シルヴィアの不安
「バルドポルメ共和国……」
「きょーわこく?」
「君主を置かず、人々の意思を反映させた政治をする国のことですわ。クセリニアの一部の国ではこの制度が取られていると聞いたことはありますが……」
「王様がいない国ってこと?」
「ええ」
「ふうん……。何か変なの。でもレオンいなくてもどうにかなりそうな気もする……かも」
「リアン様がいらっしゃいますからね。エンセーラムは特殊な国だと思いますわ。本来、国王を補佐するという名目で、識者や有力者が集まる会議の場があります。しかしエンセーラムではそれを排して国王のレオンハルト様ではなく、リアン様に権限を多く持たせているのです。普通はこのような政治、成り立たないとも思いますが……まだ民の不満がそう多く噴出していないからこそ、なのでしょうね」
「……そう」
わたくしの説明にリュカは最初こそ難しい顔をしていたが、途中から明らかに興味を失っていた。こういうことを理解しようという気がないのだろう。
わたくし達はチャパルクヤスの宿屋に来ている。食事をしてから部屋に戻り、今はわらのベッドの縁に腰掛けている。ベッドの木組みに藁を押し込んで、その上から薄い、ところどころに穴の空いているシーツを張ったもの。リュカが貸してくれたマントを畳んでクッションにしているからお尻が痛むということはなかった。
「あの広場でやってたのは?」
「恐らく、以前、わたくし達を……この国の王族を追い出した者が、今はこの国の、いわゆるリアン様のような立場にいらっしゃるのでしょう。しかし、彼らを民は快く思ってはおらず、また革命を起こそうと決起集会のようなものをしていたのだと思われます」
「……ふうん」
「分かっていらっしゃらないのですね」
「……ごめん。俺、難しいのムリ」
「ふふっ、そう難しいことでもありませんのよ?」
「でも分かんないよ」
諦めたかのように力を抜いてリュカは肩をすくめる。それから、大きな欠伸を漏らした。
「眠りましょうか」
「うん」
ベッドで横になるとリュカが蝋燭の火を吹いて消した。暗闇はすぐ、彼の魔法でなくなる。光を発したまま彼は自分のベッドへ入ろうとし、そこで呼び止めた。
「あの、リュカ」
「何?」
「……こちらへ、来ませんか?」
「……いいよ」
少し脇へ寄ってリュカの入れるスペースを作った。体の上に2人分のマントをかける。それでも冷え込みは厳しいが、そっと彼の胸に体を寄せると暖かかった。リュカの肩に頭を乗せると腕を回して頭をそっと撫でてくれる。逃亡生活の間には考えられないことだった。こうして誰かと一緒にいることが安心になるというのが。
「ねえ、シルヴィア……」
「はい……」
「……その」
ふと、足に当たるものに気がついた。
硬く感じられるそれはリュカの身体の一部だ。
「男性なら、当然というものですわ。その……わたくしも何だか、今は、とても心寂しいのです。あなたが近くにいてくれるけれど、それでも……抱いていただけるともっと、安心できるのです」
「……シルヴィア」
彼にキスをされた。
だんだんと脳がじんと痺れていくような感覚に陥る。
生まれたままの姿でわたくし達は抱き合い、互いの体を求め合った。
リュカに求婚されてから、何度かわたくし達は体を重ねている。もちろん、わたくしもリュカも初めて同士ではあったし、何だか頭の中でそういう行為がふしだらなことに思えていたことはあった。けれど初めてを経験してから、身も心も彼に満たされるのだということを知った。
どうしてか、わたくしの方がリュカよりも行為に対して詳しいという奇妙な現象はあったけれど……。
けれど繋がり、重なり合うことで深まるものがあった。
リュカを受け入れて、彼の鍛えあげられた逞しい体と素肌で抱き合えば不安は和らいだ。恥ずかしさは抜けないけれど、これはリュカにだけ見せる姿だから、そう思えば愛とはこういうものも含んでいるのかも知れないと思えるのだった。
「何か兵隊が多くなってる?」
「……そのようですね」
翌朝、ともに宿を引き払って外へ出ると武装した兵の姿があちこちに散見された。
「パレードがあるとか?」
「そのような雰囲気ではありませんね」
「なーんだ……」
つまらなそうにリュカは頭の後ろで手を組んだ。
