序列戦
オーロルーチェを追放されてからは、本当に過ごしやすくなった。
心なしか、空気もおいしいような気がしている。
毎日、毎日、セラフィーノに連れ出されてどんな弱音を吐いても、ゲロを吐いても、特訓は続けられた。そうする内に、今年度の序列戦が近づいてきた。セラフィーノは確実に序列戦に選出される。それだけの成績もあるし、2年の時にすでにして剣闘大会を制しているから当然のことだった。
序列戦では剣闘大会と違って、どれだけ憎い相手でも妨害工作はできない。
まず注目度が高くて、学生の親や、騎士団の偉い人も観戦にくるから、もしも出場している子息、息女が不審な負け方をすれば徹底的に調査をされるためだ。かなり昔のことだと聞いているけれど、序列戦の出場者同士が陰で足の引っぱり合いをしたことがあって、それが露見した時はその場で退校処分の命令が出されたらしい。それほど厳格に不正行為は禁じられている。
だからセラフィーノはまた——前年に引き続いて序列戦第一位を掴むのだろうと呑気に思っていた。
そう、思っていた。
「マオを序列戦に推薦しておいた」
セラフィーノがさらりとそんな言葉を言うまでは。
「ど、どどっ……ど、どう、どういうこと? 何で……? 僕なんか、何も実績はないのに……」
「教官に呼び出されて序列戦に参加するようにってさっき言われた。だからマオも選出してほしいと頼んだ」
「何で? 何でっ?」
「だって来年出る。今年も出ておいた方が経験になる」
「……い、いや、そんな理由で、認められるわけない……」
「多分選ばれる」
「ムリだよっ」
「ここ最近、マオの実技成績は目に見えて伸びている。序列戦を意識していない連中が訓練の手を抜いているから、相対的にマオの成績は急上昇している。その伸びしろを買え、って言っておいた」
「買え? そん、な……命令口調で?」
「言っておいた」
何で言えちゃうの、セラフィーノは……?
「言ったら、一考の余地があるって」
「……で、でも、そんなので、確定するはず——」
「マオが出ないなら僕も出ないって言っておいた」
「何でっ!?」
「脅しになる。きっとわざわざ観戦に来るような物好きの連中は僕に注目をしてる。だから僕が出ないことになれば学院側はマズいことになる。これは有効な脅しになる」
「脅しちゃダメだよ……。不正みたいな……」
「不正じゃない。交渉」
「そんな……」
無茶苦茶だった。
そして後日、僕はセラフィーノが脅しをかけた教官からの「推薦」という枠で参加することになった。
序列戦は学院のビッグイベントだ。
毎年、選出される参加者の人数は違うけど例年50人前後となっている。その年にあった剣闘大会か魔法大会の成績、通常の授業の成績、そして推薦した教官や講師の評価といったものを基に、総合的な推定の実力が決められて参加者に数字が振り分けられていく。人数によるからない時もあるけど番号が若い順にシード枠が埋められていく。セラフィーノは、去年に引き続いて第一シードを獲得していた。
対する僕は50人中で50番。
セラフィーノが教官を脅して僕を参加させたって、評価されてしまえばやっぱりこの程度なのだ。
トーナメント表は学院の玄関ロビーに当たる中腹の掲示板に大きく貼り出される。
人数が多いせいか、トーナメント表の組み合わせは名前じゃなくて番号しか書かれない。だからトーナメント表と一緒に貼り出された番号照会表も見なければならない。下から見て真っ先に見つかってしまった僕の名前と、下から見ていくと最後に見つけられるセラフィーノの名前。こんなところで大きな大きな隔たりを見せつけられたような気がした。
名前を見ても分からないだろうけど、と思って照会表で初戦の相手を確認する。14個のシード枠からは外れた人だと思えばマグレがありえるかも知れない。どうせなら序列戦初参加の下級生がいいな、と思ったけど相手の番号が15番だった。枠が足りなかったから選ばれなかったものの、足りていればシードであったという評価に他ならない。
