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ノーリグレット! 〜 after that 〜  作者: 田中一義
 7 悪の王女と正義の味方と動乱の国
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家族になるんだから


「リュカ、リュカっ……!」


 体中に矢を刺されたその姿は痛ましかった。ただでさえヤマハミとの戦いで首から血を流し、左の前腕は遠目にもズタズタになっている。噛みちぎられかけたのかも知れなかった。射られたリュカは膝をつき、痛みをこらえるように顔を伏せている。


「念のためだ! モミの木にしちまえ!」

「やめなさい……! 彼は、あなた達に異教徒と呼ばれながらっ、それでもヤマハミを討ったのですよ!?」

「うるせえ、よっ!」


 後ろ手に掴まれていた腕をさらに捻り上げられ、続く言葉を吐き出すことはできなかった。

 執拗にリュカへ矢が放たれていく。全てが当たっているわけではないが、場所を構わずに次から次へと矢がリュカへ降り注ぎ刺さっていく。リュカは動かなかった。息絶えてしまったのだろうかと恐ろしい不安が脳裏をよぎり、息が吸えなくなった。


「あ、ぁ、ぁぁ……っ……」


 そんな、そんな、そんな。

 あのリュカが、やさしく、強く、純粋で、こんなわたくしでさえ救おうとしてくれた彼が死んでしまうなんて——。


「首を落とせ。そいつを教会に持っていけばとうとうだ」


 胸が引きつるような心地がし、息が詰まる。

 短剣を持った男がうずくまったまま動かなくなったリュカに近づいていく。嫌、ダメ、そんなの、いけない。どうしてわたくしは動けない。彼は勇敢にヤマハミと戦って、わたくしが殺されそうになった時に颯爽と助け出してくれたのに。わたくしは何もできない。ただ震えて涙をこぼすしかできない。あまりにも、無力。



 その男がリュカの前で足を止め、頭を掴んだ。

 ぎらりと短剣が光る。首の下へ刃をあてがう。



「——お前らは、悪だ」



 その声は無感情に発せられた。

 そして短剣の男が天から落ちた雷に打たれ、髪の毛を逆立たせながら膝をついて倒れる。

 


「何っ……? まだ、生きて……? 射ろっ、矢を浴びせろっ、確実に息の根を止めるんだ!」


 グスターブが慌てた声で指示を出し、沈黙していた射手達が再び矢をつがえた。

 けれど、飛来した矢はリュカを中心に巻き上げられた強風によってあらぬ方向へ弾き飛ばされる。


 ゆっくりとリュカは立ち上がる。

 その顔は怒りではなく、悲痛に歪められていた。


「どんなに正しいことをしようって気持ちがあっても……そのやり方が悪いんじゃ、悪だ。

 俺を殺そうとするのは、まだいい。でも……そうやってシルヴィアを怖がらせて、傷つけて、お前らがこんな街中で国相手に争いを起こして、たくさんの人が血を流した。それはもう、悪だ」


 悲しそうな、顔だった。


「黙れ、よそ者が口出しをするなっ! それ以上、何かしてみろ。お前のフィアンセを殺すぞ!? 俺を殺したってムダだ、これだけの数の弓を揃えてるんだからなぁっ!」

「人質を取るのだって、許さない」

「うるせええっ!」


 グスターブがナイフを引き抜いて、わたくしの首に当てた。

 刃が押しつけられ、皮膚が切れる。そのピリッとした痛みで動けなくなる。


「抵抗するなよ、異教徒……。そうすればこの首をかっ捌く」

「……お前の正義は、認めない」

「喋るな! 構えろぉっ!」

「俺は死なない、シルヴィアも殺させない」

「射てぇぇっ!」


 一斉に矢が放たれる。

 リュカが剣に手をかけながら駆け出し、グスターブが怯んだ。ナイフが僅かに離れる。守られるばかりの無力さを呪い、リュカをみすみす死なせたくはなかった。そう思うと、顎を引いていた。そのまま頭を後ろに逸らせるようにして、グスターブの顔に当てる。それで捕まえられていた手が離れてグスターブから逃れる。



「王女を殺せぇぇっ!!」


 第二射を射手が構える。

 番えられた矢の先端が光り、わたくしに向けられる。

 リュカと違ってわたくしには飛んでくる矢から身を守る術はない。


 それでもリュカに向かって走った。

 雷光が閃き、わたくしの横をすり抜けると背後からグスターブの短い悲鳴がした。悲鳴が連なるようにして、次々と男達の苦痛に叫ぶような声が重なり合う。リュカに右腕で抱きとめられる。すぐに飛来する矢に身を強張らせたが、強風がわたくし達を守って矢を弾き飛ばした。



