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ノーリグレット! 〜 after that 〜  作者: 田中一義
 6 聖女と坊ちゃんと穴空きレオン
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エレニオミのスラム

 歩きつかれた、とブルーノがまた駄々をこね始めたころに、運良くエレニオミへ向かっているというキャラバンと出くわした。路銀を少し分けて、彼らの馬車に乗せてもらえた。

 シンクレア領主の息子と、ライゼルの聖女、という肩書きは思っている以上の効力を持っているようで、かなり良くしてもらえた。


 積み荷の商品から、何か欲しいものがあればと色々と見せてくれたし、旅馴れているキャラバンの食事も分けてもらって旅をしているとは思えないご馳走を食べられた。もちろん、この思わぬ恩恵にはクヌートさんもあやかって、行き倒れていたところを助けられたのだと彼らに説明するとまた株価が上がってしまっていた。調子に乗るブルーノ効果もあったかも知れない。


 けれど、何よりキャラバンで助かったのは徒歩で行くよりもずっと楽だったということだ。

 馬車に乗っているだけでいいのだから楽ちんに決まってる。ブルーノもすっかり馬車の旅が気に入ったようで、自分専用の馬車を仕立てて、良い馬も飼育してそれでエンセーラムまで行こうなんて妄想を膨らませていた。何ていうか――いやもういっか。ブルーノっぽい、で済ませちゃおう。



 クヌートさんの体はすっかり良くなったらしい。

 あれきり、警戒はしているけれど怪しいようなところは見られない。思い過ごしだったならいいと思い始めた矢先に、とうとうエレニオミが近づいてきたとキャラバンの人に教えてもらった。するとブルーノは歩くのが嫌だからなんて理由で同乗させてもらっていたのに、自分の足でエレニオミ入りをしなきゃいけない、なんて妙なことを言い出してキャラバンを降りた。


 そしてクヌートさんも最初はわたし達について来ていたのだから、という理由で一緒に降りた。そのままキャラバンに乗せてもらった方が体にいい、って提案してみたけど、折角治してもらったんだから〜、なんてことを言って譲らなかった。やっぱり、ちょっと引っかかる。



「確かエレニオミには……昔馴染みのダチがいたんだ」

「ほう、そうなのか」


 キャラバンと別れて歩き出し、クヌートさんが切り出した。


「あいつなら、世話になった分、2人に礼をするのに……力になってくれると思うんだが、そこまで一緒に来てくれないか?」

「うむ、殊勝な心がけだのう。そこまで言うのなら存分に礼をしてもらおう」

「ちょっと、ブルーノ。エルヴィス様のお手紙を届けなきゃいけないんだよ? 雨で1日潰してるんだし……」

「堅いことを言わなくて良いではないか、ティアよ。礼を無碍にするなど、逆に無礼であろう?」


 ほんっとにもう、ブルーノって……警戒心がない。

 でもクヌートさんを前にして断固拒否、みたいな態度を取るのも杞憂だったら悪いし……。行くしかないのかな。


「そうと決まれば、存分に礼をさせてもらうぞ」

「うむっ。もっともお主の友人の力によるものだろうがのう」

「ははは、それはそうだが……人の力も、自分の力の内ってえやつだ」

「なるほど、ものは言いようだのう!」

「悪いと思うんだけどなあ……その人に」


 僅かな抵抗はしてみたけれど、


「何を言うか、ティアよ。余もティアが世話になったという相手がいるのなら、余が存分にお礼をするぞっ! 相手の立場に立って考えよ、とティアもよく言うではないか。それに習えば、ここは立派に礼をしてもらうべきなのだ」


 口ばっかり達者だった。

 泣虫ブルーノのくせに……。




 エレニオミの門をくぐり抜けると、やや生臭いけれど活気に満ちた町並みが広がった。

 街は密度の濃い森に挟まれていて植樹されたわけでもない街路樹が不揃いに生えている。クヌートさんのお友達のところへ行くのはすでに決まってしまっていて、まっすぐそこへ向かった。


