障害物走
「よくやった、マオ。ラルフは仕方がない、むしろディーによく勝った。ディーに負けていたらレオンに負けたようで悔しいからな」
「帰ってきたらいきなり運動会って……驚かされたけどね」
「お兄様、格好良かったです!」
「クラウスも1着でゴールできたよね、良かったね」
「ああ、クラウスもよくやったな」
お父さんに軽く頭を撫でられ、嬉しくなって笑顔を向けた。
それからトラックで始まった玉入れ競技に目を向ける。玉入れは女性や子どもが多い。地上から立てた6メートルほどの棒の上にカゴが取りつけられていて、制限時間内にそこにどれだけ多くの玉を放り込めるか、という競技が玉入れだ。3回やり、その中でもっとも多く入った玉の数だけポイントが加算される。カゴを立てている棒によじ登ったりしたらいけないことになっている。
直接走ったりするわけではないから女性や子どもの参加が多くて、お母さんもこれに出ていた。トラック内で4つの区画に分けられ、それぞれの区画ごとに四島の参加者が玉を拾っては投げ入れる。思っていたよりも多く玉は用意されていて、たくさんの玉が空に投じられていく。
各島にはカラーが決められていて、トト島は赤、ユーリエ島は緑、トウキビ島は黄色、ベリル島は青ということになっている。それぞれの色のボールが空に投げられていくとカラフルで何だか綺麗だった。
「玉入れはどれほど点が取れるか分からないから適当に参加者を振り分けたが、勝負はこれからだ。クラウス」
「はい?」
「この次の障害物競走、これは単純な運動神経だけで決するものじゃない。お前なら完璧に走破できると信じてトリにしておいたからがんばるんだぞ」
「はいっ」
お父さんはトト島のリーダーもしている。
期待されたら応えるしかない。返事をするとぽんと、お兄様が僕の頭に手を置いた。見上げると目が合ってほほえまれた。
お兄様と初めて会ったのは僕が8歳の時で、それまでは顔も知らなかった。手紙を出すと返事をもらえていたからそれで繋がってはいたけど、想像していたよりずっと格好いいお兄様だった。髪の毛はお父様と同じ色で、背もお父さんと同じくらい。何だかすごくそっくりに見えた。お兄様はディオニスメリアの学院っていうところに通った後、その国を色々と旅してからエンセーラムに帰ってきた。何ヶ月かは家にいたけど、すぐに今度はヴェッカースタームへ1人で旅に行ってしまった。本当はついて行きたかったけど、ユーリエ学校にその時僕は通ってたからダメだって言われた。
それでつい3日前にまた帰ってきてくれた。お兄様は色んなことを知っていて僕に話してくれた。ディオニスメリアの王都ラーゴアルダの美しい町並みだとか、宰相――ラルフのお母さんの故郷のソーウェル領っていうところにある温泉の話とか、あとヴェッカースタームの広大な草原地帯のこととか。剣の手合わせもしてもらったけど、全然勝てそうになかった。お父さんとお兄様がやれば、やっぱりお父さんの方が強かったけど。
強くて、やさしくて、格好良くて、物知りで、僕の想像通りの――ううん、それ以上の尊敬できるお兄様だった。
玉入れはトウキビ島が54ポイントを取って、総合順位で1位に躍り出た。
トト島が2位に転落してしまい、それからユーリエ島、ベリル島というポイント差になる。
「クラウス、全力でやってこい」
「はい、お父さん」
「がんばって」
「はいっ、お兄様」
競技に出る人は、次の競技が行われる前にトラックへの入場口というところに集まる。
そこへ向かうとまたラルフがいた。徒競走に続いて、ここでも同じ競技に出るみたいだ。
「また俺が勝ってやるからな、クラウス」
「負けないよ、僕だって」
障害物競走は200メートルを走りながら、その途中にある障害物をクリアしていかないといけない。
