果てのない証明
卒業式が終わった夜、スタンフィールドは賑わいに包まれる。
街中で卒業生が酒盛りをしたり、卒業生を慕う後輩達が盛大なパーティーを催したりする。別れを惜しみ、門出を祝い、色々な笑顔と涙が人々の顔を彩っていく。これから騎士団の門を叩く人がいる。魔法士として生計を立てるため、忙しく奔走を始める人もいる。嫌いだった教官に嫌がらせを仕掛けようと悪だくみをするような人だっている。
そんな浮かれた雰囲気の中で、今日も僕はセラフィーノにしごかれた。
さんざんに僕の体を虐め抜いてからセラフィーノは自分の訓練を始め、一足先に街まで帰ってきた。誰かが景気良く、空に魔法の花火を打ち上げているのか、パンパンと乾いた音がして空に彩り豊かな花が咲く。それを眺めながら宿へ歩いていくと、道の途中で僕を待ち受ける人がいた。
「やあ、マオライアス」
「……ピエトロ先輩」
学院の制服ではなく、レース飾りが袖口についた貴族らしい格好をしていた。
たった1人で宿まであと少しというところで先輩は待っていたようだった。
「……何か、用事ですか?」
「目を逸らすなよ、マオライアス」
「っ……」
俯きかけていた視線をハッとして上げる。
家屋からわずかに漏れている程度の明かりしか近くにはなくて薄暗かった。
「別に僕はお礼参りだとか、そんなことに労力を割くほど熱心じゃない。気を抜きなよ」
「…………」
最後に顔を合わせたのは序列戦で戦った時だ。
「まあ、いいか、どうでも。ただ本当にキミに何かして遊ぼうって腹積もりじゃないよ。
いやあ、キミなんかにあの序列戦という舞台で負かされてしまったせいで、僕の計画は水泡に帰してしまった。そういう愚痴をこぼしにきただけなのさ。あ、そう長くはかからないから立ち話で勘弁してくれよ」
ピエトロ先輩の腰には刺突剣がある。
装飾の施された豪奢な鞘が存在感を主張していた。
「でも幸いだったのは、キミがあのマティアス・カノヴァスの息子であった、という点のみかな。
試合内容なんてものはすぐに人の記憶からは消えて、やがて記録だけが残るようになる。いつかそれを見返された時、キミに負けたという僕の汚点は、でもカノヴァスの血縁者に負けたのだからしょうがない、と変わるのさ。そう考えれば、そこまで最悪というものではない。僕は名誉のために、これからはキミという個人を……マオライアス・カノヴァスという人間について、喧伝しようじゃないか。あのマティアス・カノヴァスの息子は騎士然とした立派な紳士であった、とね」
「そうやって……また僕で遊ぶつもりなんですか?」
「……さて、どうだろうね?」
目を細めてピエトロ先輩はほくそ笑んだ。
この人の言葉を額面通りに受け取ってはいけない。心を許してもいけない。
「でも僕はキミへの印象を変えるつもりはない。
キミはとても弱いんだ、すぐに傷がついて、すぐに痛む。
これからずっと、ことあるごとにキミは悩んで、苦しんで、生きていくはめになると断言しよう」
そう言って僕のことを見据えてきた瞳には、薄ら笑いがなくなっていた。
ただただ、どこまでも僕の胸の内を見透かしているかのような、それでいて濁った目をしていた。
「それじゃあね、マオライアス。いつでもまた、僕に泣きついてくるといい。歓迎しよう」
最後にふっと作り笑いを浮かべ、ピエトロ先輩は踵を返した。
「……ピエトロ先輩っ」
「何かな?」
声をかけると先輩は足を止めたが、振り返りはしなかった。
「……あなたのことは、嫌いです。
でも、全部が悪いことだったっていう風には、思えなくて……その、先輩って本当は――」
「ああ、嫌だ嫌だ、やっぱり前言撤回だ」
いきなりピエトロ先輩は僕の言葉を遮って振り返る。
うんざりしたとばかりに険しい顔を見せていた。
