聖女ティアと穴空きレオン
穴空きレオンと名乗った、自称・さすらいの王様はきっと、わたしと同じように2度目の生を記憶を保ったまま遂げた存在だ。ブルーノがせがんで語った女エルフ・ナターシャの話が本当かどうかは正直分からないけれど、本物のように聞こえた。主人公の男性は30年後の世界に飛ばされ、同じ夢を見ていた女性が犠牲になっていたという話もあったが――それがわたしのことじゃないかと臭わせられていた。
カレーパンに、おせんべい。指切りげんまん。
ナターシャの見た夢と、その夢を見たお話の主人公、そしてナターシャに殺されてしまった女性。きっと、レオンさんも、わたしも、そしてナターシャさんも同じなのだ。
シンクレアの屋敷に彼も泊まることになった。
夜を待って、彼と話をすることにした。
「こんばんは。少し、いいですか?」
シンクレアの客間の戸をそっと叩いて声をかけると、少しして開けられた。
「よう、待ってたぜ。入れ」
「はい、失礼します」
椅子と机を窓際に寄せ、彼はそこで何か書きものをしていた。五線譜のようだった。並んだ音楽記号にも見覚えがある。
「音楽……?」
「こっちに来る前はさ、ミュージシャンになりたかったんだ。ロックスター。ま、ダメだったんだけど」
「あなたはやっぱり……」
「お前も同じなんだろ? 本当はいくつだ? 俺は27で死んで、今、この体じゃあ29歳になっちまった」
「……20歳で、事故で死んじゃいました」
「俺も事故死だった。ナターシャも、そうだったのかもな……。いや、でもそしたら事故死した分だけ、同じ転生者がいることになっちまうか。ほんっとに偶然だったんだろうな……」
ちゃんと言葉にして確かめるまでもなく、境遇を共有することができた。
改めてレオンさんを観察する。逞しい鍛えられた体だった。今は寝間着代わりに麻のシャツを着ている。半袖から覗く腕は太く、襟口からは古い大きな傷痕が見え隠れする。
「信じがたいかも知れないけど、昼に話したのは俺のことだ。ナターシャについては全部を把握できてるわけじゃないから脚色入ってるけど、確かにいて、2年前に俺が殺した。で、今から28年後の未来に俺は飛んで、その時に聖女ってのの話を聞いた。だけどその時、お前は死んでた。ナターシャにハメられて、この国は戦争で分割されて別々の国の領土になってて、お前によく仕えた――って伝わってる4人の内、3人が死んでた。……今、知り合いに王族の剣士ってのはいるか?」
「……王家からは遠縁だけど、ブルーノは、あてはまるのかも知れません」
「そうか……。最期は断頭台に送られた、ってよ。聖女とのつき合いは1番長かったらしい」
「ブルーノが……断頭台……」
「あんなちっちゃい子が……まあ大人になってからだったんだろうけど、やるせねえな。ナターシャが消えたからと言って、ここら辺はいつどうなるか分からねえ土地柄だって言うし」
静かに彼は言いながら椅子を立ってベッドに座った。それから、目で促されて椅子に座る。ずっとレオンさんが座っていて仄かに暖かくなっている椅子に腰掛けた。机の上に残された五線譜を見つめる。タイトルらしいものが紙の上部に書かれていた。――紫苑の花。どういう意味だろうか。歌詞のようなものはなくて推測する材料がない。
「一応、釘をさしとく。ないだろうとは思うがな」
「はい……?」
「お前はナターシャのようなことはしないな?」
「はい」
答える。
じっと見つめられた。
真意を推し量るかのように真剣な眼差しだった。
「……なら、いいんだ」
何秒間見つめられたか、不意に口元を緩めてレオンさんが言う。
「何様だって言われるかも知れねえけど……ナターシャは、ああするしかなかった。この世界じゃ、命は軽すぎる。それでも人殺しってのは、嫌なことについて回っちまってさ。何人殺したかも、もう覚えてない」
「そんな……」
「生まれ直して、首が据わったかなってころに捨てられてさ。ハードモードの人生だったと思う、我ながら。穴空きだしな。折角魔法なんてのがあるってのに、使えねえんだ。……そっちはこれまでどうだった?」
