ラルフ・コルトー
「ウガアアアアアアアッ!」
「ラルフ、吼えない」
「吼えてなんかないっ!」
「じゃあ喚かない……」
「親父に俺の気持ちが分かるかよっ、一生、魔法の研究でもしてろっ!」
耐えきれずに声を出したら親父に注意され、むしゃくしゃしてとりあえず走った。
調子が良かったのは最初の徒競走くらいで、あとは出る競技のことごとくで良い結果を出せていない。もうすぐ午前の競技が全て終了されるのに、ユーリエ島のポイントは上から3番目。俺がユーリエ島を優勝させてやるつもりだったのに、このままじゃトト島とトウキビ島に負ける。
「ぐんぬぬぬぬ……」
悔しい。
悔しい、悔しい、悔しいっ!!
思いきり遠吠えをしたい気分だ。してやろうか。よし、しよう。
魔法大学の石造りの塔を外からよじ登っていって頂上に立つ。ひらひらと風にはためく旗を支える棒を掴み、息を思いきり吸い込んで遠吠えをした。体内の空気を全て吐き出すように長い長い遠吠えをしてやった。スッキリした。
「よし、降りよう」
ふと下を見て、足がすくんだ。
高い! どれだけあるんだ、この塔って何階建てになってるんだ!?
どうにか、下の窓らへんから棟の中に入りたいけど、傘みたいな屋根の上からだと、中に入るのが難しい。試しに覗き込んでみたけど、なかなか距離もあるし、キツい角度で入っていかないといけない。これは、降りられない……?
「…………」
普通の木とかだったら簡単に降りられるのに……。どうしよう。
迷っていたら塔の下に人が近づいてくる。高い分、風も強くて匂いが分からない。高いから小さく見えて、目でも誰なのか分からない。目を凝らして、耳を立てていたらそいつが顔を上げて俺を見た。――お袋だ。
「ラルーフ、何をしてるんですかー?」
「遠吠えだっ!」
「負け犬のですか?」
「誰が負け犬だよっ!?」
「ま、いいでしょう。降りなさい、そんなところにいないで」
「降りられたら降りてる、とっくに!」
言い返すとお袋は呆れたようにかぶりを振った。ムカつく!
普通のそこらの母親っていうのと違って、お袋はほとんど男だ。体くらいだ、女なのは。働くし、忙しいし、この国のトップだし、見た目も男の格好だし。狩りでも釣りでも剣でも、何でもかんでも、俺よりすげえのを見せつけて、それからあれこれアドバイスとか言ってくる。だから嫌だ。
「ラルフ、ジャンプしなさい」
「足が折れる!」
「折れませんよ、ここ、柔らかくしておきましたから」
目を凝らすとお袋が塔の下の一箇所を柔らかくしていたみたいだった。多分、魔法だ。
そこに長めの木の枝をぶっ刺し、埋めて見せている。それなら大丈夫かと思って飛び降りる。ぐわっと風が吹きつけてきて、足からそこに着地――する感覚だったけどずぶずぶっと俺の体が胸まで埋まった。泥だ。ここが泥になってる。泥がまとわりつくせいで尻尾を動かせないのが、もんのすごく不快だ。
「んだよっ、出られないっ! 抜けらんなーいー!」
「やれやれ、困った子ですね……。暴れないでください」
硬くはないけど重い泥のせいでもがいても出られない。腕を使って体をひねりながら脱出しようとしても意味がなく、もがき出すとお袋が俺の手を掴んでずぼっと引っこ抜かれた。胸から下が泥まみれだ。ようやく自由に尻尾が振れるようになる。水くらいの負荷なら別にいいけど、泥となると尻尾が動かせなくてダメだ。泥嫌い。埋まるのは二度とごめんだな。
「おやまあ、どろんこになっちゃって。楽しいですか?」
「お袋がしたんだろっ」
「着替えた方がいいですね、これは。丁度、もうすぐお昼休憩ですから、我々はお家に帰ってご飯にしましょうか?」
「いいよっ、別に着替えなくても」
「何を言ってるんです、そんな格好はさすがにみっともなさすぎます」
「じゃあこれならいいだろっ!」
シャツを脱いで投げ捨てると、お袋は額を押さえてまた呆れた。ムカつく!
