ぞっこん坊ちゃん
朝食の後、ブルーノはお昼まで家庭教師にお勉強を教わる。
その間にレオンさんはエルヴィス様と何かお話をしていたらしい。
わたしはいつものように魔法の練習をした。
最近は電話のような魔法ができないかともっぱら考えては実践している。スレッドコールという風の魔法に分類されるものがあって、これは空気の振動を操って一方的に遠くへ物音を伝えることができる。でもそれだと双方向の会話ができないし、同時にスレッドコールを使ってしまうと魔法同士が干渉し、打ち消し合ってしまうという欠点があった。だからこそ、双方向会話の魔法を考えている。
……今日もあんまり成果はなかったけれど。
午後にエルヴィス様はお出かけになられて、ブルーノがレオンさんに稽古をつけてもらうことになった。
「良いか、ティアよ。
余がどれだけ強くなったかを見せつけてやる。
その目を見開いて余の勇姿を見ているが良い!」
そう自信満々に言って張り切っていたブルーノだったけど、レオンさんには遊ばれていた。
わざと隙を作られているのに気づかずに打ち込んでいってはあっさり跳ね返されたり、足を引っかけられて転ばされたり、簡単に練習用の木剣を叩き飛ばされたり。レオンさんも意地悪そうな、それでいてものすごく楽しそうな顔でやるものだからブルーノもムキになって何度も向かっていった。
決してブルーノは剣がヘタくそだったりするわけじゃないし、むしろ同年代や、年上にも劣らない技量を持っているはずなんだけど――相手が悪すぎたらしい。
結局、立ち上がれなくなるまでこてんぱんに弄ばれて終わった。
さっぱりいいところを見せられなかったのが悔しいのか、ちょっと涙目になっていたブルーノは、本人には申し訳ないけどかわいかった。木剣を放り捨てて組みついていっては関節技を極められて痛がっている姿は、兄弟のじゃれ合いにも見えた。
「余を何だと思っておるのだ、レオン! 余は、余は、シンクレアの次期領主であるぞっ!?」
関節技から解放されると、鼻をすすりながらブルーノはそう言ってレオンをぽかぽか叩く。
「いやあ、お前、おっもしろくて」
「面白いと言うでないっ!!」
「そういう反応がな」
何ていうか、レオンさんって、アレだ。
ガキ大将気質。うん、しっくりくる。
「男なら泣くなって」
「泣いてなどおらん!」
「ティアに慰めてもらったらどうだ? 泣いてる内しかできねえぞ?」
「…………ティーア〜」
「泣いてないんじゃなかったの?」
「はっはははっ、マジおもしれえ、お前」
面白がらないでほしい。
ちっちゃい子みたいに――いやでも10歳だし年相応なのかどうか、絶妙にビミョーなラインだけど――ブルーノに泣きつかれた。この子の場合は少なからぬ下心があってのことかも知れないけど、無碍にすると良心がチクチク痛む。わたしって甘いのかなあ。
「ティア……」
「はいはい、どうしましたか?」
ぎゅっとしがみつかれた状態でブルーノに見上げられる。上目遣いだ。目が少し潤んでいる。やっぱりこの子は犬みたいなかわいさがある。尻尾とか似合いそう。
「早く胸を大きくしろ……。ちっとも顔が埋まらん……」
「レオンさーん、あと10回くらい相手してほしいって」
「ティアアアアア―――――――――――っ!! 余をっ、余をまたこの鬼畜めにいたぶらせようというのかっ!?」
「お前はもうちょっとオブラートってもんを覚えろ」
「おぶらーと? 何だ、それは?」
「いいか、いくら巨乳がいいからってな、そんな言い方はダメだ。そういう時は、慎ましくてもいいものがありそうだなって誉める方向でいくんだ」
「なるほど」
「何を教えてるんですか!?」
「男のたしなみだ」
「たしなみか、あいわかった! おぶらーと、であるな!」
もうやだ、男子って……。
ため息をつくとエズメさんによしよしと頭を撫でられた。やっぱりエズメさんも同じような気持ちなんだなっていうのが伝わった。
その日の夕食の席でレオンさんは明朝に発つと告げた。
シンクレア周辺を散策してから国に帰るらしい。ブルーノはここに留まれとわがままを言ったけどエルヴィス様にたしなめられていた。会いたくなったら大人になってからエンセーラムという国に来いと告げ、見慣れない金貨を1枚ずつわたしとブルーノにくれた。