「シンクレアの都とは違う活気があるのう」

「そうだね」

「ちょっと臭うがの……」

「お魚とかの匂いだと思うよ」

「余は肉より魚が好きだ」

「好き嫌いはしたら大きくならないよ」

「余は器が広い男なのだ。ゆえに物理的なサイズにはこだわらぬ!」

「そこはこだわってよ……」


 自己正当化がお上手だ。いっそ関心するくらいのレベルで。

 大通りから脇の路地へ入り、するするとクヌートさんは歩いていく。

 けっこう密集した家が多い。切り出した石を積み重ねてレンガのように組んで重ねた住宅だ。2階建て、3階建ては当たり前。けれど変に建物同士の階層の高さが合っていなくて歪に組合わさったような印象がある。路地の上には物干し竿がかけられて洗濯物も干してある。ついでに、何だかちょっと……小汚い雰囲気。住宅街っていうよりも、これはスラムに近いような雰囲気だ。


 何か、やっぱり違和感。


 こんなところにお友達となると、嫌でも警戒心は強まる。

 でもあちこち角を曲がるので方向感覚がなくなってしまう。ちゃんと大通りの方に戻れるか不安になってきたころに、ようやくクヌートさんが足を止めた。



「到着したのか?」

「……ああ」

「何だかたくさん曲がりましたね……」

「入り組んでただろう? 道に迷いそうか?」

「そうだのう、余らは土地勘もない。クヌートと別れたら迷子になってしまいそうだ」

「そうかい……。それは、都合がいい」

「む?」


 クヌートさんはこっちに背を向けたままでいる。

 壊れた胸当ても篭手も外しているが、腰に剣を吊るしている。その剣に手を伸ばし、柄を握る。


 違和感。

 何だろう、この感じ。

 大事なことを見落としているような気がする。



「都合がいいとは何だ?」

「ブルーノ、下がって……」

「何故だ?」

「いいからっ――」

「なあ、お坊ちゃんにお嬢ちゃん……」


 ブルーノの手を引っ張ってクヌートさんから一歩退いて距離を置く。そこで、周囲にぞろぞろと見物するような人混みができてきているのが分かった。どの人も、カタギには見えない。吹き溜まりに流れ着くべくして流れ着いたような、ごろつき同然のような人々。