「変な勘違いしないでくれ、キミみたいなので玩具として遊ぶのは単なる暇潰しさ。それが好きだからだ。でも嫌いなんだよ、根本的にさ。虐げられるままに何もできず、ただ平服しながらことなきを得ようとする愚鈍な馬鹿がね。虫酸が走る。だから虐めて遊ぶんだ。気分が良くなるから。キミの存在価値なんてそれ以上でもそれ以下でもない」
言うだけ言ってさっさと歩いて行ってしまった。
もう呼び止めることはできなかった。暗がりの中に消えていく背中を見つめたまま、でも、と僕は心の中で呟く。
ピエトロ先輩は歪んでいる。
そして、その自分の歪みを受け入れていた。
僕が先輩の目に留まったのは、単に僕が悪目立ちをしていたからという理由だけじゃないような気がする。ピエトロ先輩が僕を嫌悪するのは、多分――確信できるような根拠はないけれど、知っているからだ。僕のような存在を。先輩が言うところの「虐げられるままに何もできず、ただ平服しながらことなきを得ようとする愚鈍な馬鹿」というのを。
それはピエトロ先輩の身近なところにいる人で、もしかしたら本当のピエトロ先輩自身かも知れない。あるいはピエトロ先輩の家族なのかも知れない。
けれど、大嫌いなそういう存在を確かに知っていて、僕が目について、目に余って、接触をしてきた。最初はセラフィーノを陥れるためだけだったのかも知れないけど、それなら一度、僕を利用してから捨て置けば良かったのにオーロルーチェの腐った学生の輪の中に引き入れてくれた。
どうにかしたい、っていう気持ちがあったのかも知れない。
救済という言葉は高尚すぎて似つかわしくないけれど、泣きじゃくっている小さな子をあやすような程度の気持ちで見捨てておけなかったんじゃないかと思った。見ていたくないほどに嫌いだから、変えてやろうとある種の傲慢さを持って。
だから僕はちょっとだけ、ピエトロ先輩には恩義を感じる。
セラフィーノへの裏切りで息苦しかったことは事実だけれど、同時に理不尽な暴力や嘲笑が途絶えて頭を空っぽにして、遊びほうけた毎日は最悪ではなかった。いけないことと分かりながら遊んで過ごした日々が楽しかったというのも事実だったのだから。
「……さようなら、ピエトロ先輩」
すっかり見えなくなった暗い道の先に声をかけた。
多分もう二度と会わないだろう。でも僕は一生、あの人の存在を忘れないだろうとも思えた。
初めての序列戦から1年が経過し、卒業式を迎えた。
色々なことがこの1年間で起き、その度に四苦八苦させられたけれど卒業は叶ってしまった。過ぎてみればあっという間で、学院に入った当初は逃げ帰りたいという気持ちでいっぱいだったのに、いつの間にかそれも思い出になっていた。
僕の学院最後の1年の成績は、剣闘大会ベスト8と、序列戦4位というものだった。
序列戦には予告通りにお父さんが観戦に来て、準決勝で敗れた時は親衛隊を覚悟させられた。でも、お父さんは敗戦後に僕のところへ来ると「3位になれたら許してやる」と告げた。それで三位決定戦に最後の希望を託して戦って、だけど負けたら、今度こそ親衛隊を覚悟したのに「試合ぶりを評価して許してやる」と言ってきた。
何だかどんどんハードルが下がっていったような気はしたけれど、騎士団入りも、親衛隊入りもせずに済んでしまった。
ちなみにセラフィーノは順当に剣闘大会優勝、序列戦第一位三連覇を果たした。
セラフィーノのお父さん――レヴェルト卿は観覧席で終始にこやかな顔をし、試合の最中にセラフィーノに手を振ったりしていた。初めて直接顔を見たけど、何だかちょっとセラフィーノには似ていない性格にも見えた。不思議な人だった。
序列戦が終わったら、レヴェルト卿に招待をされてスタンフィールドで1番だという高級なお店で食事をした。お父さんもその席について不思議な会食をした。セラフィーノはレヴェルト卿にだけはすごくにこやかな――もう15歳で成人しているから子どもじゃないんだけど、子どもらしいというか、無邪気な顔を見せていた。それなりに長いつきあいで初めて見たセラフィーノの自然で無邪気な笑顔には僕もお父さんも驚かされた。