翌朝には誰にも何も告げず、置き手紙と少量の土産を残してレオンさんは消えていた。
カレー用のスパイスの調合法と、必要なスパイス、そしてレシピをわたしに。ブルーノには「男のたしなみ」とは何かというような内容のメモ、そしてエルヴィス様には食事と寝床をくれたお礼を記した手紙とともに宝石をひとつ置いていったらしい。
「レオンめ、何も言わずに行きおって。余に一言、二言の挨拶くらいしていっても良いだろうに……」
「多分そういうのが苦手なんだと思うよ、性格的に」
「そうなのか? ……だとしても、余は不服である」
「次に会えた時に伝えたら?」
「うむっ、エンセーラムだったな。聞いたこともないが、どれだけ遠いのだろうな。半年もあれば着くだろうか」
「半年だとアイフィゲーラの西端までじゃない? 早く行けても。……よくは分からないけど」
「そうなると、よっぽど遠いのう……」
何だかんだ、短い期間でブルーノはレオンさんに懐いたんだと思う。
昨日は泣かされるほど弄ばれていたけれど、それでも笑ってはいたし、2人ともコミュニケーション能力が高かったからすぐ仲良くなれたのだ。それにブルーノはシンクレアの領主として剣の腕を磨きたいという気持ちが強くて、英雄譚も大好きで、強い人を尊敬する。レオンさんの本気なんて欠片も見られなかったんだろうけど、それだけの底知れぬ強さは敏感に感じ取っていたはずだ。
「まあ良い、いずれ訪ねて男のたしなみでティアを虜にしたことと、そして余の剣がどれだけ上達したかを報告するのみだ」
「報告の前者は……ちょっとできないと思うけどなあ」
「何を言うっ! 余は一皮剥けたのだぞ、大人の男として」
「ああそう……」
「何でそこで力ないことを言うのだ!? まったく、けしからん、余は将来のティアの婿だというのに」
「そういうのは寝言で言おうね」
「むむむぅっ……。まあ良い、許してやろう。寛大な心で許してやるのが男のたしなみであるからな! ……どうだ、惚れたか?」
「心がけだけは立派だね」
「何故通用せんのだ……? 男のたしなみだというのに……」
あけすけすぎるから、かな。
あとさっぱりこっちにその気がないっていうのも大きいと思う。
「よし、ではティアよ。これから冒険に行こう」
「冒険? どこまで? 何しに?」
「それは……ぼ、冒険は冒険だ。エズメ、お前はこないでいい」
「ですが坊ちゃん、それだと坊ちゃんが困った時に大変ですよ?」
「困るから良いのだ! 良いか、男と女はな、吊り橋を2人きりで一緒に渡ることで恋に落ちるのだ。だからエズメは余計だ」
「吊り橋効果?」
「な、何故それをっ……!? ティアよ、もしやお主、男のたしなみを盗み見したのかっ!?」
「何かもう、バレバレです……」
「とっ、とにかく行くのだ! 目的地は、うーん……エレニオミ! エレニオミがいいな!」
エレニオミって言えば、ここから馬車でも10日はかかる大河ハイラヴァル沿いにある大きな街だ。ハイラヴァルを往来する船の港町として栄えてて、川向こうの国との貿易をしている。さすがに遠い。
「吊り橋、途中にないと思うよ?」
「むっ……いやっ、吊り橋でなくてもいいのだ。とにかくエレニオミへ余はティアとともに行く! これは決定事項であるぞ!!」
「では旦那様がご許可を出したら、ということにしましょうね。坊ちゃん」
「いいやっ、父上には何も言わぬ! 冒険とは人知れずに出ていくものなのだ!」
「ちゃんとエルヴィス様がいいよって言わないと、わたしも行かないよ」
「それなら父上が良いと言えば絶対に来るのだな!? そうだな!?」
「言わないと思うけどね……」
「いいや、必ずや父上の首を縦に振らせてやるぞ! 父上っ、父上ぇーっ! 余が大人の男になるために重大な話がある! どこにおるー!?」
バタバタと足音を立ててブルーノが行ってしまう。エズメさんがため息をつきながら小走りでそれを追いかけていった。まあ、子ども2人でそんな遠いところまで行く許可を出すはずがない。落ち込んで戻ってくるブルーノをどうやって落ち着けるかだけ考えておこう。