ネットの下を這うように進むとか、ズタ袋をはいてぴょんぴょん飛び跳ねながら進むとか、立てられたポールに定位置から輪っかを投げ入れてからじゃないと先へ進めないとか、そういう簡単だけどちょっと焦ったりすると途端にできなくなりそうな絶妙な障害物が取り揃えられている。単純なかけっこならラルフには勝てないだろうけど、こういう細々としたものが入ったものなら僕は得意中の得意だ。ズボラなラルフには難しいだろうけど。
「あ、フィリア、お前も出るのか?」
「っ……」
「出る」
入場口で待っていたらラルフが僕の後ろへ声をかけたので振り返ろうとしたら、背中にちょっとした重みを感じて首だけ振り返った。ディーの姉のフィリアだ。16歳になったはずだけど見た目は僕らとそう変わらないくらいで、大体いつも無表情に近いだらけきった顔つきをしてる。事実、だらしないところがある。
「重いよ、フィリア」
「わたしは今、ものすごーく、憂うつ……」
「何で?」
「面倒臭い……」
「そ、そう……」
フィリアは半目のままため息を漏らし、僕の背に覆い被さるのをやめるとふらふらとラルフの方へ向かった。そして、ラルフの肩にもたれかかりつつ、ラルフのお尻の上から生えている尻尾へ手を伸ばす。ディーもフィリアもラルフの尻尾が大好きですぐに触ろうとする。――が、ラルフは尻尾を触られるとくすぐったい感じがするらしいので、普段は触らせない。今もフィリアを軽く突き飛ばしていた。
「走る順番は?」
「僕は最後」
「俺もだ」
「ほほう……わたしと一緒。よし、負けて」
「わざと負けるわけないだろっ!」
「ちぃっ」
フィリアが舌打ちをすると入場が始まった。
障害物競走のルールが説明される。ネット、ズタ袋、輪投げ、積み木運び、最後に借り物というものがある。
積み木運びというのは軽い木のブロックを10個持って運ばないといけないというもので、重さはないけど10個と数が多いし、それが崩れて地面に落ちてしまったら積み木運びの最初のところまで戻ってまたやり直さないといけない。慎重にミスなく行くか、ミスを覚悟で急いでいくかが大事だ。
最後の借り物というのはお題が書かれたカードが用意されていて、そのお題に書かれたものを持ってゴールをしなければならない。お題は例えば帽子だとか、杖だとかで、それを持った人を見つけて借りなければならなかった。あとはものじゃなく、人というケースもあるらしい。家族とか、獣人だとか、背の高い人、とか。
始まるまではどんな風になるのか、ちょっと想像がついていなかった。
でもだんだんとレースが消化されて自分の番が近づくにつれて、どんなものかが分かるようになる。意外とどの障害物も考えなしだと自爆をしてしまうようだった。この手の勝負ならラルフには負けそうにない。
「次の人、準備してください」
運動会の運営手伝いをしてくれている、マレドミナ商会の人が最後に残った僕らに声をかけて、スタートラインに一直線に並んだ。僕はインコースから2番目だ。前のレースが終わる。
「それでは用意――」
ラルフの尻尾がピンと立っていた。
走り出すべく、腕を構えて足を開く。
「スタート!」
その合図と同時、トラックを囲むように形成されている応援席から、たくさんの声が飛び出た。誰が誰を応援してくれるかは分からないけど、ものすごい歓声だっていうことは分かる。最初の障害はするりと抜けられたけど、依然、ラルフがトップだ。でもここからだ。2番目のズタ袋は両足を入れて口のところを引っ張り上げると、腰の上までの高さになってしまう。両膝を曲げながら大きくジャンプしていくと、コケていたラルフを抜けた。ズタ袋をクリアすれば僕がトップ。
輪投げは3つを放り入れられればオーケー。
