リレー
正直な話、このエンセーラム四島対抗大運動会の開催は反対の立場を取っていた。
今後を考えれば財政の観点から無駄遣いというものは極力減らしておかなければいけなかった。だからこそ、わたしは少々、レオンに厳しい態度を取って運動会開催を諦めてもらうつもりでいた。
国費運営をするのであれば予算会議の場において、わたしに対して運動会を開催することのメリットを示すこと。また、運動会の運営その他のことがあるという理由で、王としての職務を後回しにすることや、蔑ろには絶対にしないこと。
そう示した時のレオンの表情は酷く苦々しいものになって固まってしまっていたが、彼は諦めなかった。マティアスや、ロビン、エノラ――他にもたくさんの人に彼の頭の中にあった運動会というものの構想を話し、協力者を募りながら本当に予算会議に乗り込んできたのだ。そして必要な予算の金額を提示し、その時点での運動会でのプランについても堂々と説明しきった。熱意に免じて、そしてレオンが熱弁した内容も悪くはなかったと考えて、結局は許可してしまった。
レオンの発案から2年という月日が経って、今日、その日を迎えている。
今日までにレオンは運動会を成功させるという一念で、ずっと動き続けてきた。朝から夕までの彼自身の仕事が終わってから、王宮に関係者を呼びつけて遅くまで運営のための話し合いなどをしていたようだった。そして開催日が近づくにつれ、最初は強引にレオンにつきあわされただけのような形であった協力者にも熱が広がり、彼らから国中に運動会にかけた情熱が次々と伝染していった。
「おぉおおおお――――――――――い!? ユベールっ!? お前、ウォークスいなきゃそんなもんだったのかぁっ!?」
ユベール殿下にバトンが渡されるとベリル島は順位を落とした。
リードしていた分が潰され、そのまま抜かされていく。3位というタイミングでいよいよレオンにバトンが渡る。どの島もランナーはアンカー前の7人目。誰も彼も考えることは似ているのか、花形のアンカーは息子達に託しているようだった。若さが眩しいだとか、我が子の活躍するところを見たいだとか、そういう感情のせいだろう。
レオン、マティアス、ロビンがそれぞれのバトンを握ったままトラックを走っていく。
懸命にレオンは走るが、先頭はマティアスだ。そして最後尾にはロビン。どれだけ年を取ろうが、足腰さえしっかりしていればやはり獣人族だ。みるみる内にレオンとの差を縮めていくが、レオンもまた全力で走りながら前をゆく2人に迫っていく。先頭のマティアスは少しずつ距離を詰められつつも、ただ前を向いている。
このままロビンからアンカーのラルフにバトンが渡れば、ユーリエ島が逆転優勝をできるだろう。
息子と旦那を手放しで応援したいものの、宰相としてベリル島の1人として参加している身だと少しはばかられる。そもそもどうしてラルフはこうもわたしを敵視するものか。確かに仕事で忙しくてかまってあげられる時間はよその家より少ないかも知れないが、その中でもたっぷりとラルフに愛情をかけて育ててきたつもりだと言うのに。
職権を乱用して家族3人でベリル島で狩りをした時だって、ラルフが得意気に仕留めた獲物よりも大きなものを仕留めて見せてコツを教えてあげたものだし。いつの日か、ラルフと2人きりで釣りにいった時も、おいしいものをラルフに食べさせてあげようと思って大物を釣り上げた。つい最近も、庭でひたすら剣を振り回して練習をしていたから少し相手をしてあげたというのに、何かが気に食わなかったようで捨て台詞を吐いてピューッと走っていった。
難しい年頃なのだろうか。
ロビンは渋い顔をするばかりで相談しても言葉を濁すし、自分のラルフと同じほどの年頃を思い出しても思い当たるようなことはなかった。むしろ、わたしがラルフにしてあげたようなことを姉や妹にするのが喜ばれていたのだ。なのに何故、ラルフはああも悔しがって敵視するものやら。
とは言え、基本はロビンと似たようなものでスキンシップを好むし、やや嫌われているような気はするが憎しみのようなものとも違っているだろうし、何だかんだで充分にかわいい息子だ。
閑話休題。
もうすぐ、アンカーにバトンが渡る。
いや、渡った。マティアスがクラウスへバトンを渡した。
続いて、ほぼ同時にレオンが、ロビンが、トウキビ島のランナーが、アンカー達にバトンを託す。
ここへ来てレースがほぼ振り出し。唯一、リードを得ているのはクラウスだ。
