セラフィーノは分かってない
その手紙を見つけたのは初年度の終わりごろだった。
僕が部屋に戻ってくるとマオは机に向かっていたけど、何かをさっと隠した。その日も虐められてしまっていたみたいで、何だかよくは分からないけど変な悪臭がほのかに嗅ぎ取れた。水浴びでもしてきた方がいいと勧めると、僕に隠したものをぽろっと気づかないまま落として部屋を出ていった。
拾い上げたのはぐしゃぐしゃに丸められた紙だった。
それは最後まで書かれていない手紙で、マオがエンセーラムの両親に宛てたものだった。盗み見るのはどうかと思ったけど、読んでしまった。
1枚目には、学院で楽しく過ごしているという嘘の内容が書かれていた。友達ができたとか、授業が楽しいとか、剣術で学友を負かしたとか。そのどれもこれもが嘘で、何も心配をすることはない学院生活であるという内容だった。
2枚目は、その続きではなかった。具合が悪いとか、このままだと学院での生活に支障を来すかも知れないとか、これも嘘だ。けれど最後には、学院を辞めて帰りたいというような文章があり、それは最後まで書ききられる前にぐしゃぐしゃの線で書き潰されていた。
マオは学院にいるのが苦痛だ。
虐められてしまっている。可哀想なほどに。
物を取られて、あるいは使えないようにされて、もしくは手にしたくない汚され方をして。大勢に取り囲まれてなぶられていたこともあったし、酷い暴言を吐きつけられているのも見た。当初はマオの父親と揃いに前髪の一部を編んでいたけれど、その紐をぐしゃぐしゃに踏みにじられてしまってからは編むのをやめていた。
出されなかった両方の手紙から、マオが逃げ出したいと思っているのはありありと分かってしまう。
暖炉にその手紙を放り込んで火をつけた。部屋に帰ってきたマオは暖炉の火を見て、寒いのかと尋ねてきた。寒かったと返してから、火を消した。手紙は炭になって消えた。
マオはよく、手紙を書いていた。
盗み見ることはしなかったけれど、それらを出したようなことはなかったように見えた。マオの両親からの手紙は年に1度だったけど、マオは年中、机に向かって手紙を書いていた。あれだけ書いていて返事が年に一通なんていうのは考えられない。いくらエンセーラムと距離があったとしても、だ。きっとマオの両親は返事のない手紙を送っているんだろう。
入学してすぐくらいにレオンとマオの父が来たことはあった。
エンセーラムに新しい、魔法を専門的に学ぶための学校を建てるとかで、そのためにスタンフィールドへ来たということだった。マオは何もないかのように振る舞って、それをレオンもマオの父も見抜くことはなかった。僕から何か言っておこうかとも思ったけどやめておいた。マオが隠したがっているのをバラしてしまうのは良くないだろうと思った。
マオが虐められている現場を見ればそれをやめさせたけど、何度も何度も、同じようなことは起きていた。
そのまま4年も過ぎてしまった。僕のいないところ、目の届かないところで、マオはきっと毎日、虐められている。だから一日中そばにいようかと考えたこともあったけど、マオが遠回しにそれを嫌がっているような素振りを見せたからやめておいた。
やり返せばいいと何回言っても、できないようだった。
報復を怖れているのもあるだろうし、マオ1人では太刀打ちできないというのもあるはずだ。かと言って僕に頼ろうとするのも良しとはしないのがマオだ。同じ部屋で寝て起きての生活をしながら、いつしか僕らは昔のような関係ではなくなっていた。
「——やればできるって僕が言った通りだった」
マオの試合を見届けてから、そう声をかけた。
「偶然だよ……」
「運は大事だ。運良く勝つのは、実力で勝つより難しい」
1回戦を勝てたというのにマオは浮かない顔をしている。
次の試合は午後だから、昼食に出た。学院はスタンフィールド中央にそびえる巨大な岩山の内部だ。岩山をくり抜いて階層を作り、その中で日々の授業や訓練をしている。オーロルーチェもその中にある。
学院の外階段――実に1644段もある、学院中腹の玄関へ続くそれを2人で降りていく。
この階段を降りると必ず、スタンフィールドの町並みが目につく。学院の麓には無数の店が立ち並ぶ。そのほとんどが学院の学生を相手に商売をしている。剣闘大会の期間中なのでキャラバンも来ていて、出場者向けに必勝祈願のお守りなんかを売っていたりもする。
