姉弟のささやかな確執
「何でだ……。何で、最初のかけっこ以外、ダメなんだ……」
「ラルフはダメじゃない、その尻尾があるだけでいかなることも許される」
「触るなっ」
険しい顔で自分に詰問していたラルフを慰めようとしたのに、パッと離れて威嚇された。
まあまあ、と宥めてラルフのそばでしゃがんで腰を下ろすと、ラルフも同じようにそこで膝を抱えるように座る。
「ラルフはあと、何の競技に出るの?」
「棒倒しとリレーのアンカー」
「ふむふむ……。それなら、ラルフが活躍できる秘策を授けよう」
「ええっ? フィリアにそんなの分かるのか?」
「大丈夫、何も問題ない」
「んんー……分かった、聞く」
疑いつつもあっさり信用してくれるのだからラルフはちょろかわいい。
「まず、棒倒し」
「棒倒しか。俺は親父に好きにしろ、って言われてる」
「どうするつもり?」
「ガガガーってやって、ドーンってする」
なるほど。つまりラルフは大した役目を担わされてもいない、と。
しかも具体的に何をどうするか、というところにも頭が回っていないように思われる。これでは活躍は難しい。
「分かった。ラルフは身軽だから、それを活かすべき」
「どうするんだよ?」
「具体的には敵の棒に登る」
「何でだ?」
「それで棒の上にいる人を引きずり下ろす役をすればいい。棒の下には敵の味方が密集して棒に近づけさせないように待ち受けているけれど、ラルフはその身体能力を活かして、遠くから助走をつけて一気に棒へ飛びついてよじ登っていけばいい。得意でしょ?」
「得意だ」
「棒を登ったら、そこにいる人をラルフは引きずり下ろす。具体的には両腕で腰にでもくっついて、あとは自由落下すればいい」
「う、うん……? うん、分かった」
「相手にくっついたら、落ちればいい」
「落ちるんだな、くっついて」
普段はツンケンしているクセして、素直に人の言うことを聞いてくれるのだからそれがかわいい。
さりげなくラルフの尻尾へ手を回し、その毛先を指でそっと触れる。いきなり尻尾本体へ触りにいくとビックリさせるから、毛先から攻めていく。そうすることで少しずつ警戒は解かれ、ついにはたっぷり尻尾を堪能させてくれるようになる。
「で、攻める順番がある」
「順番?」
「まずはトウキビ島」
「トウキビ……」
「黄色のところ」
「黄色だな」
「それから、トト島。赤色」
「クラウスのとこだな!」
「で、ベリル島。青」
「ディーだな!」
「順番は覚えた?」
「黄色、赤、青!」
「よしよし、その通り。さすがラルフ。偉い、かしこい、かわいい」
「へへへっ」
尻尾から手を放して頭の――耳の付け根付近を撫でてやるとラルフは得意気に嬉しがる。ぱたんぱたんと尻尾が地面を叩く。――が。
「かわいいって何だよっ!」
「事実」
「フィリアっ!」
「どうどう、これは変えようのないことだから仕方がない」
「ダメだっ! お前もディーも、すぐかわいい、かわいい、って嬉しくないんだよっ!」
ぷいっとそっぽを向かれてしまった。
ちょっとの間があってからちゃんと言われたことを噛み砕いて言葉を理解し、反応してくるらへん、かわいい。しかも口では怒って、顔も明後日の方を向いたにも関わらず、ちゃんとまだわたしの頭を撫でさせてくれてるらへん、余計にかわいい。
「それからリレー」
「リレーは簡単だろっ、ただ走ればいい!」
「それではいけない。ただよーいどんで走るだけならラルフは1番になれる」
「当然だなっ!」
「けれど」
「むっ」
「リレーというのは別。きちんとバトンを受け取ってから走らなければならない。アンカーだから渡すことは考えなくても良いけれど」
神妙な顔でラルフはわたしを見る。
「じゃあどうすればいいんだよ?」
「あなたの前のランナーは誰?」
「親父!」
「それなら、あまり心配はいらない――いや、でも二人三脚はボロボロだった」
「あれは親父が遅かったんだよっ!」
「逆に言えばラルフが速かったということ。つまり、呼吸が合っていなかった。それさえばっちりなら、多分、あれはラルフが1着になれていたのに」
「そうなのか?」
「そう。大切なのは、息を合わせるということ。これはリレーも同じ」
「息を、合わせる……うぅーん……」
