守りたい意地
全身に痛々しい打撲痕をつけられたブルーノがうずくまりながらしゃくり上げている。小さな鉄の檻にわたし達は別々に入れられた。手を伸ばしても届かないところで、ブルーノはずっと泣いている。今さら、クヌートさんのところにのこのこついて行ったせいだなんて言っても、無用に責めてしまうだけになる。けれど慰めるだけの言葉も見つからずにいる。
これから、どうなるんだろう。
放置されている部屋に唯一ある、土壁をくり抜かれた小さな採光窓の向こうへ目を凝らす。
奴隷の首輪に手を触れる。ムリに外そうとすれば爆発して首が飛ぶと言われている。
魔力を封じてしまう効果もあるらしい。この何年かで、奴隷が魔法を使って主人を襲ったという事件を未然に防ぐために、魔封じの効果はつけ加えられたらしい。
もっとも、魔法が使えたからと言ってこんなものをつけたままではまともに逃げることもままならない。奴隷だと公言し、少し首輪に触れられるだけで命を奪われるという恐怖心をずっと抱えなければならないのだ。そうして恐怖で心を縛って隷属させる。受け入れがたい、この世界の常識。
エズメさんはどうしているのだろう。
最後に姿を見たのは、旅の初日の夜。いつからはぐれていたのか。
2日目、雨で悪くなった視界が原因だったのだろうか。雨宿りしていた時にそうと気づかず、先を行ってしまっていたということも考えられなくない。キャラバンの馬車に同乗させてもらった時、馬車の速度に追いつけなかったのだろうか。分からない。彼女自身に何かがあったという可能性も捨てきれない。何にしろ、何かがあればエズメさんに、なんて心のどこかで思っていた油断が招いてしまったのだ。
それにブルーノをこんな目に遭わせてしまうなんて。エルヴィス様や、シンクレアの屋敷の皆にも、ブルーノ本人にも顔向けできそうにない。いや、もうこれからは奴隷にされるんだからそんなことも……。
「ティア……」
「っ……」
膝を抱えて俯いたままブルーノに呼ばれた。今、どれだけブルーノは傷ついているだろう。体もそうだし、心も、きっと酷く痛んでいるはずだ。
「余が……ついていながら……こんなこと、なるなんて……」
「ううん、ブルーノのせいじゃないよ……」
これはわたしのせい。
せめてブルーノだけでも、どうにかして逃がしてあげたい。わたしがどうなっても。
首輪にそっと触れる。相手を油断させるしかない。この子どもの姿を利用してでも、絶対に。
ドアの向こうから、カツカツと硬質な靴の音が聞こえてきた。
この部屋に入ってくるのだろうか。じっとドアを見つめる。足音が近づいて、すぐ近くで止まる。耳の奥を引っかくような、キィィという高い音がしてドアが開いていく。
「俺はさぁぁ〜……奴隷商とは違うからよぉ、渡りをつけて金だけもらったらハイラヴァルを渡ってやり直すんだ」
「クヌート……」
「クヌートさん、って呼んでくれないのか? 案外、悪くはなかった……」
入ってきた彼はドアを後ろ手に閉めて、わたし達の檻の前で座った。
「余らを……ずっと、売る計画をしていたのか……?」
鼻をすすりながらブルーノが言う。
「ああそうさ……。だが、最初は迷ったんだぁ……。だってよぉ、死にそうだったのを助けてくれた」
「だったら、何故だ……。余は、悪いことなど……しておらん」
「でもよぉぉ〜……親分だって、俺のことぉ、助けてくれたんだぜぇ? 口減らしに捨てられてよぉ、飢えて……魔物に食われそうになってたのを、親分が拾ってくれたのさぁ。がさつで口もくせえ、腕っ節はあるが酒癖が悪い……。それでもよぉぉ……ほんっとの親代わりだったんだぁ、親分は……」
懐かしむように言いながら、クヌートの声が震え始めた。