照会表を上から順に見ていく。セラフィーノが1番で、2番は前の魔法大会の優勝者。そこから番号をすっ飛ばして、15番——ピエトロ・コロンネーゼ。
「…………」
何度確認をしても、変わらない。
僕は50番で、相手は15番。僕の番号も50番で、ピエトロ先輩の番号も15番。
何度トーナメント表と照会表を見比べても番号は1つたりとてズレてくれようとはしない。
「——やあ、マオライアスくん?」
いきなり横から声がし、ぎょっとすると肩にがっちりと腕を回された。思わず背筋が伸び、緊張が体を支配する。
「最後の年になって序列戦に選出されちゃうとは思ってもいなかった。
でも自分のことより、僕はキミがあそこに名を連ねてしまっていることの方が不思議だ。
オーロルーチェを燃やそうとした拍子に、ちょっとタガが外れてしまっちゃったのかな?」
声だけは穏やかだけれど、嫌なものを振りまいている。
肩を掴んでいる力もさほど強くはないけれど、でも冷たいものが背中をなぞる。
「まさか序列戦に出て、まさかいきなりキミと戦うことになって……まさか、まさかの連続だ。
でもねえ、あれきりキミが、あんなに僕が目をかけてやっていたのに、まるで最初から他人だったかのように関わりがなくなってしまっただろう? 少し寂しかったよ。そっちの方が僕としては気になる。試合なんかよりもね」
横目にピエトロ先輩を見る。細い目は掲示板に張られているトーナメント表を見ているようだった。
「また仲良くするつもりはないのかい?
心苦しいのさ、このままだとね」
「…………」
「それとも。キミ、まさかこの僕にちょっとでも勝てるとか、思ってないだろう?」
序列戦での妨害は、厳禁。
どんな手段を用いたとしても、不審な点があれば調査される。
でも試合となれば、試合中の舞台上に限っては、勝利するためという名目がついて回る限り、どんなことでもできてしまう。わざとなぶっても、わざと必要以上の攻撃を加えても。殺そうとするのはルールに抵触するけれど事故という形の死亡は珍しいものじゃない。
「僕が欲しいものを2つだけ、教えてあげよう。
この序列戦で最低2回の勝利を掴むこと。
そして領地持ちの貴婦人に取り入ること。
果たして、キミは僕にどっちを提供することができるんだろうね。
よく考えた方がいいよ、マオライアス。
知っているはずだよ、僕が教えてあげたのだから。
弱い弱い、僕らのような無力極まる人間はさ、社会という群れを作って助け合わないといけない。
だから、分かるだろう、マオライアス。
それにまだキミには来年というチャンスがあるんだ。
賢明な判断を下せるものと僕は知っているよ。
よく考えるんだ、いいね、マオライアス」
ぽんと僕の肩を叩いてピエトロ先輩が離れる。
そのまま気取ったような足取りで歩いていく。
「ま、待って……待ってください、ピエトロ先輩!」
声をかけると、先輩が振り向いた。
周囲にいた人達も大きな声で呼び止めた僕に視線を向ける。
「何だい? まだ話したいんなら、オーロルーチェへおいでよ。
歓迎してあげよう、まだラウンジは凍りついてるけれどね」
「先輩の言ってることは、間違ってます」
「……へえ? どこが?」
「先輩が言う助け合いは助け合いじゃない。
自分だけが得をして利を得るための個人主義です。
それをわざと偽って他人を陥れる、クズの発想だ。
お前みたいな、貧相な狐みたいな卑怯者に負けたくない!」
細められている目がゆっくりと開いていった。
口角までもがゆっくりと上げられていき、満面の笑みになる。
歪で、不気味で、空恐ろしさも感じさせられる、奇異な笑顔だ。
「そうかい?
愚か者だね、キミは。
せいぜい後悔すればいいさ、その誤った判断を」
ひらりと手を上げ、それを軽く振ってピエトロ先輩は今度こそ人混みに紛れていなくなった。