エドヴァルド・ブレイズフォード
「いらっしゃるのならば便りをくだされば出迎える準備をしたのですが……。
明日はこの国の自慢の食材でおもてなしをさせていただきますのでご容赦ください」
エドヴァルドの娘婿のマティアスは突然の義理の親父の訪問に顔をひきつらせたが、すぐに持ち直していた。まあエドヴァルドが蝶よ花よと内心でかわいがりまくっていたミシェーラを娶ったプレッシャーってえのがあるのだろう。
食事が済んでミシェーラとクラウス坊やが先に就寝すると、一気に重苦しい空気になる。大人が寝るにゃあまだ早い時間だ。これをどう娘婿が繋ぐのか、他人事として関心がある。
「貴様は、今はどんな仕事をしている?」
「わたしはエンセーラムの軍事関係についての要職を拝命しています」
「具体的には」
「これより発足する国防軍の長として、今は国民に有事の際の戦闘訓練を施す他――」
「もういい」
「ハッ」
あーあ、かしこまっちゃって。
これが義理とは言え、親子の会話かっちゅうに。ま、互いに馴れ馴れしくするような性格でもないから仕方ないだろうが。にしたってマティアスの方は気が気じゃなさそうだ。こんなおっかねえ義理の親父が突然訪問してくるなんざ夢にも思ってなかったんだろう。
「エンセーラム自慢の酒で、清酒というものがあるのですが、お飲みになられますか」
「お、いいねえ。ジェニスーザでもマレドミナ商会の直営食堂でいただいたのよ。旦那も気に入っちまって。ねえ、旦那?」
「そうでしたか。どうぞ」
「……ああ」
「果物もありますので剥いてきましょう。何ぶん、この国はまだ興ったばかりなので使用人を雇えるほど人材があぶれてもおらずに不便をかけてしまいます。何卒、ご容赦ください」
酒を出したところでマティアスは食堂を出る。
エドヴァルドは無言で酒を飲み、室内を首をめぐらせて見渡した。慎ましやかだが綺麗にされている部屋だ。花瓶に差された綺麗な花は庭から摘み取ったものだろう。同じのを昼に見ていた。
「旦那、ほんとに孫の顔見て、娘婿をいびるためだけに来たんですかい?」
「……いや」
もう何度目とも数えていない問いかけをすると、初めて返事が変わった。
「んじゃ、何をしに?」
「まだ知らずともいい」
意味深なことを……。
しばらく沈黙が続くとマティアスが果物の皮を剥き、食べやすいようにカットしたものを持ってきた。綺麗なオレンジ色をした果物がくし切りにされていた。つまんで口に入れるとじゅわりと甘い果汁が口の中へ広がる。小さな種が果肉にはついていたが、気にせずバリバリ食べるとこの種も香ばしくてサクサクした食感があってなかなかにうまい。食いものがうまいってえのはいいもんだ。ちょびっとばかり効いている酸味がまたにくい。こりゃほんとにうまい。
「ミシェーラに、苦労はかけていまいな」
「はい、無論です」
明るい話題もなく、沈黙の中で酒を飲み、果物を食べ尽くしたところでエドヴァルドがようやく口を開く。マティアスは即答する。
「ならば良い。もし、娘を不幸にするのであれば、その首をはねる。肝に命じろ」
「ハッ」
おっかねえジジイになったもんだ、エドヴァルドも。
「クラウスがろくでなしに育てば貴様に責任を問う。その時もまた、貴様の首をはねる」
「ハッ」
ついでに早くも孫バカですかい。
この鉄面皮を剥いたらどんなにでれでれな顔が出てくるものやら、見てみたいもんだ。
「貴様はこの国の王と親しいのであったな」
「はい。ディオニスメリアの王立騎士魔導学院のころより」
「エンセーラム王は忙しくしているか?」
「はい」
「謁見をしたい。手配を任せられるか」
「謁見――? か、かしこまりました。早ければ明日にでもできるものと思われますが……どういった、ご用件で?」
やっぱり、エドヴァルドはそこにいくか。
さて、何をする気だ。口にできねえことをしようってえんなら、お前さんが望んでいる通りに俺の剣が背中から一突きにするところだが。
「わたしと、この男と、3人で内密の話をしたいことがある」
「それはわたしにも明かせぬことでしょうか?」
「そうだ」
「……分かりました」
俺も、交えて――?