「リュカ……ごめんなさい、わたくしのせいで……わたくしが、愚かなばかりに……」

「……ううん、シルヴィアは悪くない」


 強く彼に抱き締められた。

 酷く傷ついていた。体に突き刺さった無数の矢、そして酷い深手の傷。痛々しくて、それが全てわたくしのせいだと思うと胸が締めつけられる。何てことをしてしまったのだという呵責を抱かざるをえない。


「シルヴィア、体は平気? たくさん、傷がある」

「わたくしなどより……あなたの方が」

「俺は馴れてるから。それよりシルヴィアの方がかわいそう」


 そっとリュカはわたくしを放した。

 周りを見れば、グスターブも、射手達も、一様に動かなくなっていた。死んでしまっているのか、それとも失神しているのかは分からない。


「シルヴィア……俺、もうここに長くいない方がいいって思う。俺は、嫌われちゃうみたいだから」


 ただ信ずる宗教が違うというだけで迫害され、命さえ狙われる現実。それは理不尽なものだというのに、リュカの言葉に怒りは微塵も滲んでいなかった。


「申し訳ありません……」

「いいよ、しょうがないことだから。そんなの知ってて、俺は一緒にバルドポルメに来た。それでシルヴィアは、何をやりたいのか、見つけられた?」

「…………」


 その問いに答えられなかった。

 わたくしにはこの国でできる償いなどはない。

 きっと何をしようとて、この国の民の心に刻まれた王族への憎しみがわたくしを許しはしない。


 何ができるかと彼らに問いかければ、死ぬことだと答えをもらってしまうのが想像に易い。



「……シルヴィア」

「はい……」

「本当は俺からいつか返そうって思ってたけど、この調子じゃ……きっと、俺じゃない方がいいって思った」

「はい? 何のことですか……?」

「シルヴィアが返してきてくれる? そうしたら、いいようにしてもらえるかも」


 何のことか分からずにリュカを見つめていると、彼は左腕をだらんと下げたまま地面に打ち捨てられるように横たわっていたヤマハミの死体の方へ歩いていった。片手が使えずにまごつきながら、その死体から爪や牙といったものを剥いでいき、最後に心臓まで抉り出す。何をしているのかと不思議に思ったけれど、彼はそれを脱いだマントにまとめて包むと、行こうと静かに言った。




 主人も避難していた宿に戻ってくると、リュカは荷物を広げた。

 布に包まれた、大きな宝玉のようだった。内部から不思議な光を発している。


「これは、シャノンの加護の塊」

「加護の塊……?」

「うん。悪いやつがこれを悪用してたのを取り返しておいた。シャノン教の聖地に届けた方がいいって思ってたけど、俺が行っちゃったら……異教徒だから盗んだのかとか、誤解されそうだなって思って。だからシルヴィアが、これをこの国の教会に持っていってあげてよ」

「そ、そんなっ……。もし、これがあなたの言うように女神シャノンの加護の塊……なのだとしたら、そんなものを届ければとてつもない……報奨や、何かが……」

「俺はいらないし、文句つけられちゃうから。でもシルヴィアがこれを持っていったら……悪い王女じゃなくって、シャノンの力をわざわざ持ってきてくれた、って見直してもらえるかも知れない」


 言いながらリュカは布で包み直し、それをわたくしに渡してくる。


「シャノン教って国の枠から外れてるし……これがバルドポルメから、聖地に届けられたらさ、教会がバルドポルメに色んないいことをしてくれるかも知れないでしょ?」

「確かに……教会だけが独占している様々な技術もありますし、支援を受けられるようになればこの国も……」

「そうしたらシルヴィアは悪い王女じゃなくなる」

「けれどっ……これは、わたくしの力など関係のない——」

「俺はシルヴィアと結婚するからいいの」

「はっ……?」

「家族になるんだから。

 家族は理由なんかなしで助け合うんでしょ?」

「……本当に、わたくしなんかで……いいんでしょうか……? あなたに与えてもらってばかりで、わたくしからは、何も……」

「でもご飯作ってくれる。洗濯とか」

「そんな程度でっ……!」

「俺、おいしいご飯好きだし、シルヴィアが作ってくれるご飯も好き。だからがんばれるし、俺もちゃんとシルヴィアからもらってるから大丈夫。それに……本当は嫌かも知れないのに、俺がミリアムやマルタと結婚するっていうのも許してくれた。だから、ちゃんと助け合ってる」


