セラフィーノの嘘
「……っ」
ピエトロ先輩は僕に降参をさせようとしている。それが僕を折ることに繋がると知っているからだ。
場外にされるのならば相手を讃えられる。戦闘不能にされても同じ。——でも降参をすれば自分で諦めて負けを認めることになってしまう。
「賢明な判断をすべきだ。
このまま醜態を晒し続けたいのかい?」
その言葉はとても観覧席には届かないように、でも僕には聞こえる程度の声量に抑えられている。
「言うんだ、マオライアス。
痛いのは嫌だろう? 苦しいのも嫌だろう?
降参と一言、口にするだけで終われるんだよ?
すぐに傷の手当てをされて、落ちこぼれがよくがんばったと誰かは誉めてくれるさ」
勝てない。
この状況からどうやっても。
やっぱり僕には不可能なんだ、序列戦を勝ち抜くなんて。
「さあ、言おう。
ムダなんだから。
キミはよくがんばった」
降参を促しながら、僕の気を逆撫でしている。
ここで負けを認めたら、これまでの僕を否定することになる。
何もかも先輩の手の平の上で踊らされていたという事実のみが残る。
でも、もう勝てない。
がんばった、なんて慰めの言葉は何にもならない。
「……こう、さん……」
「教官に伝えるように、ハッキリ言わなくちゃ。宣言をするんだ」
「っ——するもんか!」
土魔法で床から棒を生やして掴む。左手で掴み、膝を伸ばして飛びかかった。
だが、あっさりと刺突剣が僕の左肩を刺し貫く。即席の武器にした、先端を尖らせただけの土の塊もこぼれ落ちてしまう。
「愚かだね、マオライアス。
だからこそ面白いんだよ、キミは。
くっくくく……はっはははは!」
堪えきれなくなった笑いを隠しもせずにピエトロ先輩はそう笑った。
きっと笑うと思ってた。自分の優位性を微塵も疑わず、勝利を確信して笑うと信じてた。
だから。
だからこそ、つけいる隙がそこにある。
その歪んだ性根が僕を散々苦しめて、でも己を苦しませるのだ。
「あああああああああっ!」
「なっ——!?」
肩にずぶずぶと先輩の刺突剣が突き刺さっていく。
根元まで、深々と剣は差し込まれて、そのせいですぐには抜けなくなる。
背を仰け反らせるように頭を引いてから、思いきりぶつけてやった。
頭突きを叩き込む。右前腕負傷、左肩貫通、右足負傷——でも、毎日走らされて培った体力は残っている。セラフィーノの突きはもっと鋭く、速く、一撃で僕を動けなくするほどに痛かった。
「ぐ、うぅっ!?」
よろめく先輩に、ファイアボールを8つ浴びせる。
四方から時間差で次々と放たれる火球を捌くこともできずに、最初の2発こそかわされたが残りは全弾命中する。
走らされて、さんざんに痛めつけられて、その上で魔法の練習をしてきた。
どれだけ体のコンディションが悪くても正確に発動をするために。
「何故っ、まだ抗う――!?」
「不可能をひっくり返す!」
落ちていたサンクトゥスロサの柄を、大きく開いた口で噛んで掴む。犬だと笑いたければ笑えばいい。そんな嘲笑はこれまでずっと浴びせられてきた。笑われるくらい無様なことをしてでも、ただ1回を勝つことができれば証明はできる。口にくわえた剣で丸腰のピエトロ先輩に向かう。酷く痛む右足が崩れかけ、無理やりに自分を土魔法のヴァイスロックで突き出した。全身を1つの塊にでもするかのように力をみなぎらせ、グッと姿勢を崩さないように筋肉を固める。
剣は掠めた。
ピエトロ先輩の左側へ僕の体は倒れ込む。
動け、動け、僕の足。
痛みなんか忘れろ、今、ここで畳み掛けないとダメなんだ。
サンクトゥスロサをくわえこんだままに唸りを上げ、自分を叱咤しながら右足で体を起こす。
左足で床を蹴りながら方向転換をし、先輩を向く。顎を引いて、刃に角度をつけて。痛みは咬合する力に回して食いしばる。
「ウウウウウウゥゥゥッ!」
唸りながら。睨みつけながら。
エアブローで自分の体を後押ししながら。
口で切り上げた。歯が歯茎ごともげるかと思う強い力が返ってくる。
そのまま左足で踏み込んで、さらにヴァイスロックで自分ごと先輩を押し込んで。
場外へと自分もろとも先輩を突き落とす。
先に場外に体が接地した方が負けだ。口を開いて。
「ウォーターフォール!」
押し倒すような形で、さらに直上から水を落とした。
盛大な水に押しつけられるようにして落ちる。
「はぁっ……はぁ……」
「う、嘘だ……嘘に、決まって——」
「勝者あり! 勝者は、50番! マオライアス・カノヴァス!」
教官の声を最後に、もうダメだった。
意識が遠退いてそのまま僕は意識を失った。
目が覚めたのは学院の救護室だった。
ベッドに寝かされていて、徐々に意識がはっきりしてくると体中に痛みが迸る。
「っ……う、うぅぅ……」
痛い。
特に右手が痛い。左肩も、痛い。
それから右足も痛いって気がついた。
確か……ええと、そうだ。
勝った。
ちゃんと教官が、勝者として僕の名前を呼んだ。
あれ、呼んだよね……?