この人も、悲しんでいる。
やるせない想いを抱えている。
「親分が殺されちまってよぉぉ……ああ、俺も死ぬんだって、お前らが俺を助けた直前に思った……。そうだ、親分がいたから、生きていられた……。いなくなっちまった今、俺ぁこのまま食い殺されちまうんだって。けど、助かった」
「なのに、どうしてだ……答えろ、答えろぉっ!」
「思ったのさ……きっと、これは何かの導きだったのさ。親分と一緒にいる間に身につけたもんはさあ……無垢で無知なガキをだまくらかして、これからやり直すためのもんだったんだって。これはよぉぉ…最後の悪事さ。きっと俺ぁそう簡単にくたばりゃあしないんだ。……だから、これからのためによぉ、未来のためによぉ……俺の未来のために、犠牲になってくれよぉ……。感謝してるんだぁ、これでもよ」
「ふ……ふざけるでない……! 余は、余はっ、そんなことのために、お主などをっ……助けた、んじゃ……」
「生まれを呪えよなぁ……。ただのガキ2人だったんなら、こんなこと思いつきもしなかったんだ、俺も。そもそも俺だって……好きで悪党やってたわけじゃねえ。それ以外になかったんだ、しょうがないだろお? だからさぁ、お前らもしょうがないって受け入れろよ……。そうすりゃ互いによぉ、気が楽になれる……。そうだろぉ? なあ?」
この人は歪んでいる。
でも何が悪いのかなんて突き詰めたところでどうにもならない。今までに生きてきた中で歪まざるをえなかった人なのかも。
「でも……」
「んあ?」
「あなたのしていることは、間違ってる……」
「知ってるぜぇ、そんなことぁ。だからやり直すのさ。ハイラヴァルを渡れば……俺のことぉ知ってるやつなんざいねえさ。そのまま離れていきゃあよぉ、俺のしてきたことなんざ……どうせ分からなくなんだ。お前らを売って手に入れた金で……今度はまっとうにやる……。ははっ……やり直せるかなあ……」
「やり直したいなら、もっと正しい方法でしなきゃダメ」
「うるせえよ……」
「また困った時に、こういう安易で危険なことをするだけ。まっとうにやり直すって、そういうことじゃない」
「っ……うるっせえなあ! いいんだよっ、これが最後だってんだ! 分かった風な口を利くんじゃねえ、ガキがぁっ!!」
「……耳に痛いのは、図星だからじゃない?」
「あ?」
「や、やめろっ、ティアに――」
「あああっ!!?」
腰を上げたクヌートにブルーノが言いかけたが、獣の吼え声のような恫喝で震え上がった。
「その子どもに命を救われて、騙して捕まえて、言われたくないことを言われてがなって、脅しつけて……そんな人間のままで、本当にまともな人になれると思うの?」
「うるせえうるせえうるせえっ! 俺をバカにすんじゃねえっ!」
檻を外から掴み、揺らされる。
怒鳴られた拍子に唾が飛んでくる。
「そんなところから何を言っても怖くないよ。だって、この檻が今は守ってくれてる。それとも、この格子に、あなたの汚い手を突っ込んで首輪に触る? そんなに太くて薄汚い手じゃ、むりやりねじ込んでもぽろぽろ垢がこすれ落ちるだけで抜けなくなるよ」
「っ――上等だ。でもその首輪は爆破しない……。へっ、へへへっ……そうだ、まだまだガキだがぁ、穴はあるんだよなあ? なぁぁ〜? お前が悪いんだ、大人の怖さを教えてやるよ……。痛い思いでもすりゃあよぉ、ちょっとはマシになるだろぉぉ?」
檻を足裏で踏むように蹴ってからクヌートが部屋の入口脇にかけてあった、檻の鍵を手にした。
そうだ、出ることさえできれば、どうにかなるかも知れない。あとは出たとこ勝負で勝つしかない。
「お……あ、おいっ……!」
「うるっせえ、黙ってろよぉ、坊ちゃんはぁっ!!」
