膨らむ不安
「ううむ……」
「どうしたよ、マティアス?」
ユーリエ学校での運動クラブの監督が終わってからのことだった。
いつものように誘われて酒を飲むことになって、今日は僕の家にレオンがやって来た。
肴は最近、レオンが凝って作っているのだという茹でた卵を調味液につけ込んだ、煮卵なるもの。それに生魚の薄造り。あと枝豆。これらを肴に清酒を飲む。
「最近、マオから手紙がよく届くようになったんだが……」
「良かったじゃんか。前は手紙書いても返事くれなかったんだろ?」
「ああ……。だが、どうも内容がな」
「内容?」
マオから届いた手紙を持ってきて、レオンに見せてやった。
しばらくレオンはそれを読み込んでから、僕に怪訝な目を向けてくる。
「長々と書いてあるけど……要するにこれ、金を無心してる……ってこと、だよな?」
「そうとしか見えまい?」
「まあでも、楽しくやってるってことだろ」
「最初は、こんな手紙でもようやく届いたからな。すぐに金を送ってやったさ。だが、すぐにまた、2通、3通と増えて……。一体、学院で何をしているのやら」
悪い遊びでも覚えた――という線が濃い。
しかし、悪い遊びにも種類がある。
「女に貢いでるとか? お前もヤリチンだったしな」
「ばっ……レオン! 昔のことを持ち出すな! というか、ミシェーラとクラウスだって、今、この家にいるんだぞっ、聞かれたらどうするっ」
後半、声をひそめて言いつけると、レオンはへんっと鼻で笑った。
「あとは……女じゃなかったら、何だろうな」
「博打にでもハマったか……?」
「ああー、そう言えば多かったよな、賭場も。俺は結局、1回も行かなかったけど」
「あれで身を持ち崩して、財産を食い潰さん勢いで金を無心しまくり、勘当されて退校処分――というのはそこまで珍しくない話だ」
「いた、いた。そういうバカが」
「だが……マオがそんな遊びをするようにも思えなくてな」
「そう、だよなあ……。いい子だしな」
「僕の子だからな」
「出た」
「とは言え、もう15歳。成人祝いの品も送っておいたが……あれさえ、売り飛ばして金にしていないかと不安だ」
「何贈ったんだ?」
「これだ」
編んでいる部分の髪を指でつまんで見せると、レオンはつまらなそうに「ああ」と相槌を打つ。
「何だ、その態度は?」
「いや……何なんだろうな、と思ってさ。その前髪を編むことへのこだわりが。クラウスも編んでやるようになるのか?」
「ああ、教えてやるつもりだ。オシャレでいいだろう? しかも、あまり誰かと被らない」
「……あっそ」
これの良さが分からないか。
まあいいさ、レオンに理解できる事柄は少ないのだ。
「いくらくらいすんの、それ?」
「ディオニスメリアでなら……金貨5枚の値打ちはするな」
「そんなにっ!?」
「クラウスが起きるだろう、静かにしろ」
「い、いや……高すぎねえか? ぼったくりじゃねえ?」
「何を言っている、素材は——」
「ああ、いい、いい、分かった。こだわりの逸品な」
「ちっ……最後まで語らせろ、興味を持つのであれば」
「悪かったって」
手紙を僕に返してきて、レオンは枝豆をつまんだ。
すっかり話は逸れてしまったが、マオがどうしているのか、というのが不安だ。
「様子でも見に行けばどうだ?」
「スタンフィールドは気軽に行くには遠すぎる。キミがレストを僕に貸してくれる、というのなら別だが」
「あー、そりゃムリだわ」
「だろう?」
一目でもどうしているかをこの目で確かめられれば安心はする。
だが、僕自身も仕事が忙しいし、はるばる海を超えてエンセーラム北方のスタンフィールドまで足を運ぶのは非常に難しいことだ。かといって、代わりに様子を見にいけと言えるような者もいない。
「あ、じゃあ俺が行くか?」
「よしてくれ。もし何か起きていたとして、キミじゃあ不安になる。逆に」
「おいこら」
「それとなくでもマオの近況を知れればいいが、この手紙をどこまで信用していいやらでな……」
「ミシェーラは知ってるのか、マオが金くれって手紙寄越してるの」
「ああ、知っている……。ミシェーラも心配をしているんだ」
「だったら放置はできねえな」
「だからキミは、どうして人の妻をそこまで——」
「俺とミシェーラはそういう関係なんだよ」
「どういう関係だ、夫を前にして意味深発言をするな」
