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ノーリグレット! 〜 after that 〜  作者: 田中一義
 8 マオライアスとセラフィーノ
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偽名はマックス


 疎遠になったと思っていたのは僕がセラフィーノに話しかけなかったから。

 でもセラフィーノは僕がそうしたがっていたのを察知して、同じように干渉しなかっただけだと言った。言葉を交わさなかった1年はセラフィーノにとって苦でもなかったのだ。その自覚はセラフィーノにないかも知れないけど、僕を友達として信頼してくれていたから。



 セラフィーノは言った。

 曰く、不可能はひっくり返せる。


 その期待が僕にはつらい。応えられる自信がない。

 でも最悪の裏切りをしたはずの僕を、ずっと友達だと思ってくれていた。



 不可能はないと証明することを僕らは誓い合った。

 落ちこぼれで、秀でた身体能力もなくて、どころか同輩より2つも年が下で、実技成績は底辺をさまよっている僕が――マオライアス・カノヴァスが序列戦第一位になる、という学院最高の栄誉を手に入れることで。


 人が馬より速く平原を駆け抜けるくらいの不可能だ。

 空から砂糖水の雨が降ってくるくらいの不可能でもある。


 でもセラフィーノは、不安を口にする僕に真顔で言った。

 曰く、「穴空きが魔法を使う程度の不可能だ」と。



 不可能をひっくり返したら、それは不可能ではなくなる。

 あるいはそれは奇跡と言い換えられる。


 人為的に奇跡を起こそうという試みは無謀だ。

 けれど、その類の奇跡はすでに世の中には溢れている。


 魔法だ。

 そこにないはずのものを生み出すその奇跡は、すでにこの世界に欠かせない文明と結びついていた。


 言葉遊びにすぎないのかも知れないけれど奇跡はありふれている。



 ——なんてことを、セラフィーノは僕に言い聞かせた。




 そしてすぐに行動は開始された。使うのはロープ1本と、僕とセラフィーノの体だけ。

 スタンフィールド近隣の荒野を、ただひたすらに走らされた。ロープで互いの体を結び、セラフィーノが先行して走る。僕はそれについていく。僕の体力が尽きてペースを落としたり、足を止めてもセラフィーノは容赦なく走り続ける。引きずられる。暴れる牛に縄をつけて引きずられていくような気分だった。全身、あちこちを痛めながら引きずられた。


 走り終わると練習用の木剣を渡され、ひたすらに打ち込まされた。

 でもセラフィーノは一撃も受けず、あっさりと僕の攻撃を打ち払う。それで生じた隙につけこんで、激しく木剣を繰り出される。さんざん、痛めつけられる。走るのと同じで、まったくもって容赦がない。


 これも終わると、もう立ち上がることもできなくなる。

 すると今度は魔法の練習だ。セラフィーノの魔法は常人をはるかに超えた規模と威力だ。でもそれは僕にはできないと言い、普通の魔法を教え込まされる。成功するまでひたすら繰り返しをさせられる。

 例えばファイアボール。ただ使う分には僕でも簡単だけれど、セラフィーノはこれを離れた箇所に同時に展開させるようにと言った。握り拳大の火球を一箇所にまとめて3個出すのが限界なのに、人の頭くらいのサイズのものを自分の前後左右に2つずつ出せ、と言う。しかも時間制限は1秒。1秒で出せないと、セラフィーノは指で弾いて飛ばした豆を僕の額にぶつけた。パチンっと乾いた音がして額に小さくも鋭い痛みが奔る。


 魔力変換器の疲労は痛み、という形でもたらされる。

 それをセラフィーノに伝えると、魔法の練習がようやく終わる。



 走って、剣の稽古をして、魔法の練習をして。

 へとへとのくたくたになっていても、まだセラフィーノによる特訓は続く。


 魔法の練習をした後は真剣を用いた、また剣の稽古。

 刃引きさえしていない、その剣で上から吊るされたロープを斬ってみろとセラフィーノは言う。だが、このロープは何かがおかしかった。刃を当てて前後にこするようにしてもさっぱり切れないし、とても硬い。ソウラー、という特別な魔法でロープを硬くしているということだった。

 これを一振りで切断する、というのが課せられた第一段階の目標らしい。ちなみにセラフィーノは簡単にそれをして見せた。ただ速いだけでもいけない、ただ力を込めればいいわけでもない。鋭い一振り、というのが大事らしかった。セラフィーノの実演は剣が見えないほどの速さで、垂れ下がったロープなどないかのように刃は通過する。そして切り飛ばされたロープの端っこが落ちている、という具合だった。



 これらの特訓はセラフィーノが物心がついた時から行われていたらしい。

 最後のロープを斬る、というのは思いつきで加えたらしいけれど。


 セラフィーノのお父さんの従者で、血縁に照らせば叔父にあたるエルフにずっとずっと、この厳しい訓練を日常のものとして叩き込まれ続けてきたんだと、いつものさも当然であるかのような顔で教えてくれた。さんざん痛めつけられるのが嫌でエンセーラムに行った、とも。


 この訓練が始まってから、生傷が絶えなくなった。

 回復魔法のかけすぎは体に悪い影響が出るからと、大きな傷以外は治してくれない。それでも動けないほど痛む打撲なんかは少しだけ治してくれた。



 毎日泥のように眠って、朝、起きるのがつらかった。

 でもセラフィーノはずかずかと僕の部屋へ入ってきて、わざわざ氷水をかぶせて僕を叩き起こして、どれだけ懇願しても聞き入れずに早朝から荒野へ連れ出した。それがセラフィーノにとっては当たり前だったのだと思い知らされた。自分ができたんだから僕にもできるんだと、その態度が物語っていた。まして、物心つくかどうか、という幼いころから始められていたのだから15歳の僕にできないはずがないとさえ思っているだろう。