でも2つ目を投げ入れたところで横にフィリアが来て、何と輪を3つ重ねて投げた。バラけることなく3つ同時にポールに入ってしまい、そのままサッと僕を抜いてしまった。慌てて輪っかを投げるけど、急いだのが悪かったのか2つ連続で入っていたのに外してしまう。どうにか最後の1つを放り入れたところでラルフがすでに2つめを投げ入れていた。ヤバい、急がないと。
積み木運びは5個ずつ、2つの柱にして両腕で抱え込むようにして運んだ。
ほんの数メートルという距離なのに、ちょっと急ごうとするとグラついてしまう。でもフィリアは1度失敗して戻っていたから、また僕がトップに躍り出られた。借り物のお題が置かれているところへ走る途中、応援席にお父さん達がいるのを見つけた.少し顔を向けると僕を応援してくれてる声が聞こえたような気がした。
「お題は――」
平に均された地面の上に置かれたカードを拾って表にする。
そこに書かれていたお題は「料理上手な人」だ。料理上手。料理上手? お母さんでもいいのかな? でも引き戻すことになっちゃうからタイムロスを食いたくはない。サッと周囲を見渡すと、ゴール付近の天幕の下にその人を見つけたので全力で走った。
「イザーク!」
陛下のそばにいた体格のしっかりした男の人に呼びかけ、お題のカードを見せるとちょっと目を大きくしてから頷いて出てきてくれた。おっきくてゴツゴツしてる手を掴んでゴールに向かうけど、猛烈な勢いでラルフが後ろから走ってきている。口にくわえているのは丸くて大きなふちのある帽子だった。何だか、ワンちゃんがご主人様の落としちゃった犬を拾って持ってきた――みたいな感じに見える。
慌ててゴールに走ると、グッとイザークに手を引かれた。
イザークは王宮の料理人だ。王宮で出される全部の料理を作っている。昔はお母さんの暮らしてた屋敷で働いていたみたくて、その縁からなのか、何故かうちの庭を綺麗で大きくて立派な庭にしていたりもする。無口で僕は一言もイザークの喋ったところを見たことはないけど働き者でやさしい人というのは知っていた。
そんなイザークが僕の手を引っ張ったかと思うと、そのまま膝の下から体を掬うように抱え上げられた。背後からはラルフが迫っているけど、イザークは僕を抱えるなり力強く地面を蹴って加速をする。――速い。すごく速い。すごい!
――でも、突如として一陣の風が強く吹いたかと思うと、頭上を大きなものが通過して影が僕とイザークを抜き去った。そのまま激しくゴールテープを引き裂くようにして1頭のワイバーンがそこへ着地する。
「お題は偉い人」
フィリアだった。
乗ってきたのはウォークスというワイバーンで、フィリアと一緒にカスタルディ王国の王子――ユベール様が乗っていた。
カードを審判に見せ、偉い人、としてぽんとウォークスの体を叩く。多分、ユベール様のことだろう。審判がものすごく困った顔をしながら、運営の天幕へ目を向ける。そこにいた陛下が渋い顔をし、頷いた。
「1着はベリル島、フィリア様! 2着、トト島、クラウス! 3着、ユーリエ島、ラルフ! 4着、トウキビ島、チャック!」
「ズルいぞ、フィリア!」
「ズルなんてしていない。偉い人、というお題でユベールを見つけて、ユベールと言えば天空王の息子だからウォークスもセットでなきゃいけなかったというだけ」
噛みついたラルフに淡々とフィリアが言い返す。
突然のワイバーンに乗ってのゴールに騒然とはしていたが、その間にイザークがちゃんとゴールしてくれていて良かった。1着にはなれなかったけど、どうにかラルフに負けなかったのはイザークのお陰だ。
「ありがとう、イザーク」
お礼を言うと無言で僕の頭を撫でてから、イザークはグッと握った拳を軽く向けてきた。そこに僕も握り拳をぶつけると、また天幕に戻っていった。
フィリアの反則すれすれな行為がなければ1着になれていた、ってお父さんは誉めてくれた。
それに障害物走でトト島がまた1位に返り咲くことができた。まだまだ、運動会は始まったばかり。負けそうな気はしなかった。