抜かし、抜かされ、誰の独走にもならずに一進一退していったレースがアンカーで再び均衡状態に戻されるという劇的な展開に誰もが、自分達の勝利への希望を見出して声を振り絞っている。しかし、やはり息子だからという贔屓目を抜きにしてもラルフに分があるだろう。
みるみる内にラルフはクラウスに迫っていく。
体力が無限にあるんじゃないかと錯覚させられるほど元気が溢れている年頃だ。それはクラウスも同じだろうが、生まれ持った体が違う。大きなカーブでクラウスが首を使って後ろを確認し、それから力強く地面を蹴った。ラルフからちょっとでも逃れるためだったのだろうが――その足が滑ってクラウスが転倒をした。
前で転んだクラウスを避けてラルフは走り抜き、トウキビ島のアンカーもそれに続いていった。
クラウスが転倒した瞬間の、歓喜と落胆とが混じり合った「ああっ」という揃った声が彼の耳にはどう聞こえたものやら。起き上がりかけていたクラウスは地面に手を突いたままに体を固めてしまっていた。
それまで7人のランナーが繋ぎ、築き上げられた優位。
負けられぬ競争の中で犯してしまった、転倒という失態によって台無しにしたという事実。
まだ幼さの残るクラウスにとってはこれほど重く、大きくのしかかってしまう責任は初めてだろう。
「クラウスっ……」
わたしの近くにいたミシェーラが息子を呼ぶ。少し遠くて見えにくいが顔を伏せ、四つん這いでうずくまっている姿からも泣いているのではないかと不安にさせられる。男の子ならば顎を引いて前を見なさいと言いたいが、ここからではそんなことを言っても声が届きそうにない。――と、見守っているとバトンの受け渡しに失敗してスタートダッシュを遅らせていたディーがクラウスの近くまで来て足を止めた。
何かをディーが言ってからクラウスを立ち上がらせると、目元を手の甲で拭う彼を引っ張りながら走り出す。
脇目も振らず、ある意味空気を読まずに駆け抜けて1着になっていたラルフは2人が一緒になってゆっくりトラックを走るのを眺めていたかと思うと、トラックを横切って2人の方へ向かった。それからクラウスを挟むかのようにディーと反対側の隣へ回り、肩を貸しなながら一緒に走る。
「がんばれ、クラウス!」
「坊ちゃん達、いいぞー!」
「がんばってー!」
応援席からだんだんとそういう声が飛び出していった。
わたしとミシェーラの前を通りかかった時、支えられていたクラウスがまた目元を拭ってからディーとラルフに支えてもらうのをやめて、ちょっと俯き加減になりながら通過していく。
「良かったですね、ミシェーラ」
「うん、ほっとした」
小声で彼女に声をかけると安堵したように息子を目で追っていく。
3人で一緒にゴールをした時、ふっと昔のことを思い出した。
学院を卒業してからロビンとマティアスとともに旅をし、レオンとエノラを交えてディオニスメリアまで帰ってきた。
そしてマレドミナ商会を興し、国を作ろうと決めた時のこと。
本来、王になるべきは――筋というものを考えれば、発案者であるわたしだっただろう。
しかし、わたし自身でその時に楽しみとしていたのは、単なる大事業というものでしかなかった。そんな人間が一国の王という器にふさわしいかと考えた結果、不適合だろうと当然のように思い至る。そしてレオンをそそのかしたのだ。
人選について深い考えがあったわけではない。
大した理由もなく王という立場を勧め、本来の彼には不要だったような重責を担わせてしまったという罪悪感はあるが、今ではあの決断が最善だったのではないかとも思っている。王としての資質はいくつかあるだろう。レオンは恐らく、他国の王と比べれば足りないものがとても多い。しかしどの国の王と比べても、レオンは国を――いや、厳密にはこの国の民を大切にしている。国としての体裁を取るか、国民の笑顔を取るか、という決断を迫られればレオンは迷うことなく後者を選ぶだろう。
国民なくして国家なし、という言葉を残した偉人についてかつて教わったが、それを実行することは困難だ。
しかしレオンは悩むことなくやってのけるだろうという信頼を寄せるに値する。それをもって、エンセーラムの王としてふさわしい人物だとわたしだけではなく、多くの者が認めているだろう。
そんな王だからこそ、わたしは宰相としてやり甲斐を感じてしまう。
この王を立てて、この国を幸せにする――なんてなんて素晴らしい仕事であろうか。
最初は反対した運動会とて、やはりあの王がいたからこそ今日の成功がある。
良い方向にわたしを裏切ってくれた。レオンではなく、別の実務能力に長けた者を王に据えていたら今日という日もなかっただろう。