 違和感――そうだ、分かった。

 この違和感は。



「何で……こんなところまで、すんなり来られた……んですか?」

「何を言うておるのだ? 友人の家など把握しているものであろう?」

「クヌートさんはライゼルの人じゃないんだよ?」

「むっ……?」

「エレニオミに来るのだって……初めてかも知れない。他国の兵士がここまで来る用事なんてあると思う?」

「それは……なさそう……だのう? じゃあどうして、こうもするする歩いてきたのだ?」


 まだブルーノはピンときていない。

 取り囲むようなギャラリーがニタニタと笑っている。

 ここはスラムだ。きっとクヌートさんはスラムならどこでも良かった。わざと適当に道を曲がって、スラムの奥の方まで歩いてきた。



「俺はさあ……兵士じゃないさ」

「何とっ、で、では……あれか、さすらいの剣士――」

「この国の王国軍に攻め込まれてよぉ、親分も仲間も殺されちまったんだ……」

「攻め込まれ……?」

「ブルーノ、逃げようっ!」

「あ、おいティアっ――」

「シンクレアの坊ちゃんと聖女だ、身代金は金貨30枚はふんだくれるぞぉっ! 分け前は弾むっ、このガキどもを捕まえろぉっ!!」


 クヌートさんが叫ぶと、ギャラリーが目の色を変えた。

 毛むくじゃらの大人の腕が伸びてきて口を塞ぐように顔を掴んできた。横でブルーノも腕を掴まれ、肩から押さえつけられてしまう。



「はっ……ハハッ、ハハハハッ……運に見放されたと思ったら、とんだカモがやってきやがった! なあ、なあ、悪いなあ? 悪いとは俺も思うんだぜぇ?」


 乱暴に取り押さえられて身動きが取れないでいると、クヌートさんが歪な笑顔を浮かべながら近づいてくる。


「だがよぉ……殺されちまったんだ、みぃーんな、この国のクソったれな連中によぉっ!? かわいそうだよなあ、そう思うだろぉ、ブルーノ坊ちゃん?」

「っ……放、せぇっ……余に触れるなっ! ティアから、離れ――ぇうぼっ!?」


 もがこうとしたブルーノがお腹を殴られて前屈みになった。


「だから……いいだろお? 恩は感じてるさ、でもなあ、でもさあああっ!? 恩もあるけど、恨みもあんだよ。身代金だ、金貨30枚はせしめられるだろ? 聖女っ、なあなあ、あんたはよぉぉ〜、もぉーっと高値だよなあ?」

「っ……」

「だってあのクソったれな病気をよ、どうにかしちゃったんだろぉ? シンクレアだけじゃねえ、アルドリッジやポーラスどころじゃねえ、ライゼル王家がよぉぉっ、お嬢ちゃんのことぉ、大切にしちゃってるような感じなんだろお? だぁって聖女様だもんなあっ? なあああっ!? 金貨は100枚か、それとも200枚かぁっ? 払わねえんならよ、それでいいんだ。使い道はいくらでもあるしよぉぉ、それにっ、それにぃっ――ガキはっ……高値で売れる」


 前歯の欠けた歯で、にんまりとクヌートさんが笑った。

 奇妙な興奮のままにクヌートさんがけたたましく笑い出した。おかしい。頭がおかしい。後ろから伸びてきた手が、わたしの胸をまさぐってくる。


「ひっ、あ――」

「膨らんでねえなあ、まぁだ……」

「だーがよぉ、これくらいがイイってえ金持ちの変態もいるぜぇ? ひひっ……」

「そっちのガキも身なりはいいんだ、いーい値がつく」


 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 このまま捕まったら最悪のことになる。



「エズメさん――エズメさんっ、いないのっ!? エズメさん!」


 呼びかける口を太い指でふさがれた。耳元に生暖かい、そして鼻に不快な臭いをともなった息がかかる。ジョリっとした不快な感触が耳の下にすりつけられて身の毛がよだつ。


「ティアに近寄るなぁっ、放せぇっ! ティアっ、ティア、ティアァァッ!!」

「うるっせえ、小僧がぁっ!」


 泣きながらブルーノが必死に喚いて、わたしの方へ手を伸ばしてきた。でもその手を誰かが掴み、細いブルーノの肘を反対の方向に思いきりへし折る。耳にも心にも痛すぎる、ブルーノの絶叫。包んだ布を口の中に詰め込まれてブルーノが袋だたきにされる。声が出ない。魔法、魔法でやっつけて逃げればまだどうにかなる。魔法で――


「奴隷の首輪ちゃんをプレゼントだぜぇぇ〜?」


 首に冷たいものがはめられる。ガチャンと音がする。血の気が引く。奴隷の首輪は、名称の通りに奴隷の首にはめる拘束具だ。魔法を封じると同時に、魔力に反応して爆発する仕組みになっている。逆らったら首輪が爆破される。そういう死の恐怖で、奴隷を奴隷のままに扱う道具――。



「やだ……やだ、やだっ、やめてっ……!」

「俺もさあ、お嬢ちゃん……。親分の首がはね飛ばされる時は……そぉぉーやって、絶望したぁ……。でも、殺されちまったんだぁ。俺がガキのころから、面倒見てくれてよぉぉ……悪党だったさ、けど、俺にゃあ親父みたいなもんだったのに、あっさり殺されちまったんだ。だからしょぉぉ〜がないんだぁ……ありがとうなあ、ケガを治してくれて」


 息を飲む。踏みつけるように蹴られるブルーノの、嗚咽混じりの悲鳴が耳に届く。

 怖さで体が固まる。両手で耳を塞ごうとしても、その手を掴まれて首筋を生暖かいベロで舐められた。


 死んじゃう。犯される。奴隷にされて、殺される。首が爆破される。こんなことのために、生まれ直したはずじゃなかったのに。


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