聖女の魔法、穴空きの魔法
着替えを済ませて中庭に出るとレオンさんがすでに起き出していた。
ブルーノのお父さんで、シンクレア領の領主であるエルヴィス様が剣を抜いていた。どうやら手合わせをしているような雰囲気で、互いに同じような長さをした片刃の両手剣を持って立ち会っている。ふと、中庭に面したテラスでエズメさんがいつものように腕を組みながら2人を眺めているのに気づいた。
「いざ、尋常に!」
「おう」
エルヴィス様が宣言すると、剣を振り上げて迫った。
振り下ろされた一撃を軽々とレオンさんは片手で持った剣で受け止める。両者とも剣を縦にしながら降ろしてつばぜり合いのような格好になる。と、エルヴィス様がレオンさんを押し込んでから鮮やかに後ろへ跳んだ。同時に手元を剣で斬りつけようとしていたが、それは鍔でしっかりと防がれていた。着地した姿勢から低くなり、さらにエルヴィス様が前へ出る。息もつかせぬ早技。しかし、レオンさんは半身になってその突進からの刺突を回避し、刃を返して峰で強かにエルヴィス様の背を叩きつけた。
「参った……」
起き上がったエルヴィス様の喉元に剣が突きつけられたところで、降参となった。
手を後ろについたままの格好でエルヴィす様はブルーノと同じ黒髪をわしゃわしゃとかく。レオンさんが差し伸べた手を掴み、それから立ち上がった。
「貴公はやはりただ者ではないか。ブルーノが気に入るはずだ」
「そんなでもないって。しがない穴空きさ」
「穴空きでありながら遠い異国からここまで旅してきたのであろう? 剣の腕も見事なものであったし、謙遜することではない」
「本当は剣よか槍の方が得意なんだけどな」
「何と……そうであったか。とても貴公には敵いそうにないな」
朗らかな会話。
そう言えばエルヴィス様は18歳でブルーノのお兄さんを授かって、その2年後にブルーノが生まれたはずだ。レオンさんとは本当に少ししか年齢が違わない計算になる。遠目にだが見比べてみると、やっぱりレオンさんの方が若く見える。あの若さの秘訣は、あの自由そうな性格がゆえなんだろうか。老け込むほどの苦労をしていない――はずはないと思うんだけど、ちょっと秘訣を知りたくなる。将来のために。
「ん? ティアよ、もう起きていたのか。こちらへ来なさい」
「あっ、はい。おはようございます、エルヴィス様、レオンさん」
声をかけられ、小走りで2人の方へ向かった。
朝露に濡れた緑を踏んでいく。エルヴィス様の服が倒れた拍子に少し濡れていた。
「お召し物、乾かしますね」
「ああ、そうしてくれ」
魔法で温風を出してエルヴィス様の胸回り、それからお尻の周りを乾かす。と、それをレオンさんはしげしげと眺めていた。何だかちょっと、緊張。
「あ、熱いっ、熱いぞっ!?」
「え、ああっ、ごめんなさい! ついっ……」
「ドライヤーか」
「はい、ドライヤー……です」
「何だ、どらいやーというのは?」
「えっ?」
「あー……その魔法。いや、便利だなと思って。なるほどな、そういう風に使えちゃうわけか」
レオンさんが誤摩化してくれた。
確かにドライヤーから着想を得た魔法だから、ドライヤーと言ってしまって差し支えない。
水を出したり、火を起こしたりというのは生活の中で日常的に用いられている魔法。けれど、魔法士と呼ばれるような魔法の専門家でない限り、魔法でやるのはその程度でしかない。魔法士だって、割と細分化された専門の魔法はあるけれど、数が多いのは戦いのために魔法を使っているような人で、とんでもない火力で敵を攻撃するような危険な魔法のレパートリーがかなり多かったりする。
折角の便利な力だというのに、何だか物騒な使い方が多かったりする世の中だ。
魔物という危険な存在がいるから、護身のために攻撃的な魔法が発展してきたのかも知れないけれど。
「エルヴィス様、このお庭で魔法の練習をさせていただいてもよろしいですか?」
「好きにしなさい。朝食の支度ができたら誰か呼びに行かせよう」
「ありがとうございます」
「レオン殿、朝食の前ですがお話でもどうです?」
「え? ああ……いや、それより、このちっさな聖女さんの魔法ってのを見てたいんだ。後でいいか?」
「分かりました。では後で」
エルヴィス様が屋敷の中へ戻っていくのを見届けてからレオンさんを見ると、目が合った。
「魔法、俺も使いたかったな……」
「穴空きって、魔法は何もできないんですか?」
「んー、まあ、うーん……一応、そういうことにはしてるけどひとつだけまともなのは使える。けど、邪道らしい」
「邪道?」
「俺が生まれたとこの国――ディオニスメリアって言うんだけど、そこじゃあ騎士ってのがいるんだ。剣も使えるし、魔法も組み合わせて戦う。魔法戦とか言う戦闘技術なんだけどな」
「魔法戦……」
「で、色々あって穴空きなのに俺はその騎士を養成する学校へ突っ込まれちゃったわけだ。もちろん、騎士は魔法戦をしなきゃいけないから、剣と魔法の両方が使えなきゃいけない」
「ええっ?」
「でもそこにいた魔法の先生がさ、穴空きの研究ってのをしてて……ひとつだけ、教わって使えるようになった。俺は魔法は使えないけど、大気中の魔力を自分の体に取り込んで、変換せずに使えるんだ。それの応用でな、火炎放射器みたいに魔力だけをまずは放って、それを一気に燃やし尽くすっていう荒技魔法なんだけど……成功率が低いんだ」
