくて、セラフィーノはいたけど……守ってもらうばっかりなのが悔しくて、申し訳なくて、孤立してた。全部、僕が弱いから撒いた種で……でもお父さんもセラフィーノも、僕に期待するんだ。やればできるんだ、って。それだって重圧でしかないのに」
マオが学院にいたころのことを、詳しくは聞いていない。
心配になりすぎちゃったマティアスが様子を見には行ったけど難しそうな顔で、ほとんど語りもしなかった。だからマオが話すのは初めて聞くことだった。
「でも、やっぱりそのままじゃダメだって思ったから……強くなろうってがんばってみた。結局まだそこまで胸を張れるものじゃないんだけど」
「そんなことないよ。ヴェッカースタームを一人旅してきたんでしょ?」
「……だけど、やっぱりまだまだ僕は弱いんだ。お母さんにこのことを喋るのも、もしお父さんに反対されても……味方してくれるかもって、思ってのことだから。剣や腕っ節は鍛えればある程度、どうにかなれる……。でも心が弱いって、どうしようも――」
「ううん、マオの心が弱いなんてないよ」
驚いたような顔で見つめられる。
「マオはね、強いよ。心が」
「で、でもっ」
「だって1人でがんばろうって、迷惑をかけたくない、って学院で孤立をしちゃったんでしょ? 心が弱かったらそんなことできないよ。打ちひしがれちゃったとしてもね、マオはずっと戦ってたっていうことだから。心が弱いなんてことはないの」
「っ……」
マオは何か言いかけ、でも言葉が出てこないように口をパクパクと動かした。
それから表情が強張っていって、片手で顔を隠すように覆ってからかぶりを振るなりわたしから離れていく。
そうして10歩も歩いてから天を仰ぐように顔を上へ向け、鼻を1度だけすすってわたしを振り返った。
「……絶対に帰ってくるから、そうしたら旅の話を聞いてくれる?」
「うん。いいよ」
マオは手伝ってくると言い、後片付けに参加した。
天幕を畳んだり、入場口と退場口のアーチを外したり、持ち込んできていた物をまとめたり。暗くなってしまう前に終わらせてしまおうと撤収をしている人々は急いでいた。
「あ、ミシェーラ」
「レオン。お疲れさま」
力仕事は難しいけど何かやれることはあるかも知れないと思ってわたしも近づいていくと、レオンと鉢合わせる。
「ほんと、疲れた……。まあでも、この片づけが終われば宴会だからな、ここで最後の疲れを溜め込んでからの発散だ」
「残念だったね、ベリル島。もうちょっとだったのに」
「そこなんだよなあ……。まあでも、しょうがないっちゃあしょうがない」
結局、運動会を制したのはユーリエ島だった。
リレーでの1着が大きかった。2位はトウキビ島。そして、3位がトト島、4位がベリル島ということになった。リレーでクラウスが転んじゃって、それをディーが慰め、励ますようにしながら一緒にゴールした。本当は3着と4着にもポイントが与えられるけど一緒のゴールだったから、という理由でレオンが急遽、3着に与えられる30ポイントと4着に与えられる10ポイントを合算し、それを半分に分けて与えた。20ポイントずつということになる。
「それにさ……いやー、俺がうっかりディーにバトン渡すのミスっちゃったもんで、あのまま普通にやってたらディーがビリになっちゃってたろ? それを見るよか、ああして競争を放棄してクラウスに手を差し伸べた方がいいか、とか思っちゃってさ。クラウスが転んだから俺の失敗がちょっと目立たなくなってたけど……」
おどけるようにレオンが言ったので、つられて小さく笑った。
「クラウス、落ち込んでたか?」
「うーん、ちょっとはね……。でもディーとラルフが一緒だったから大丈夫だと思うよ」
「ならいいか。運動会ですっ転んで注目集めちゃうなんておいしいしな」
「おいしい?」
「ああいや、深い意味はないんだけど。……さて、もう一仕事してくるわ」
「あ、レオン」
行こうとしたレオンを呼び止める。足を止め、レオンがわたしを見る。
「ん? 何?」
「運動会、楽しかったよ。またやる?」
「ああー……んー、そうだな。またやるか」
「じゃあ楽しみにしてるからね。今日はご苦労さま。ありがと」
「ミシェーラが楽しんでくれたんならそんだけでいいよ。んじゃな!」
快活に笑ってレオンは歩いていき、まとめられた大きな荷物を1人で持ち上げて歩き出す。その怪力に感嘆の声が上がり、調子に乗っちゃったのかレオンが大荷物を担ぎ上げたままジャンプしたりすると、持っていた荷物が崩れてしまった。
それをレオンだけが笑ってごまかそうとした時、サッとレオンの後ろに小さい子が回り込んだ。かと思うと「カンチョー」攻撃をされてレオンが飛び上がり、大笑いが起きる。
笑われてしまったレオンがお尻を押さえながらカンチョー攻撃をした子に拳を振り上げて怒鳴った。でも本気で憤った声じゃなくて、次は許さないぞという脅し半分のいつもの光景だった。