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ノーリグレット! 〜 after that 〜  作者: 田中一義
 7 悪の王女と正義の味方と動乱の国
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生きてくれていれば


 城の地下にある牢獄から広場まで、引きずられるように進んだ。

 沿道からわたくしに石や雪を投げつける多くの市民がいた。石も雪も、容赦なく浴びせられる。けれど両の手と首をまとめて固定するさらし台(ピロリー)に繋がれているから、それらを防ぐ手立てもなかった。さらし台は2枚の板を蝶番で合わせたもので、2枚の板の接合部は半円状にくり抜かれている。合わせた時、罪人の首と両手をここに通して固定するためだ。


 顔に、腕に、腰に、足に、石や雪玉が投げられる。

 わたくしを引きずる執行人の足取りは鈍く、けれどわたくしが痛みのあまり身が竦み、足を止めてしまっても力強く引きずっていく。広場へ辿り着くころには頭から流れた血が左目を防ぎ、片方の目でしか周りを見られなくなっていた。



「この者が、我らがバルドポルメを貧しく、弱くさせた愚かなる旧王家の最後の生き残り、シルヴィアである!」


 さらし台に開けられている穴に鎖が通っている。その鎖を広場の台の上に置かれていた器具に引っかけて、死刑執行人がウインチを回す。僅かに爪先がつく程度にまで体が持ち上げられてしまう。台上にはわたくしと執行人の他にも誰かがいて、その者がこの処刑を仕切っているようだった。しかし、彼の言葉を聞く余裕はない。全身に打ちこまれた痛みもさることながら、吊るし上げられている格好も痛く苦しいものだった。


 早く、早く、殺してしまってほしい。けれどこれがわたくしの罰であるのだ。

 耐えねばならない、できうる限り苦しみながら長く命を保ってから事切れねばならない。



 右目だけで眼前の光景を見る。数えきれぬほど大勢の市民が広場に集まり、わたくしの殺される様を楽しみにしている。誰も彼もが期待と興奮の入り交じった目をしていた。死んで喜ぶ人間はいる。わたくしはそのひとりであった。


 ふと、リュカはこの中にいるのだろうかと目線を動かす。

 地下牢で一晩を過ごしたにも関わらず、彼は現れなかった。わたくしの意を汲んでくれたのだろうか。きっと心苦しい想いをさせてしまった。わたくしは、悪い女だ。


 市民の中に彼の姿を見つけることはできなかった。いるのかも知れないが、とても見つけられそうにない人数が集まっている。いないということも充分に考えられる。わたくしが殺されるところを指をくわえて待つなど、彼には苦痛になってしまう。見たいと思うはずもないだろうと冷静に思い至る。



「さあ、最後のお言葉をいただこうか? シルヴィア王女」


 耳元に声がし、目を向けた。

 瘦せ形の黒髪をした男がいた。どこかで見覚えがある。しかし思い出せない。思い出す必要は感じられない。


「……わたくしは、王女です。それをこのような……恥を知りなさい」


 最後まで演じきらないといけない。

 ああ、けれど、恐ろしい。槍を携えた大勢の兵が控えていることが、わたくしに憎悪の目を向ける市民が、早く殺せと上げられた声が。もうすぐ死ぬ。殺される。そう思うと心臓から震えが発せられ、髪の毛の先までもが揺れ動くかのようだった。


「わたくしじゃなくっ、あなた達こそが処刑されるべきなのです……! 誰か、早くこの者どもを殺してしまいなさい! わたくしこそが、この国の主……! だというのにっ……!」


 上ずってしまう声は演技ではない。こうして喋る間にも、民衆が汚い野次を飛ばしながらわたくしを早く殺せと訴えている。その声はまばらであったものがだんだんと揃っていき、そして重なりながら響いていく。殺せ、殺せ、殺せ。