マレドミナ商会のスタンフィールド店は学院麓のメインストリートに構えていた。
マオをそこに連れていく。エンセーラム産の食料品もあるし、マレドミナ商会のルートを通じて仕入れられた物品も扱われている。目当てはそこに併設された食堂だった。
「あっ、セラフィーノ! マオも連れてきてくれたの!?」
「えっ……?」
食堂に入ると明るい女の子の声がする。
ミルカという娘がここで働いているのは、この前ふらっと来た時に知ったことだった。ミルカはユーリエ学校を僕とマオと同期で卒業した子ども達の1人だ。ユーリエ学校を卒業してからマレドミナ商会で働くようになって、去年、このスタンフィールドに新しい店を出すことになったのでやって来たという。
「忘れちゃった、マオ?」
「……み、ミルカ?」
「覚えてるんじゃない。それで、何にしますか? おすすめはね、スパイスチキンだよ」
「それ4本と、枝豆と、トウフと……」
「あ、待って待って、セラフィーノ。そんなにいっぱい言われても覚えられないから」
ちょっと意地悪をしたくなって注文しようとすると、ミルカは慌ててパピルス紙を束ねたものを取り出してペンを走らせ始めた。僕が小さく笑っているのに気づいたのか、メモをし終えたミルカが顔を上げるとむっとした顔をする。
「もぉー、セラフィーノって意地悪だよね」
「お腹がすいてるだけ。続きいい?」
「いいよ?」
「ミソウドンとプディングパン。マオは?」
「……まだ、セラフィーノ、食べるの?」
「ううん」
「じゃあこれでいいよね? 待っててね!」
ミルカはメモを手に厨房へ駆け込んでいく。
マオはそれを見送ってから、ほうっと息を吐いて椅子に座り直した。
「ミルカがいるなんて知らなかった……」
「僕も知らなかった。前にここにできたんだって気がついて覗いた時はいなくて、この前来た時に会ったから」
「何か、懐かしい匂いするね。このスパイスの……」
「スパイスチキンっていうやつだよ。スパイスをこの地方でとれる鳥の肉にまぶして焼きあげてるんだって。皮がバリッとしてて、スパイスが口いっぱいに広がって、ちょっと辛いけど、中から肉の旨味が溢れてくる」
「……何だか、お腹減ってきたかも」
すぐに注文しておいた料理が出てきた。枝豆はお父さんも好きだし、実はファビオも好物だ。トウフはそこまで好きっていうわけでもないけど、ショウユが好きだから食べる。枝豆とトウフを食べている間にスパイスチキンが出され、2本ずつマオと食べる。一口目をかぶりついた時、マオは目を大きくしていた。ちょっと味つけは濃いけど、おいしいのだ。
ミルカは忙しそうに店内を駆け回って、明るい声を出していた。
食べながらそれを眺めて、声を聞いているだけで少しだけ僕も楽しくなる。
ミソウドンは、甘いような、塩辛いような味つけをされている。
根菜を中心とした具の入った茶色の……かなり黒っぽいスープの中にウドンが沈んでいて、よくスープを吸って黒ずんでいる。けど食べてみるとそこまで濃いわけでもないでもなくて、具材の旨味も吸っていておいしい。
プディングパンはデザートだから最後に出てきた。
砂糖をたっぷり使った甘い卵液にパンを浸して、それを焼いたもの。甘くてふわふわしていて、添えられているベリージャムを合わせると酸味が加わってえも言えぬ幸せな気分になれる。
ひとしきり食べると、マオの顔が久しぶりに緩んだものになっていた。
おいしいものを食べて、よく知っている故郷の料理を食べて、束の間でも色々な嫌なことを忘れられているんだと思う。
「ねえ、セラフィーノ……」
「うん?」
「食べてから……だけど、僕、お金が今……」
「大丈夫、僕が払うから」
「……ありがとう」
ちょっと、また表情が翳った。
忙しそうにしていたミルカが僕らの卓へふらふら歩いてきて、マオの横の椅子に座った。
「ああー、疲れた。ちょっと休憩っ」
「ここで?」
「ダメなの? いいでしょ? 裏で休んでもいいけど、あっち狭いんだもん」
「ダメじゃない……けど」
「でしょっ? ねえねえ、学院ってどうなの? 勉強って難しいんでしょ? セラフィーノに聞いても、簡単だよって言うばっかりだけど、それってセラフィーノからしたらってことだもんね? マオはどうなの?」