「今さらだろうが、察しろ、ボケが」
「キミというやつは……」
それでもいちいち気になるから慎め、と言いたいのに。
万が一にもミシェーラが不貞を働くなどないが、それでもたまにレオンと彼女の関係性には疑問を持ってしまう。男女の恋仲とも違うように見えるが、それでも変に近いのだ、距離感が。まったく、僕の心臓に悪い。
「しっかし、マオの様子見かぁ……。たまには俺も海の向こう行きてえなあ」
「この前も行っていただろう」
「いつのこと言ってんだよ、もう3年はこの国出てねえっつの」
「僕はもっとだぞ、ナターシャを討伐に行って以来だ」
「大昔だな。……んじゃ、行ってこいよ、お前が」
「仕事はどうしろと言うんだ、仕事は」
「俺とリアンでどうにかしてやるって」
「そう簡単に、どうにかしてもらえるというような仕事をしている覚えはない」
「この仕事人間め」
「悪いか?」
「いや、頼もしいわ」
「ふっ、そうだろう」
「けどよ、お前も自分で行った方が安心できんだろ? 言い方は軽いけど、どうにかこうにかしておくし、お前もどうにかこうにか数日いなくてもいいくらいのことをしてから行けばいいじゃんか。な?」
レオンがスライスされている煮卵を一切れ口に運び、清酒を流し入れる。
難しい顔をしながら、また煮卵を食べて、うーんと首をひねっている。創作料理の好きなやつだと呆れつつ、僕も清酒を一口飲んだ。枝豆をつまむ。あれこれとレオンは作るが、安定しておいしいのはやはりこの枝豆だ。軽く塩を振っただけのシンプル極まりないものだが、それがいい。
「行ってこいよ、マティアス」
「……だが、レストを貸してくれるわけでもないのだろう?」
「ユベールに乗せてもらえって」
「……気軽に言うが、ユベールはカスタルディの王子だぞ?」
「だいじょーぶだって。ロベルタとはマブダチだし」
変なところで王らしいというか。
しかし、風格や威厳といったものに繋がらないのがレオンだな。
翌日、ミシェーラに事情を話してマオの様子を見にいくと告げた。
一緒に行きたがったがディオニスメリアへ、ユベール王子のワイバーンで行くと言うと案の定、渋ったので我慢してもらうことにした。ワイバーンに少し乗るくらいならばいいが、あれに数日乗り続けるというのは体がしんどくなってしまうものだ。
5歳のクラウスは、まだ会ったことのないマオに会いたいと言ったがミシェーラと留守番をするように言いつけておく。もう2年もすれば、マオがエンセーラムに帰ってくる意思があるのならば会えるはずだ。きっと帰ってきてくれると僕は思っているが、今どうなっているかもいまいち分からない。
できることならばエンセーラムへ帰ってきて、僕の手伝いでもしてくれれば助かるのだが——。
「おみやげ、まってていいですか?」
「ああ、クラウスがいい子にしていたらな」
「じゃあいいこで、まってます。あとあと、おにいさまに、おてがみかいたんです。わたしてください」
「いいだろう。返事も書かせて持ってきてやる」
「ほんとうっ?」
「ああ」
「良かったね、クラウス」
「うんっ」
僕を見上げて尋ねてきたクラウスが無性にかわいくて、抱き上げた。マオへの手紙だと言って渡されたものはパピルス紙に書かれたそのままだったが、丁寧に折り畳んで懐へ入れておく。
「おみやげ、ラルフにじまんしたいっ。あとね、フィリアとね、ディーにも」
「ああ、分かった。自慢できる土産を持ってこよう。その代わり、留守中はお母さんを守るんだぞ」
「はいっ、おとーさん」
「よし、いい子だ」
思えばマオに親らしいことをしてやれただろうかと思ってしまう。
マオだけではなく、クラウスにも。日中の世話はミシェーラに任せきりで、夜はレオンにつきあって帰らないことだってあった。
僕自身、父に教えられたことはあったが——そのほとんどは、従順に言うことを聞く息子となるように言い聞かせられたことばかりのような気もする。結局、それを守らずに反発をしたが……。
マオはどうしているだろうか。
ユベール王子の駆るワイバーン・ウォークスに乗りながら考える。
心配ごとは多い。
悪い病にでもかかったのではないか。
大怪我でも負ってしまったのではないか。
想像も及んでいない何かが起きてしまったんじゃないか。
ディオニスメリアへ近づく度、不安は膨らんでしまった。