「こ、このっ、痴れ者っ! 色魔めっ! 余を出せ、お、お主など、余にかかれば、10秒で粉微塵にしてやるぞっ!」
「ああ〜?」
「ま、待って! ブルーノはもうっ、そんなにボロボロなのに手をあげるつもり!? わたしにしてっ!」
「何が親分をやられたからだっ、そもそもっ、賊であったことを恥じぬかっ!」
「ブルーノ、黙っててっ!」
「ティアが黙るのだっ! どうしてティアばかり、余を庇おうとするっ!? 余がっ、余がお主を守るのだぁっ!」
「それはブルーノがっ――」
「違う違う違うっ、余が、ティアを――」
「うっるせえ、うるせえうるせえなぁぁ〜っ!! だったら仲良くここでくたばっちまえよぉっ!」
クヌートが鍵を乱暴に檻の中へ投げ入れてくる。檻の中に落ちた鍵をブルーノは慌ただしく拾い、格子の隙間に手を入れて鍵を開ける。痛々しそうに檻を這い出て行き、怒りながらも口角を上げて笑い顔をしているクヌートと向き合う。
「ダメ、ブルーノっ!」
鍵を掴み、わたしも檻の鍵を外そうとする。でも、鍵穴になかなか入らない。焦って手元が覚束ない。今にもクヌートに襲いかかりそうなブルーノを見ては、何度も鍵を取りこぼしそうになる。
「何だよ……粋がいいのは口だけかぁ? ブルってんじゃねえか……。口ばっか偉そうな坊主がよぉぉ〜、一丁前に女を守ろうってか? ああっ? 虚勢張ってんのはバレバレなんだよ……。かかってこいよ、おい、生きてさえいりゃあ利用価値があんだからよぉぉっ!!」
「だったら、だったら望み通りにしてやる……余を侮ったことを悔いるがいいっ!」
「待ってブルーノ、お願いだからっ!」
「ああああああああああっ!」
さんざん痛めつけられた体で、きっと傷の痛みと恐怖で震える体で、武器も持たずにブルーノはクヌートに組みついた。だが、あっさりと振り払われて踵が浮くほどのパンチをお腹に打ち込まれる。やっと鍵がささり、回して檻を這い出る。
「ガキは! ガキらしくしてやがれぇっ!」
後ろによろけていき、尻餅をつきそうになったブルーノを寸でのところで背中から支えた。
「ブルーノっ……無茶しないでよ……」
「だ、って……余が、ティアを……」
「そんなの嬉しくないよ……。ブルーノが傷つくところなんて」
「それは、余の方が……」
「ぐだぐだぐだぐださーぁぁ〜……。そういうのがムカつくんだよ……。ほんっとーに、ダメなんだぁ、ムカついちゃって。だってさあ、茶番みたいじゃんかよ……。俺は親分死なせちまったのによぉぉっ、どうしてそうやってお前らは今そうできてんだ!? 不公平だろぉっ!? 不条理だろぉっ!? おっかしいんだよ、おかしくておかしくてっ、認めたくねええんだよぉっ!」
ブルーノの背を空になった檻に預けさせて、クヌートを見ながら立ち上がる。
「だからって、あなたがしてるのは八つ当たりだよ。大人しく、いいようにされるつもりはない」
「だったら抗えよっ、どうせムダだけどなぁ〜……」
言いながらクヌートが、腰の剣を抜く。
「っ……」
どんなに無様になっても、一時的にでもクヌートを押さえつけてその間にブルーノに逃げてもらわないと。素直に逃げてくれるかは分からないけど、それでも――
「――よう、奴隷がここにいるとかって聞いたんだけど、ちょっといいか?」
クヌートが背にしていたドアが開いた。
黒髪。背に長い包みを背負った人が入ってくる。革にガラスのはめこまれたゴーグルのようなものを首の下にずり下げている。
「取り込み中だっ、後にし――」
「俺さあ、個人的に奴隷商とか、奴隷のために人攫いする野郎とか、奴隷を使うようなやつが、大っ嫌いなんだ」
意外なことに、レオンさん……だった。