 言い返す言葉もう出てこず、両手で抱えるように持った包みを見た。


「……あと」

「はい……?」

「シルヴィアを助けたかったのは……正義の味方だからとかじゃなくて、シルヴィアが好きだから、だったから……」


 ちょっと照れて頬をかき、リュカは視線をさまよわせた。

 それからまたわたくしを見て、照れた笑みをふっと和らげる。


「だから、いいんだよ」

「……はい。……ありがとうございます、リュカ」

「うん」




 チャパルクヤスを後にし、また港への街道を歩く。

 教会に赴き、シャノンの加護だという宝玉を司教様にお渡しすると、彼は目を見開いていた。わたくしがまだこの国にいたころより、顔を知っている御方だった。それを渡すことで再び王権を取り戻したいのかとも問われたけれど、それに首を振って、わたくしは答えた。


『わたくしはこの国を去ります。

 けれど、ここはいつまでもわたくしの故国です。

 どうか、飢えと寒さに苦しむ、この国に住まう民に希望をお与えください。

 女神シャノンのご慈悲をわたくしはお祈りするのみです』


 司教様は一度深く頷いてから、わたくしに祈りの印を切ろうとしてくださったけれど、それは丁重に辞退して教会を出ていった。

 教会が動いてくれればバルドポルメが持ち直すかも知れない。わたくしはそうなってほしいと願いながら、いつかバルドポルメが平和で豊かな国になる日を待つのみだ。




「あっ、港が見えた」

「ええ……」

「何か、ちょっとしかいなかったのに色々あったね」

「そうですわね……」


 港にもチャパルクヤスで起きた騒動の余波が届いているようだった。

 避難をしてきた者達が行き場を失って道端に座り込む姿が見えた。わたくしとリュカは顔を見られぬようにフードを深く被って歩いた。船の出港時間まであと少しというところで乗船することができた。



 クセリニア東の港へ向け、船が海を駆ける。

 個室の船室に入るなり、リュカはハンモックで横になって眠ってしまった。ほとんど休む間もなくここまで歩いてきて、酷く疲れているはずだった。傷の手当ても最低限しかできてはいない。しかし彼の寝顔は小さい子どものように無垢で安らかなものだった。


 甲板へ出て、離れていくバルドポルメを眺めた。風が冷たくて耳が痛くなるほどだったけれど、もう二度と見ることはないだろうと思えば寒さに負けるつもりはなかった。白く、冷たく、厳しい大地に興された国。けれど美しかった。



「あっ……」


 不意に幼子の声がして目を向ける。

 と、そこに3人の家族がいた。小さな女の子には見覚えがあった。広場で最初に革命派と兵士の衝突があった時に巻き込まれかけていた少女だった。彼女のご両親もいて、思わずたじろぐ。——けれど、それは杞憂だった。



「シルヴィア……様ですか……?」

「……い、いえ、わたくしは——」

「ありがとうございます、娘を助けていだいて」

「へっ……?」


 父親の礼に驚き、彼の顔をまじまじと見てしまう。

 ——と、どこかで見たような気がした。先日の出会いより、ずっと前に。


「それに、またあなたにお会いできるなんて……。あの時は気が動転してしまって……まさか、シルヴィア様だったとは。以前、城に食料品を届ける仕事をしていた時、一度だけあなたとお会いしたことがあるのです。寒いのに大変でしょうと労いのお言葉をいただいて……もう、お忘れになっているとは思いますが、誰に見向きをされるでもない仕事をしていたのに、お声をかけていただけたのが嬉しくて……」


 何となく見覚えはあっても、思い出せはしなかった。

 けれどわたくしの戸惑いからそれを察したのか、彼も困ったように、曖昧に笑う。


「革命なんて言って、あなた達を一部の連中が追い出してからというもの、国は貧しくなる一方でした……。それでまた、主都では大きな暴動が起きたとかで。前々から、わたし達はどこか別の国へ行って暮らしてみたいと願っていたのです。そんな時にあなたと、お連れ様が娘を抱えていらっしゃって……あんな宝石までくださって。何とお礼を言えば」

「本当に、ありがとうございます」


 夫人もわたくしに言う。彼らの顔には安堵と希望があった。

 そして少女がわたくしの手を取る。小さいけれど暖かい手だった。胸にじわりと温もりが広がった気がする。



「お姉ちゃん、ありがとうっ」

「こ、こら、シルヴィア様にお姉ちゃんは——」

「し……シルヴィア様?」


 気づけば涙がこぼれてしまっていた。

 それを片手の甲で拭い、不安にさせまいと彼らに笑顔を作って見せる。


「どうしてお姉ちゃんないてるの? どこかいたい?」

「いえ……嬉しいからです……。わたくしも、ありがとうございます……本当に——」



 国の者全員に憎まれていると思っていた。

 死んでしまうことのみが、彼らに許される唯一の方法だと思っていた。


 それなのに、わたくしなどにお礼を述べてくれた。

 この一家だけなのかも知れないけれど、ただ憎まれているだけではなかったことが嬉しかった。



 生きていても良いのだと言われたような心地がした。


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