 魔法大会が終わり、学院の日常が戻ってきても変わらなかった。

 出なければならない授業も訓練も、5年生になると少ないから空いた時間が多い。問答無用でセラフィーノは、その空き時間で僕に特訓を施していった。たまの授業が貴重な休憩時間に変わった。嫌で嫌で仕方がなかった実技訓練の授業で、初めて教官に誉められた。


『カノヴァス、最近、少しずつ上達してきているぞ』


 それだけの短い言葉だった。

 でも、嬉しかった。


 抗えないセラフィーノの特訓で、ちょっとだけ変わったような気がした。




 見慣れない、その少年が現れたのは特訓が始まってから10日ほど経ったころだった。

 少なくとも同期ではなかった。オーロルーチェの人でもない。真新しく見える、ピカピカの白い騎士養成科の制服を着ていた。


「……き、キミは、マオ――マオライアス、なのか?」


 戸惑っているような声で彼は僕にそう話しかけた。

 本当に僅かな、特訓の合間の昼食時だった。セラフィーノはミルカのところにスパイスチキンとオニギリを買いに行っていたからその場にはいなかった。



「だ、誰ですか……?」

「え、ああ……えー、と……ま、マックスだ」


 知らない名前。

 年頃は僕より少し上くらいに見えた。多分、上級生だ。


「ごほんっ……ん、んんっ……」


 何故か咳払いをしつつ、マックスと名乗った人は目だけで僕を観察しているようだった。全身、擦傷だらけで、さっきまでセラフィーノに引きずられまくって服も砂まみれになっている。


「い、虐められているのか……?」

「……今は、ないですけど……」

「じゃあ、その格好は何だ?」

「…………あの、何か、用事ですか……?」


 ものすごく怪しい。

 あえて質問に答えずに尋ねると、少し怯んでいた。やっぱり怪しすぎる。


「風の噂で、あー……何だ、かの有名なカノヴァスの縁の者が酷く思い詰めた顔をしていた、と聞いて……どんな顔かと興味本位で見に来たのだが」


 目が泳いでいる。


「…………」

「…………」


 荒野を風が吹き抜け、土煙に飲まれた。

 目と鼻に入らないように、袖で防ぐ。マックスという怪しい人物はサッとハンカチを出し、それで自分の口元を押さえていた。風が過ぎてからまた僕に目を向けると、おもむろにそのハンカチを近づけてくる。


「顔まで汚してどうする。身だしなみというものは大切なんだぞ」

「ご、ごめんなさい……」


 顔を拭かれてしまう。

 不思議と、ほんのりと懐かしい香りがした。

 それに他人にこんなことをされると、普通、もっと警戒しそうなものなのに、顔を拭かれている間はそれが当然かのように大人しくしてしまった。



「……どなた、なんですか? 名前じゃなくて……」

「え? ああー……そうだ、用事を思い出した。そうだ、用事があったんだ。ああ、忙しい。エジット教官に頼まれごとを——」

「エジット教官……? 去年、辞めたんじゃ……」

「えっ?」

「……え?」


 固まっていた。

 ぱちぱちと瞬きをしてから、彼はくるりと回れ右をして。



「さらばだ」

「あのっ……?」

「ああ、それと、そうだ、ひとつ言っておこう!」


 くるっとまた僕を振り返ると、両肩を掴まれた。


「手紙というものの返事は、とても大事だ。もらった手紙には、即座に返事を書かねばならない。それが世の中の道理だ。いいか、礼儀なんていうものではない、道理だ。分かったな? よく思い出せ、受け取ったまま出していない手紙に返事を書き忘れてはいないか?」

「え? 特に……」

「いいや、あるはずだ。あるんだ、絶対に。これは道理だからな、分かったな? 約束だ」

「は、はい……」

「では、今度こそさらばだ!」


 言うだけ言ってダッと走っていってしまった。

 手紙――? 最近届いたものはないはずだ。


 ない、と思う。


 ない……。

 …………いや、あったかも知れない。



 ふと、見たこともない弟の——クラウスからの拙い手紙の存在を思い出した。



「誰だったんだろう……?」


 どんどん小さくなっていく背中を眺めて呟いた。

 買物から帰ってきたセラフィーノが、落ちていたと言ってハンカチを僕に見せた。マックスっていう人が僕の顔を拭いたハンカチだった。それを手にして見つめる。質の高い品だった。手触りもいいし、刺繍も見事だけれどそればかりが主張をするでもない。


「……それ、マオの?」

「ううん、僕は持ってない」

「でも見覚えがある」

「えっ?」

「エンセーラムにいたころ、見たことがある」

「……僕が持ってた?」

「多分」


 うちにはハンカチはいっぱいあったから、いちいち覚えてない。

 たまたま、同じようなやつをマックスさんが持っていた? これと同じものをたまたま、セラフィーノがエンセーラムにいたころに見てた?


「分かんない……」

「このハンカチはディオニスメリアのものだ。アロイシー風」

「アロイシー風……?」

「アロイシー領のハンカチは少し形が特別で、通常のものより一回り小さい。最初から少し風合いがこすれているようになっていて、長く使ってもあまり汚く見えないようになってる。むしろ良い風合いになっていく。作りも割と丈夫で隅のどこかにヒヤシンスの花が咲いている小さな刺繍がされている」


 言われてみると、確かに隅っこの一箇所にだけヒヤシンスの刺繍が咲いていた。


「家から持ってきたやつじゃないの?」

「ううん、持ってきてない……」

「送られてきたとか」

「覚えはない、けど……」


 じゃあ、これを持ってたマックスって、何?



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