 言葉が出なくなる。

 全ては過去の罪業の因果。

 だから、これは受け止めねばならない。

 これほどに憎しみを向けられていた事実を。


 そして、その悪を除いたという革命の事実を彼らは再び思い出さねばならない。

 それでこそわたくしの命を消費して、最後にできる唯一の善行であるはずなのだから。



「もう、よろしいか?」


 耳元に意地悪く響く声がした。

 死刑執行人が何本もの血さびがこびりついた槍を入れている壷を持ってきている。あれで全身を刺し貫かれるのだろうか。すぐに死なないところから刺されて、長い時間をかけて死に至る。道具を見てからその想像がすぐに結びつく。怖い。怖い、怖い怖い。死んでしまう、殺されてしまう。もう目前に、それが迫っている。覚悟を決めていたつもりだったのに、涙が溢れそうになるのを感じた。鼻の奥がツンとむずがゆくなる。



「い……や、嫌、死にたく——ぎゃっ!」


 石が飛んできて耳の横にぶつかった。

 吊るし上げられたまま体が揺れ、その度にさらし台に体重がかけられて痛む。


「——さようなら、バルドポルメ王国よ」


 男が言って台を降りていく。死刑執行人が槍を一本抜き取り、民衆が興奮の叫び声を上げ始めた。


「たすけ……」

「死ーね!」

「死ーね!」


 赤黒く、表面が細かく剥がれるようになってサビのこびりついた槍。

 これまで幾人もの人があれらに刺されて死んでいった。そしてわたくしも死んでしまう。


「助けてお願い、誰か……」

「死ーね!」

「死ーね!」

「死ーね!」


 槍の先端がわたくしの下半身を——左足の先から腰の方へ、足をなぞるように上げられていく。ただそれだけで錆びた槍は皮膚に細かくひっかかって微細な痛みになる。首筋から耳の下までにかけ、ぶわりと粟立っていくのが分かった。


「誰かっ……わたくしは、っ……」

「死ーね!」

「死ーね!」

「死ーね!」

「死ーね!」


 嫌、嫌。

 怖い、死ぬのが怖い。



「あ、あああ、あああああああ………」



 狙いをつけて死刑執行人は一度、槍を引く。そこかしこから、死を望む声の大合唱が響く。

 逃れたい一心で体を揺らしても、さらし台で体は固定された上に吊られかけている状態だ。

 今か今かとその時を待ちわびる市民の声を、自分の叫びでかき消さんばかりに声を出しながら身をよじる。



「いやぁっ! やだ、お願いごめんなさい、ごめんなさ——ああああああああっ!」


 死刑執行人が両手で握った槍を突き出す。

 予測された痛みから逃れられるはずもないのに、ただ恐怖のあまりに叫んだ。


 その瞬間に、彼は上から降ってきた。

 金属音が群衆の熱狂を、そして今まさにわたくしを刺し貫こうとしていた槍を断ち切る。


 風に使い古しの彼のマントが翻る。

 槍を叩き折ってから下げられた剛直な剣が、光を反射してきらめく。




「待ってた、助けてほしいって……シルヴィアが言うのを」




 わたくしの方を振り返って彼が告げた。

 闖入者(リュカ)の存在に動転していた広場がざわつく。——その中で。



「ディオニスメリアの異教徒を、王女が呼び込んだんだ!

 テリー・クラー、貴様があの国に戦をしかけようとしたのをつけこまれた!

 こんな残酷な行為をショーにして、その場だけのごまかしで民のガス抜きをするのがお前の政治なのか!?」



 そんな低く通る声がし、すぐさま広場はパニックに陥った。

 しかしリュカはその騒ぎを気にすることもなく、剣の一振りで鎖を断ち切る。そしてさらし台の蝶番を片手でもぐようにえぐり取った。力が入らずにわたくしがその場で(くずお)れるとリュカは片腕で支えてくれた。



「わたくしは……あなたを、裏切ったも同然なのに……」

「俺のことを何回裏切って、何回騙しても、何回困らせてもいい」

「っ……わたくしなどに、そんな……価値……」

「価値なんかどうでもいい」


 言いながら彼は片手でわたくしを抱き寄せた。

 わたくしは、死ななくても良いのだろうか。死ななければ、苦しみからは逃れられないのに、その死が目前に迫った時は何よりも恐ろしかった。誰もがわたくしの死を望む声を発していたのに、あの声は彼とて聞こえていたはずなのに——