そして、卒業式が済めば僕とセラフィーノも、もうバラバラの道を行くしかなかった。
「セラフィーノはレヴェルト領に帰るんだよね?」
2年ほど寝泊まりした宿屋の一室で荷物をまとめ終わり、スッキリした室内を見渡してから尋ねる。
僕はお父さんと一緒にエンセーラムへ帰る予定だった。それからのことはまだ決めていない。でも、もう気軽にセラフィーノと会うことはできないだろうと思っていた。ユーリエ学校で1年、そこを卒業してスタンフィールドへの旅路で1年、学院で6年。8年間も一緒にいたセラフィーノと別れるのは、やっぱり正直に言えば寂しかった。
「いや、すぐには帰らない」
「…………え?」
手紙のやりとりはちゃんと続くだろうかと心配を始めかけていた頭が、セラフィーノのさらっとした言葉で止まる。
「ラーゴアルダに寄ってからディオニスメリアの各地を回って、それから帰る」
「ああ……そう、なんだ」
「マオ」
「うん?」
「一緒に行く?」
「えっ?」
セラフィーノは旅装に身を包んでいた。
でもそれは貴族が馬車で旅をするような服装ではない。自分で歩いて、自分で外敵を切り払う装いだ。
「ファビオがやっと許可をくれた。もう僕を一人前として認める、って。剣闘大会三連覇ができなかったのが少し響いたけど、マオを2年で序列戦4位にしたっていう功績で挽回できた」
「え、えっ?」
「そういう約束をしてたから。マオにもちゃんと言ったけど。去年、かな。マオが何かお返しをした方がいいのか、って」
「……言った、気はする」
「僕は、マオを鍛え上げるのが自分のためになることだ、って答えた。それがこういうこと。お父さんから昔、話を聞いてて、剣闘大会で誰もが1回戦も突破できないって言った学生に、ただ1回の大金星を与えたことがあったんだって。それを僕はマオで、序列戦っていう舞台に置き換えてやってのけた。お父さんがやったようなことを僕もすれば、どんなに融通の利かないファビオでも認めざるをえないから」
裏にそんな画策があったなんて、少しも知らなかった……。
「だから晴れて僕は自由の身になった。
マオはもう、僕にちゃんとお返しをしてくれたから、この誘いは友達として。
一緒に旅をしよう、マオ。知らないものを見て、知らないものを聞いて、知らないものを感じて、たくさん楽しもう」
差し伸べられた手を見つめる。
きっと、お父さんは僕と一緒にエンセーラムへ帰る気でいっぱいだ。多分、そのために親衛隊入りというペナルティーを撤廃したのだから。
「……うん、行こう」
お父さんには悪いけど、セラフィーノの手を握った。
もう数年してからエンセーラムに帰ろう。
もっともっと、僕は強くならなきゃいけない。
ううん、強くなりたい。
セラフィーノといればきっと成長できる。
本格的な旅となれば辛いことも苦しいことも多いだろうけれど。
「今度こそ、証明するよ。
不可能はひっくり返せるし、僕は本当の意味で強くなれるんだって。
セラフィーノにも勝てちゃうくらいまでにならないと、その証明にはならないよね」
「でもそれを成せば不可能ではなかったことになる。
つまり、不可能を可能にした、という結果ではなく、可能であったことをこなした、という事実に変化する。
だから永遠にその証明はできない」
「……あれ? え?」
「今ごろ気がついた?」
「セラフィーノっ、最初からっ……!? どこから、どこまで――」
「早く行こう、マオ。のろのろしていたら明日はすぐに僕らを置き去りにする」
「あ、待って、そんな急いで行かなくても……!」
そうして僕らは旅に出た。
セラフィーノとの旅が終わり、エンセーラムに帰ってから僕はまた旅に出ることになる。
けれどそれは、まだまだ先のこと――。