正義は誰にもある
起きたらどこにもシルヴィアの姿がなかった。
シルヴィアの服は消えてて、でも荷物は置かれていた。服を着てから外へ出る。でもやっぱりシルヴィアの姿はどこにもない。また宿に入って歯の欠けている宿の主人に尋ねたけど、姿は見なかったと言われた。剣とお金だけを持って、宿に他の荷物は起きっぱなしにして街中へ駆け出す。
すぐにシルヴィアの行方は分かった。
例の広場で鎧を着込んだ兵士が大声で知らせていた。
「バルドポルメ最後の王女シルヴィアの処刑を明日、執り行うものとする!」
捕まえられている。
ううん、自分からきっと捕まりにいった。
このまま待っていたら明日にはシルヴィアが殺される。
助けに行かなくちゃいけないと思った。——でも、分からなくなった。
ずっとシルヴィアが悩んで、考えて、苦しみながら出した答えが、自分が死ぬことだった。
それを邪魔する理由は、俺が嫌だっていう気持ち以外にあるのか。シルヴィアにとっての正義は、シルヴィアが死ぬこと。その正義を邪魔する俺は、シルヴィアの悪になっちゃうのか。
誰が悪い。
シルヴィアなのか。
それとも俺なのか。
別の誰かが悪いのか。
誰でも分かるような明確な悪がいてくれれば、それを殺せばいい。
けれど今、シルヴィアを救うためにはその明確な悪がどこにもいない。シルヴィアは救われたいとも思っていない。
分からない。
どうしたらいい。どうすればいい。
どうして俺はソアの神官なのに、たったひとりを助ける方法が分からない。
「——なあ、お前さん」
後ろから肩を掴まれ、腰の剣に手を回しながら振り返った。相手は顔を隠した髭の男だった。この前見かけた、グスターブとかいう人に見えた。
「互いに今は目立ちたくないはずだ。話をしないか」
「……話?」
「その気があるなら来てくれ」
言うとグスターブは兵士をちらっと目だけで確認してから踵を返して歩き出した。
シルヴィアを処刑するから見にこいと知らせている兵士の声を聞きながら、グスターブの後をついていった
「グスターブだ」
「……リュカ・B・カハール」
薄暗い酒場に連れてこられた。暖炉ではごうごうと火が燃えていて、すごく暖かかった。外から戻ってくると汗が出そうになるくらいで、グスターブは毛皮のマントを外して酒場の奥へ歩いていった。空いていた円卓にグスターブが座る。
「話って何?」
「昨日の、あの力を知りたい」
「昨日?」
「光る何かを出して兵を打ちのめした」
「……あれは、ソアの加護だ」
「ソアというのは?」
「厳正と秩序の神、雷神ソア。十二柱神話の一柱」
「……なるほど」
グスターブはけっこう体つきの大きいやつだった。肩幅が広くて、上背ががっちりしている。声は低くどっしりとしている。懐からスキットルを出して蓋を開け、グッと一口流し入れた。
「飲むか?」
「いらない」
差し出されたけど断る。二口目を飲んでから、グスターブはスキットルをしまう。
「シルヴィア王女の連れか? ともにいたのを見た」
「俺はシルヴィアの婚約者だ」
「何? フィアンセだってのか? ……だが、お前は、異国人だろう」
「ディオニスメリアで生まれた」
バルドポルメはディオニスメリアが敵なんだと船で来る時にシルヴィアから聞いていた。だからか、俺が答えるとグスターブは眉間にしわを作る。
「まあ、いい……。雷神の加護とかいう、あの力は誰でも扱えるようになれるものなのか?」
「そんなのムリだよ。神様の力なんだから」
「……だったらあの魔法と剣技は? あれも加護ってやつの恩恵か」
「違う。あれは俺が自分で鍛えた」
「ディオニスメリアの騎士なのか?」
「違う」
質問に答える度、グスターブは難しい顔をした。
俺が期待はずれなことを言っているのかも知れなかった。けど嘘はついてない。
「じゃあ何者だ?」
「何者……。雷神ソアの神官で——」
レオンの従者。
そう言おうと思ったけど、言っていいのかと思って途中で黙った。
俺はバカだから、よくいい聞かせられてる。
よその国に行って面倒事に巻き込まれたら身分をあんまりぺらぺら喋るな、って。昨日は異教徒とか言われて追いかけられたし、ここでレオンの名前を出したら迷惑をかけちゃうかも知れない。
「神官とやらで?」