一匹狼を気取ることが格好いいと思っている節のあるラルフには、少々、理解しがたいことかも知れない。頭をひねって悩み込む姿もかわいくて見つめていると、不意にラルフがわたしを見た。
「どうすればいいんだよ?」
「簡単なこと。相手のことを尊重する、というもの」
「そんちょー?」
「そう。例えば、ラルフがディーと一緒に歩いていて、ディーのペースが遅くなったらどうする?」
「置いてく!」
「それは尊重できてない」
「むっ……」
「そこでラルフが、ディーの遅れたペースに少しだけ合わせて遅く歩きつつ、少しだけ前を歩いていけば良い」
「何で?」
「そうすることでディーはラルフに離れることがなくなって、距離が開いてしまうという不安感からムダな体力を消耗させなくなる。その上で常にラルフが少し前を歩いているから、横に並ぼうとペースがどんどん遅くなるようなことを防止できる」
「何で横に並ぼうとするんだよ、ディーは」
「ラルフの横は色々と良いから」
「?」
「とにかく、それが相手を尊重してあげる、というようなこと」
「よく分かんないけど……分かった」
それは分かったとは言えない。
難しいなりに理解しようという真剣な表情がかわいいから許す。
「で、今度はそれをラルフのお父さんとのリレーに置き換える」
「親父とのリレー……」
「スタートラインから数メートルがバトンの受け取りをするゾーンになっているから、近づいてきたらラルフは最初は歩くくらいから、少しずつペースを上げて走り出す。そしてスピードに乗り始めたところでバトンを受け取るのが理想的」
「う、うん……? うん……」
「じゃあ実践をしてみよう。ラルフ、スタンダップ」
「んっ」
腰を上げてからラルフに呼びかけると、素直にわたしの呼びかけでラルフも立ち上がる。いい子かわいい。
で、少し距離を置いて、木の枝をバトンに見立てて練習をする。ラルフはもちろん、受け取る役だ。そしてわたしがバトンを渡す役。正直、もんのすごーく面倒臭いけどかわいいラルフのためならやぶさかではない。
「走り出して」
近づいてきたところで指示をすると、ラルフが張り切ってダッと駆け出した。そこでわたしは足を止める。
「ラルフ、ストップ。ハウス」
「何だよっ!? 走れって言ったろ!」
駆けてわたしのところへ戻ってきたラルフがかわいい。
ちゃんと説明したにも関わらず、ほっとんど理解できてなかったのがおバカかわいい。
「最初は歩くくらいから。いきなり一足でスタートダッシュを決めてはいけない」
「歩くくらい?」
「そう、歩くくらい。じゃあもう1回」
「よしっ」
それから何度か練習し、ようやくラルフが体でバトンの受け取り方を覚えた。
もしもぶっつけ本番だったら、それまでどれだけユーリエ島が快走してきていても抜かされて負けたんじゃなかろうかというほど最初はひどかったが、どうにかこうにかサマにはなった。
「よぉーし、これなら俺が大活躍で優勝だなっ!」
「お礼は尻尾を触らせてくれるだけでオーケ――」
「あーっ、ラルフいたー! 姉ちゃんまでいるっ!」
ちぃっ、お邪魔虫がきたか。
クラウスを引き連れながらディーはわたし達の方へくると、広場の方を指差す。
「もうすぐ棒倒しなのにラルフがいないーって駆け回ってたんだよっ! ほら、行こ」
「もうかっ! えーと、えっと……」
「黄色赤青」
「そう、黄色赤青!」
「何の呪文?」
「ナイショだぜっ! 見てろよ、クラウス、ディー! 俺がじゅーりんしてやるからなっ!」
3人が慌てた様子で広場の方へ戻っていく。
お礼に、尻尾をもふらせてくれれば、それだけで良いと言おうとしたのにすっかり言いそびれた。
途中で振り返ったディーがわたしを見て、ニタァッと笑みを浮かべる。それで気づいた。
多分、乱入してくるタイミングをはかっていたに違いない。そして最後の最後で、わたしがご褒美に着手しようとしたところでああして割って入ったのだ。
「ディーめ……」
そんなにラルフを一人占めしたいのか。
手間ひまかけて、リレーの練習までして、ようやくラルフ公認の遠慮しないでいいもふもふタイムへ突入しようとしていたのに邪魔をするなんて。これは後できっちりと言い聞かせなければ。その身に姉への献身と服従を刻みつけてやらねば。