はあ、と軽いため息をついてレオンさんが肩をすくませた。
「普通の魔法ってのは、体内の魔力をさ、魔力変換器で火だの水だのに換えるわけだろ? でも俺のは魔力そのものを燃やすってえのか? ビミョーに違うプロセスだからできてるっていう感じなんだけど……まともな魔法士の聖女さんでもこれはできねえだろ?」
「えっと……」
「ん?」
「できます」
「えっ?」
魔法の仕組みは簡単だ。
魔力というものがあって、それを生物が備える魔力変換器というもので魔法に変える。
ライターに例えるのなら着火する炎が魔法という完成品。魔力がガスで、魔力変換器が火花を起こすフリントという部品に当たる。あとは魔力放出弁っていうものもあるけど、それはライターの火が出る口のところに当たる。
最初はこの仕組みを知らずにただただ独学で魔法を使っていた。
でも色々と自分で試しながら、魔力が生き物の体内だけではなくて大気中にも溢れていることに気づいた。だから2年くらいかけて、自分の魔力だけじゃなくて体外の魔力をどうにかしてコントロールし、魔法を使えないかという実験を繰り返した。これがレオンさんが唯一使えるという魔法と同質のものだ。
「固定概念っていうのを知る以前に魔法、自分であれこれやってたから偶然辿り着いちゃった……みたいな感じで」
「俺のアイデンティティーのひとつがこうもあっさりと……」
「ま、まあでもっ、あの、穴空きは魔法を使えないっていう定説をひっくり返しちゃったわけ……なんですよね? ねっ? だからそんな落ち込まないでください……ね?」
「じゃあこれはできるか? 魔技っつー、まあ似たようなもんなんだけど、魔力を魔力のまま扱うわけだ。例えば魔力を手だけで覆い込むだろ? すると、ただこうやって地面を掴もうとしても指の力が地面に負けて鷲掴みなんてそうそうできないわけだ」
「はい」
「だけど、魔技を使ってやると……こうやって、むんずと掴んで、がばっと引っこ抜けちゃう」
魔技なるものをレオンさんが実践して見せてくれた。
生身ではとても芝の根が張った地面を掴み上げることはできないものの、魔技を使うと指がずぼっと芝の中に埋まって、そのまま握力で持ち上げて簡単に土を掘り起こしてしまう。
「これはできまい!? どうだっ!?」
「……できません」
「っしゃ、勝ったぁー! 俺の唯一の生命線は勝てたぜぃっ! ハッハー!」
諸手をあげて喜ぶレオンさんに苦笑しておく。
何かもう、精神年齢がいくつなんだろうって気になってくる。27歳で死んじゃったとか言ってたわけだから、もう60歳近いような気もするんだけど、精神が肉体に引っ張られるっていうことなのかな。それにしてもエルヴィス様と同年代のはずなんだから落ち着きがあってもいいような――いや、今ははしゃいでるけど、普段の物腰はそれなりに大人なような、うーん、分からなくなる……。
「つっても、これはナターシャが編み出したらしいんだけどな」
「えっ」
「昨日の話でさ、お宝をナターシャは集めたって……話しただろ?」
「はい」
「そのお宝はカルディアって言って、魔力容量の多い人間の心臓なんだ。簡単に言っちゃえば」
「心臓……」
「でもって、魔技を使うと俺みたいな穴空きじゃない限りは、どんどん魔力容量が成長してって常人を簡単に上回る魔力を扱えるようになっちゃう。だからさ、この魔技の使い方を記した本を何冊か書いて、そいつを世界中にばらまいたらしい。カルディアを回収するために」
「……そこまで、したんですね」
「ああ……。俺の娘までカルディアの材料にみなしやがったけどな。けど、こいつがあったお陰で3歳の時にぎりちょん奴隷になるのを回避できたし、今日まで生きてこられたから、クソアマって言い捨てられねえんだけどな」
レオンさんはナターシャという人を語る時、やるせないような哀愁を見せる。きっと彼に許せないことをしたのだろうけれど、思うところはきっとあったんだ。ただただ、純粋に悪い人だと断じることができないだけの。
「そうだ」
不意に思いついたようにレオンさんが手を打った。
「魔技の応用でな、手で触れれば相手の魔力容量がどんなもんか、分かるんだ。どんなもんか、俺が比べてやろうか?」
「じゃあ……折角なので」
「よーし。目安を教えてやろう。ちょっと魔力が多いやつで、そうだな、体積はアフリカゾウくらいだ」
「アフリカゾウ?」
「多いやつで、クジラ」
「クジラ……」
「魔技を使ってたっぷり魔力容量が成長したやつだと……ちっさい山くらいはある」
「山?」
「さて、聖女様の魔力容量を拝見させてもらうか」
片手を差し出した。レオンさんのゴツゴツした手に握られる。まだ土がついていた。後で洗わなきゃ。レオンさんが目を閉じる。
「ふんふんふ――んん?」
「どうかしましたか?」
「いや……何かこれって」
「これって?」
「……………………俺が知る中で、ナンバーワン?」
「えっ?」
顔を引きつらせ、レオンさんがぎこちなく言った。
そしてまた、何故か落ち込んでしまった。どうせ俺なんて穴空きだ、といじけてふてくされる姿はブルーノと同じくらいの精神年齢かも知れないと思わせられた。