「——シルヴィアが生きてくれていれば、俺はそれでいいよ」




 ずっと我慢していたものが溢れ出てきてリュカに泣きすがった。

 わたくしが生きていても良いと言ってくれる人がいた。感じたのは喜びではなく、安堵だったのかも知れない。わたくしという存在に価値はなく、それが苦しみの原因だった。だからそれを手に入れるために、死ぬことで認められたかったのだと気がついた。支離滅裂に、死ぬことでこの苦悩から逃げ出せると信じて、自罰という言葉で己を欺ききろうとしながら、処刑を受け入れようとしていた。


 でもリュカは、他の誰でもなく己自身が見捨てたわたくしさえも見捨てずにいてくれた。

 死にたくないという希求を、わたくし自身も知らずにいたはずなのに彼は待っていた。



「シルヴィア、やっぱり人は正義と正義をぶつけたら争うしかない。

 俺とシルヴィアの正義は、俺の正義が勝った。でもまだこの国は争うんだって」


 落ち着いた声でリュカが言う。

 わたくしの死刑執行を仕切っていた男がテリー・クラーと分かった。そして、リュカの乱入でごよめく間に民衆を煽動したのはグスターブという人物だろう。


 公開処刑(ショー)の主役であるわたくしなど、そっちのけであちこちで武装蜂起が起きていた。

 逃げ惑う人の声がする。譲れぬ想いを叫びに乗せて戦う声がする。金属のぶつかり合う音がする。愛する誰かの名を呼ぶ声がする。チャパルクヤスは戦場となっている。



「わたくしなどにかまけていては、いけませんわよ……」

「……かまけてる、んじゃ、ない」

「早く、行ってください。……あなたが助けなくちゃいけないのは、わたくしだけじゃないはずです」

「シルヴィア、俺――」

「負けましたわ、あなたに……。もう、自分から……死のうとは、しません。だから、行ってください」

「……本当?」

「ええ」

「……分かった」

「ともに、エンセーラムへ帰りましょう」

「……うん」


 わたくしを解放すると、リュカは台の上から大混乱に陥っている広場を見渡し、すぐに駆け出していった。人混みの中へ紛れてすぐに姿が見えなくなる。かと思えば、どこかで地響きと大きな悲鳴がした。リュカの魔法だろうとは想像に易い。



 わたくしは台の上から、広場を見下ろしている城を眺めた。

 ふと、ずっと前にエンセーラムでリュカに占いをしてもらった時のことを思い出す。不吉な絵札(カード)ばかりが出てきてリュカは神妙な顔をしながら、占いの結果をわたくしに告げてきた。言われたことを詳しくは覚えていないけれど、記憶に焼きついていることはあった。



『生きることが、苦痛に感じてる。

 何をしたって意味がないんじゃないかっていう暗い気持ち。

 逆位置の不覊神が出てきたっていうことは……シルヴィアが、今、望んでいるのは不自由と束縛。それと、誰かの愛情』


 覚えている。

 どうして占いでそこまで言い当てられるのかという驚きを隠しながら、何でもないという顔を取り繕った。しかし、誰かの愛情が欲しいという指摘には内心で納得をしていなかった。わたくしはそんなものを受け取るに値しないと思っていたのだから。


 あの時、どのような助言をリュカにもらっただろう。

 そう言えばあのくらいから、学校が休みの時はリュカと過ごす時間が増えたような気がする。——ああ、そうだった。暇や、退屈なんていう言葉を口にしないように色々なことをした方がいいと言われたのだ。けれど何をすればいいか分からなくて、リュカはそんなわたくしにつきあってくれた。それでエンセーラムという小さな国の、小さな島々を2人で出かけた。



 そう、思い起こせばもうずっと前から、彼には助けていただいてばかりだった。

 それが彼の信ずる正義で、わたくしのように誰かを困らせるばかりの人間でさえも手を差し伸べてくれるのだ。


 バルドポルメへ帰ってきたのは、わたくしがやらねばならぬことをなすため。

 けれどそれは死ぬことではなかった。わたくしの死などで、この国の抱える問題が収まるはずもなかった。浅はかに目先の苦痛から逃げようとして、死ぬという逃げ道を選んだにすぎない。


 本当にやるべきことは。

 やらねばならないことは、死ぬこととは別にきっとある。


 生きながらそれをしなければリュカに救われた、この命をムダにしてしまう。

 もう裏切ってはいけないのだと自分に言い聞かせると、体の底の方からふつふつと何かが込み上げてくるような心地がした。



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