何だか、幻聴な気もしてきちゃう……。
本当に僕って勝ったんだっけ。場外に押し出すしかないと思って、がむしゃらにやって、最後はピエトロ先輩を下敷きにするみたいにウォーターフォールで僕の体ごと叩き落とした——けど、先に場外に触れてしまった方が負け、だから、上下を逆転させられてたりしたら……。
自信を持てない。
やりきった、って気持ちで幻聴でも耳にしたんじゃないかな。
だって現実味がなさすぎる。僕がピエトロ先輩を相手に場外で、とは言え勝っちゃうだなんて。
悩んでいたら誰かが近づいてくる靴音が聞こえた。ベッドの中でちょっと身構える。
ピエトロ先輩とか、その取り巻きとかがお礼参りにきたのかも知れない。——という被害妄想は杞憂だった。
「起きたの、マオ?」
「……うん」
セラフィーノだった。
ひとまずほっとする。
「ね、ねえ、セラフィーノ。僕って、勝てた……?」
「うん。何で?」
「何か……実感なくて」
「ちゃんとマオが勝った。明日の2回戦にマオも出なくちゃいけない」
「そっか……」
2回戦なんて、少しも考えてなかった。
勝つなんていうことが想像できていなかったから、改めて直面するとまた不安を感じてしまう。
勝てるだろうか。
さすがに、2度目はないんじゃないかとも思う。
「…………」
ふとセラフィーノを見る。
僕の試合をどういう風に見てたんだろう。色々なことをしてくれたのに、危なっかしいことこの上ない戦いになっていたようにしか思えない。
「…………」
何を考えてるのか、それとも何も考えてないのか、セラフィーノはベッドの傍に立ったままでいる。と、僕に目を向ける。
「何、マオ?」
「あっ、ううん……あの……何でもない……」
「……そう」
「ぴ、ピエトロ先輩……は……?」
「知らないし興味ない」
「そう、だよね……」
「戦いながら何か喋ってた。……何か言われた?」
「……うん」
僕は心が弱いから、すぐに折れる。
それが打ち直されたって、同じことが繰り返されて金属疲労みたいにポッキリ折れて壊れる……。
脆くて弱いんだと指摘をされた。
「マオ?」
「でも、大丈夫だよ……。だって、本当に僕、序列戦で勝っちゃった。
セラフィーノが僕に教えてくれたことを、証明できたんだよ。
不可能はひっくり返せる、って」
初戦からボロボロになった勝利だけど、落ちこぼれの僕が勝つことができた。
あの場にいた誰もが――ううん、セラフィーノだけは信じてくれたけれど——勝てないって思っていた試合を制した。
「……マオ、実は嘘をついてた」
「嘘? 何?」
「不可能なんかじゃなかった、最初から。
だから、その証明は違ってる」
「……そんなこと、ないよ。あんなの、不可能だったよ」
「違う。マオはやればできる。ちゃんとやれたから、勝てたっていうだけだ」
「ありがとう、セラフィーノ……。それに、ごめん」
「謝るようなことをマオはしてない」
「ううん、謝らせて。セラフィーノがどう思っても、僕は……しちゃいけない裏切りをした。ずっと後ろめたかったし、それが苦しくて、本当は、心のどこかで、セラフィーノに何か仕返しでもされた方が気が楽になるかもとか、思ってた」
黙ってセラフィーノは僕を見ている。
本人が気にしていないということを一方的に気にするのもどうかとは思う。
それでも、ちゃんとしておかないといけないんだと思った。
「ごめん、セラフィーノ」
「分かった。じゃあ許す」
「……簡単に済ませるよね」
「だって僕はどうでもいい」
人の苦悩をどうでもいいとか、すんなり言えちゃうんだから本当に……。
「何か、セラフィーノには色んなことをしてもらってばかりだよね……。何か、お返しとかできればいいんだけど……」
「それなら問題ない」
「どうして?」
「マオには分からないことだけど、自分のためにはなってることだから」
「……そう、なの?」
その日は救護室のベッドで過ごして、翌朝になるとセラフィーノに引きずられてまた特訓をさせられた。
軽めのメニュー、とは言われたけど体は酷く疲れて、そのまま2回戦に臨んだ。相手は18番と若い数字の先輩で、弄ばれるようなこともなく、真正面から押し切られて、押し負けて、敗北してしまった。
セラフィーノは順調に全ての試合を勝ち進み、序列戦をとうとう二年連続制覇してしまった。