「わたしはちゃんと使えます」
「マジか、いいなあ」
「でも、ちょっとやりすぎて……5歳か、6歳か、それくらいまではけっこう避けられてました」
「ははっ、そうなるよなあ。俺も5歳の時にお高く止まってた貴族の行き遅れババアとっちめたぜ」
「ええっ?」
「いやな、ほんっとにムカつく女でよ……」
親しげにレオンさんは色々と話してくれた。どれもこれも、大変そうな話だった。
でも今は旅をしている内に知り合った女性と結婚して、子どもまでもうけたらしい。しかも子煩悩になっているようでたくさん自慢をしてきた。どういうところがかわいいとか、どんな子どもかとか。
「俺はこっちの世界で生まれ直せて良かったって思う。でもナターシャはそうじゃなかった。あんたは?」
「大変なことも困ることも多いけど……今は楽しくやっています。聖女なんて言われちゃうのは、ちょっと複雑だけど」
「何でそもそも聖女なんだ? 肉まん作ったから?」
「ペスト……だったと思うんだけど感染症が流行って、それを結果的に……運良く? 歯止めをかけられたから」
「ペスト? ペストって、何か、めちゃくちゃ死ぬってやつだろ? どうやったんだ? すげえな? おい」
「あれはネズミを媒介にしてノミ……か何かの病原菌が広まっちゃう、っていうような病気だから、猫を集めて家の中でたくさんお世話してたの。猫がネズミを狩ってくれるから、あとは衛生をしっかりしていれば……」
「へえ……。ネズミか、そっか。でもって、それから聖女様なわけか。俺なんて穴空きだ、っちゅうに……」
ちぇっ、と子どもみたいにレオンさんが舌打ちをする。実年齢はもういい年なんだろうけれど若々しく感じる。何だか不思議な人だった。
それからしばらく、身の上話とか、元の世界とかけ離れている常識だとかを話した。深く話し込むような話題はなくて、ずっとお互いに見聞きしたこととか、感じたことを、あるあると共感しながら話し合った。でも途中で眠くなってしまって、体を気遣われて眠ることにした。中身は大人でも、肉体に引っ張られて体力が追いつかないというのは、やっぱり共通することだったらしい。
レオンさんとお話したからか、前世の夢を見た。
ティアとして二度目の生を受ける前は、少し体が弱かった。季節の変わり目にはよく熱を出したし、それで両親には何度も心配をかけた。かかりつけのお医者さんはお年寄りの開業医で、言葉がはっきりしなくてふごふごとしか聞き取れなかったけれど看護士さんが通訳をしてくれた。
たくさんの人に迷惑をかけながら、最後はつまらない事故で死んでしまった。
あの時に助けてくれた人は、多分、即死だった。自分も死んでいくのが分かりながら、それをどこか冷静に見ている自分がいた。
小鳥の声が外でした。
シンクレアの屋敷の女中さんが部屋に入ってきて、窓を開けてくれるのが気配で分かる。それから、ベッドの中に感じる別の暖かいものがあることに気づく。肩のところが、何だか重い。何だろうと思って目を薄く開ける。
「っ……ぇ……ブルーノ!?」
「んむ……? ふわぁぁ……よく眠っておったのう、ティア……。シンクレアまで来た旅疲れがあったのだろうな。もう少しでいいから眠らせておくれ」
「もうっ……起きるから、二度寝するならひとりでして」
「二度寝じゃない……三度、寝……」
むにゃむにゃと語尾はハッキリせずにしぼんだように消えていった。
ベッドに潜り込まれるのは、これで何度目だろう。寝ている間の悪戯――めいたものは今のところないけれど、いつか本気で手を出してくるんじゃないかと思うと少し怖くなる。普段の言動があまりにもマセてるから、まだまだかわいい男の子だと油断できないのが本音だ。
何ていうか、ブルーノは甘えん坊だ。どんな言葉で自分を大きく見せようとしても、屋敷の人や、都の人々に呼ばれる通りに坊ちゃんなのだ。だからこその愛嬌なのかも知れないが、ついつい甘やかしそうになってしまう。将来は女ったらしになっちゃうのかも。