「何だよっ!」
「じゃ、せめてズボンだけでも水洗いはしてください。広場に戻ってお昼にしましょう」
「ディーんとこで食うからいい」
「おや、いいんですか? あなたの大好物を用意してるんですが……」
「だいこーぶつ?」
「ええ、お肉料理をたんまりと」
「じゅる……」
「戻りましょうか」
「……うん」
お袋が俺の投げ捨てたシャツを手にし、それをぽいっと上へ投げた。するとアクアスフィアに服が捕まって、中でぐるぐると回り出す。パンッと泥で汚れた水が弾け飛ぶなりすぐ蒸発し、茶けて汚れた服だけがお袋の手に戻ってくる。
「これは、なかなか……洗うのが大変そうですね」
「自分でやったんだろ」
「あなたが降りられもしないところへ勢いで登ったからでしょう」
「ふんっ……」
鼻を鳴らしてそっぽを向くと、お袋はふふっと笑った。
何が面白いんだか分かりゃしない。こうしていつもいつもいつも、俺が何しててもそうやって余裕な感じだから腹が立つ。ぎゃふんと言わせてやりたい。この完璧すぎるお袋を慌てふためかせたい。
「そうそう、最初の徒競走。タイムを個人的に計っていたんですが、あなたが誰より速くゴールしていましたよ」
「本当っ?」
「ええ。さすがですね、ラルフ。よくがんばりました」
頭を撫でられると条件反射で尻尾を振ってしまった。
お袋は頭を撫でられていいところを知ってる。だから体は反応してしまう。今は見てるやつがいなさそうだから、俺を誉めたことを誉めることにして撫でさせておいてやった。
「もうちょっと右……」
「ここですか」
「うん、へへへっ……」
広場に戻ってきて、トラックの周りの短く刈り込まれた芝のところでメシになった。
俺の好きなもんがこれでもかと詰め込まれた弁当だった。オニギリの中には肉。葉っぱの野菜で包まれた、肉。野菜と炒められた、肉。それにサトウキビが節で6本。片っ端から食べて、最後にサトウキビの表面だけをナイフで削り、思いきりかじった。この硬さがいい。じゅわっと染み出てくる甘いのがいい。
「ラルフ、おいしい?」
「うまいっ」
「まだいっぱいあるから、たくさん食べていいですよ」
「んなの分かってる!」
「ですよね」
「誰に似たんだろうね、この感じ……」
「ロビンの血筋の方じゃないですか?」
「うぅーん……否定しきれない……」
脇で親父とお袋は何か言い合うけど、俺はサトウキビが硬くて甘ければどうでも良かった。
2本くらいかじりつくして3本目を手にすると、ディーとフィリアとクラウスが来た。
「ラルフ、まだご飯中?」
「ていうか、ラルフっ、その泥まみれ何?」
「何でもいいだろ、クラウス」
「また何かしたんだろう……。さっき吼えてたし」
「悪いかよっ」
「まあまあ、いいから、いいから。じゃあさ、折角、ラルフが泥まみれだから海行ってちょっと遊ばない? いいよね、姉ちゃん」
「海か……。海ならサフィラスと遊べるから良し」
「じゃあけってーい! 行こっ、ラルフ!」
「俺まだサトウキビ――」
「あと3本あるんですから、1人ずつ持ってっていいですよ」
「俺のサトウキビ!?」
お袋が残ってた3本をディー達に渡してしまう。
すると、ディーがお礼を言いながら海の方へ走っていく。
「あっ、待てよ、ディー! 返せ、俺のサトウキビだっ!」
ナイフで先端を削った3本目のサトウキビをくわえて追いかけた。後ろからフィリアとクラウスが来るのも分かる。それで結局、海まで逃げ切られて泳ぎながら遊ぶはめになった。取り返したサトウキビがしょっぱくなってた。