「……シルヴィアの、婚約者」
嘘は、ついてない。
何となく嘘は言いたくない。ごまかしてるから嘘みたいなことかも知れないけど。
「だったらどうしてあの王女が捕まってる? 婚約者なら守ろうとするのが筋じゃないのか」
「……起きたら、シルヴィアがいなくなってた」
気がついた時にはもう、明日には処刑するってお触れが出てた。
すぐに助けに行かなきゃいけないって思う俺がいるけど、それが正しいか分からなくて迷ってる俺もいる。シルヴィアが生きるだけで苦しみ続けちゃうんなら、それを死ぬっていう形で終わりにする方がいいのかも知れない。そうなってしまったら嫌なのに、でもそう考えちゃう俺がいる。
「……俺は、今、この国の革命を考えている。2度目にして、真実の革命だ」
「……そう」
「そこでお前さんの力を借りたい。あれほどの力を持った者が協力をしてくれれば、必ず、革命は成功する。その暁には、あの王女の助命をするよう呼びかけると約束する!」
熱のこもった目を向けられる。グスターブの言葉に嘘はない。
革命っていうのが、きっとグスターブにはとても大事なことなんだ。
バルドポルメはシャノン教の国なのに、ソアの神官の俺を頼るくらいに。——でも。
「できない」
「っ……何故だ、俺はシャノンの信者でもない。そうだ、革命ができればシャノンを国教じゃなくする。あれで恩恵を受けられるのは一部のやつだけだ、教会を追い出すのは苦労はするだろうが、きっと——」
「そういう意味じゃないよ」
「じゃあ……何が気に入らない?」
「グスターブが起こそうとしてる革命って、争いなんでしょ。俺はどっちが悪いかなんて分からない。だけど、どっちも多分、正しいことをしてるつもりでぶつかるから……俺はそういう争いには協力しない」
クマみたいなグスターブの顔が歪む。
「どっちも正しい? そんなの違うっ、悪はテリー・クラーだ! 現にお前の婚約者を殺そうとしているんだ、そうだろうっ!? それに王族を追い出して国民が主導として政治をする国にしようと革命を起こしたにも関わらず、権力基盤を整えるなり、王族どもと同じように搾取する側に回ったんだ! 何のための革命だったか……! ディオニスメリアに出兵したにも関わらず、上陸もできずに被害を受けて撤退! そのせいで割を食ったのは、いつもいつも力のない民ばかり! あれは悪だ!」
大声でまくしたてるようにグスターブが言う。
顔にかかった、少し酒臭いツバを袖で拭いた。鼻を赤くしながらグスターブは俺を睨みつけている。
「正義は、俺にある! テリー・クラーは、悪だ!」
テーブルを叩きながら、そうグスターブは主張する。
そのテリーっていうやつは悪い人なのかも知れない。グスターブも嘘はついていない。でも、何か違う。
「正義は誰にもある。誰だって、正しいと思ってることはある。
だから、正義はグスターブにもあるけど、グスターブだけにあるわけじゃない」
「何が言いたい……」
獣が低く唸るようにしてグスターブが言う。
「正義の中には、悪いこともある。
悪いことで正義をなそうとすることもある。
嫌いなやつを悪だって決めつけて、自分だけが正義を名乗るのは、違う」
グスターブは俺の答えが気に入らなかったみたいだった。
もう一度テーブルを握り拳で叩いて、フゥフゥと興奮しきった荒い呼吸をする。
「……味方はしない」
「っ——ああ、分かった。それなら、それでいい……。だが俺は、正義だ」
「うん、きっとグスターブにも正義はある」
酒場を出るとすごく寒く感じた。
グスターブと話をしたからか、シルヴィアのことで焦っていたのが落ち着いた気がした。
俺は答えを知ってた。
誰にも正義はある。けどその正義は皆が同じじゃないから争う。
俺は罪人でもないシルヴィアが死ぬことで解決される問題は正義じゃないと思う。でもシルヴィアは、自分が死ぬことで問題を解決することが正義だと思っている。俺とシルヴィアの正義はどうやってもぶつかっちゃう正義同士だった。悪はどこにもいないけど、それでも争いになっちゃう。
空を見上げる。
雲が出てきていた。
また雪が降っちゃうのかも知れない。
考えなくちゃならない。
俺がやらなくちゃいけないこと、シルヴィアにしてあげられることは——。