「えっ……と、僕は、あんまり……」
「ええっ? マオでも難しいのっ? それって、どれくらい……?」
「でもマオは、座学は悪くないよ」
「そんなことないよ……」
「ある」
「…………」
「どっち? でも、マオなら大丈夫だよ。セラフィーノも特別だけど、マオだってユーリエ学校ですごかったし! レオン先生もいっつも、ケアレスミスがーって言ってたくらいで、大体、間違えることなかったんでしょ? あたし達の中なら、マオが1番だったし!」
そんなミルカの期待にマオはまた顔に影を落としている。ミルカは気づかずに喋り続ける。
「でもね、でもね、マオにあたし達も負けないからねっ! マレドミナ商会で働くことになった皆も、いっぱいがんばってるんだよ。あたし達の代じゃないけど、もっと前に卒業してってマレドミナ商会に勤めてる人ね、クセリニアの、セイホーシンシュツ? のね? えーと、戦略チーム? とか言うのに選ばれたんだって!」
「それは、何するところなの?」
意味がよく分かってなさそうなミルカに尋ねてみると、またむっとした顔をされた。僕の意図は見透かされているはずだ。
「西方進出の、戦略チームってことは……やっぱり、クセリニアの西はまだマレドミナ商会もあんまり店を置いていないから、どういう風にお店を出して、どういう路線の商品を売り出したらいいか……っていうのを考えたりする、のかな?」
「そうっ! マオの言う通り!」
「……ふぅーん?」
「何よ、セラフィーノ?」
「ミルカが本当に分かってるのかなー、って」
「分かってますぅー、あたしだってマレドミナ商会の一員なんだからね!」
「そういうことにしておいてあげる」
「しておいてあげる、じゃなくてそうなのっ。もぉー、セラフィーノって意地悪になったよね。エンセーラムにいたころはそんなじゃなかったと思うのに」
「そう?」
「うんっ」
「嫌い?」
「嫌いじゃないけど」
「好き?」
「マオの方がいい〜。やさしいから」
「振られちゃった……」
「ショックでもないくせに」
「まあね」
「あー、まあねってひどい!」
ミルカをからかっているのは面白かった。
つられてちょっとでもマオが笑ってくれるかと思ったけど、愛想笑いしかしていなかった。
「そろそろ行こうか。はい、代金」
「ちょっと待っててね、お釣り――」
「ミルカのお小遣いにしていいよ」
「いいのっ?」
「いいよ」
「ありがと、セラフィーノ」
お金を渡して店を出ると、店の前までミルカは出て見送ってくれた。
学院に歩きながらマオはお腹をさする。ちょっと食べ過ぎちゃった感じはある。
「……ねえ、セラフィーノ。その……控室での、ことなんだけど」
「いいよ、僕は平気だから」
「っ……」
元気が出る薬、なんて嘘っぽいものを渡してきたことには、あたりがついている。
今朝からずっとマオは何かを迷っていたし、そんなマオを監視している姿も見えていた。だから薬を渡された時、すぐに分かった。何かしらの毒みたいなもので、これを僕に飲ませるように強要されているんだろうというのは。
だから、僕はマオを責めない。
そんなことをするのは筋違いで、どころかマオを追い詰めることになる。ただでさえ、大変な目に遭っているのに。
「3回戦まで、がんばって。もっと自分から攻めていけば、マオは意外といいところまでいける。今回は僕と当たるから難しいだろうけど」
1644段の階段を上りながらマオを励ましておく。
友達としてマオにしてあげられることは少ない。本当はマオを虐める連中が、二度とそうしないようにしてやってもいいんだけどマオ本人がそれにいい顔をしないだろうからやれない。だったら、嫌なことばかりじゃなくって楽しいとか、嬉しいとか、そういう気持ちにもなれる時間があればいいと思っている。あとは自信とかをつけたりして、マオはもっと図太くなっていった方がいいとも思う。
——けれどマオは、不意に足を止めて、目を伏せてしまう。
「マオ……?」
「セラフィーノがそう言ってくれても……僕は、ダメだよ……」
「ダメって? ちゃんと1回戦も突破できた」
「そうじゃなくて……違うから」
「…………」
「僕とセラフィーノは違う……。僕のことをセラフィーノは分かってない」
何か間違ったことを言った覚えはないのに、マオは深く沈んだ声を出した。