この国はまだ、変わろうとしている最中だ。
10年近く、王族を討ち滅ぼしたテリー・クラーという者が政治の中心となっていたようだが、今また民の不満は膨れて爆発しようとしている。それが昨日の集会だった。あれが昨日だけ行われていたのか、何度か起きていたことかは分からない。
けれど演説台に立ったグスターブという男性を兵士は知っていたようだったから、きっと何度かあったことなのだろう。あの時の口ぶりでは解散を求めた兵を追い返したのは初めてだったのかも知れない。
それを受けて兵が多く配備されたということなんだろうか。
再びこの国で内乱が起きようとしている。その雰囲気は宿で朝食をいただいていた時に、別の卓の人々がひそめた声で言い合っていたのでしっかりと感じ取れた。リュカはそういうところには鈍いようだったけれど。
「今日はどこ行く?」
「……あなたが許してくださるのならば、教会を覗いてもよろしいでしょうか?」
「シャノンの?」
「ええ」
「俺はいいけど……シャノンはいいの?」
「周囲に吹聴しなければ大丈夫かと思います」
「ならいいよ」
「ありがとうございます」
教会は城の近くにあった。
200人も一度に入れてしまう広い礼拝の間。その最奥には女神シャノンの像がおだやか微笑みを浮かべている。豪華絢爛な飾りと、色とりどりのガラスを使ったステンドグラスがわたくしの記憶の通りに待ってくれていた。
リュカはわたくしにも、ミリアムにも改宗を迫ることはなかった。シャノンの教えでは生涯を添い遂げる伴侶は男性と女性のひとりずつでなければいけないと説かれている。リュカとの婚姻はそれを破ってしまうけれど、シャノンはお許しになるだろうか。
長椅子に腰掛けて手を組む。
今、この国の王族に生まれたわたくしにできることはあるのだろうか。すでにバルドポルメは王を廃して、民衆が主導となる国を作ろうとしている。けれど再び争いは起きようとしている。民を省みずに過ごしてきたわたくしだけれど、王女であった。脈々と受け継がれてきた王家の歴史が父の代で途絶えることになってしまった。残されたわたくしは、何か償いをしなければいけないのではないか。
このままリュカとともにエンセーラム王国で安穏と生きることが、果たして許されるのだろうか。
人々に争いをもたらしたまま、わたくしのみが幸福を享受するなどということが、果たして許されるのだろうか。
「…………」
女神シャノンよ、わたくしは何をするべきなのでしょうか。
「……もういいの?」
どれだけ祈り、願っていたか。
手を下ろすとリュカに声をかけられた。
「……リュカはいつも、どのような祈りを捧げているのでしょう?」
「ここで、そういう話いいの……?」
「そうと分からないように仰っていただければ」
「んん……難しそうだけど……。俺は剣を振るのがお祈り」
「剣を振る?」
「うん。……何も考えないで、ソア――あー、えっと……神様のために剣を振る。俺の誓いは、正義の味方になることだから。
悪いやつは許さない、困った人を助ける、皆を守りたい。だから強くなきゃいけない。強くなるには、毎日、剣を振って稽古をしなきゃダメでしょ? だから剣を振るのが、俺のお祈り」
十二柱神話の主要な神々に名を連ねる、雷神ソア。厳正と秩序の神。
その神官は彼が知る限り、今はリュカだけだということだ。そんな特別な身だというのに、聞いてしまうと何だか拍子抜けをしてしまう。けれどその純粋さと、愚直にその誓いを守り通そうとする姿はよく知っている。言葉の通りにその誓いを守るのであれば、それがどれだけ険しい道なのか。
「わたくしは……やはり、ああたには見合わないのかも知れません」
「何で?」
何をするべきかも分からず、女神に救いを求めて祈るしかできない愚かな女こそがわたくしだから。
そう言ってしまうとリュカは嫌そうな顔をするから、黙って首を振って見せておいた。
「尊敬します、あなたのその姿を」
「……ありがとう?」
教会を後にすると風が吹いた。身をすくませて足を止めるとリュカが手を握ってくれた。彼を見上げると目が合い、それから歩き出す。歩幅を合わせてくれる。そしてまた広場へ差し掛かった時、そこに昨日と同じく人だかりができていた。