ちょいと牛にこのことを言っておくべきかねえ。
翌夕に準備ができたと呼ばれ、エドヴァルドとともにマティアスに連れられてエンセーラム王宮へ足を運んだ。さすがに王宮ともなれば小国であっても立派なものだ。広々としていて厳かな空気が満ちている。
「こちらがエンセーラム王――レオンハルト・エンセーラム陛下です」
外光を取り入れている広間に、すっかり大人になっちゃった元少年がいた。
真紅の絨毯が広間の入口から玉座まで敷かれている。玉座に座っている元少年は居心地の悪そうな顔を隠しもしない。
「マティアス、下がっていいぞ」
「…………」
元少年が言うとマティアスは広間を出て大きな扉をゆっくり閉めた。
どうやらこの王宮にもほとんど使用人はいないらしい。客と王だけの空間にしてしまうなどディオニスメリアではとても考えられないことだ。
「んで……騎士団長でもなくなった男と、胡散臭いオッサンが何の用だ?」
「お久しぶりね、元少年。元気?」
「元気、元気。緊張感のねえオッサンだな、相変わらず……。いやもうじいさんか? 老けたよなあ」
「そりゃあね、オッサン通り越してもうじいさんって言われてもしょうがない年にはなっちゃったもんよ。時の流れってえのは残酷なもんさねえ」
まだ肩車をしてやれたころと中身はあんまり変わったようには思えない。
あのパレードから何年経ったものやら。10年以上、ってところか。リーゼリット様が成人した時のパレードだったし、15年近くには――
「レオンハルト・エンセーラム」
不意にエドヴァルドが口を開いた。
忘れかけてたが、そう言えばエドヴァルドが言い出してここにいたんだった。
「お前の父親は、この男――ヴィクトル・デューイと名を与えられ、表向きには死んだことになっているランバートという元騎士だ」
ありゃ。
いきなり、この世界一おっかないジジイは何を言っちゃってんだ?
「それが?」
「お前の母親は、トリシャ・ブレイズフォード。わたしの妻だった女だ」
エドヴァルドはこんなことを言うために、わざわざ来たってえのか?
はるばる、海を超えて、こんなところまで?
「トリシャがこの男との間に子を産んだとなれば、彼女は不貞を働いた女ということになる。シャノンには許されぬ罪となるだろう。そこでお前は、わたしの子だということにしておいた」
「よく言うぜ、捨てといてよ」
元少年が気分を悪くしたとばかりに、吐き捨てた。
「どころか、前にもんなことは聞いたぜ。
忘れもしねえ、スタンフィールドでてめえの馬車に乗せられたかと思えば、騎士団に入れだの何だの言って、拒否すりゃあ問答無用で殺しにかかってきただろうが」
何? すでにエドヴァルドが、元少年に剣を向けていた?
んなの少しも知らなかったが、いつの間に――?
「でもって、今度はきっちり殺しにきたってか?」
「元団長閣下……ちいと、俺にも聞かしてもらえやしませんかね、そのことを」
剣に手をかけてエドヴァルドを見据える。
俺と元少年に視線を交互に投げてから、エドヴァルドは剣を捨てた。
「騎士団はほどなく、再び権力争いによって腐敗していくことだろう。ロジオンを後任に据えたいところではあったが、それもできなくなり、わたしも任を降りた。これは止められぬことだ」
「それがどうした?」
「レオンハルトよ、お前には……強くなってもらわねばならなかった。そして然るべき時に騎士団へ迎え入れ、騎士団を生まれもっての権力によらぬ実力競争の社会にすることを計画していた。そうしてこそ、わたしが退いた後にも騎士団が正しく作用し、ディオニスメリアを守っていくことができると考えていた」
真実か、あるいは嘘か。
仮にこれがエドヴァルドの本心だとしても、手前勘が強いってえもんだ。
「それを蹴ったから、殺そうとしたんだろ?」
「本気だったのならばとうに殺している」
「カヤヴァを差し向けたのも、その強くするための一環ってえやつかい?」
「カヤヴァ? ラーゴアルダで、俺のこと襲ってきたっていう――あれも、てめえのっ?」
「そうだ」
「だとしたって、やり方がちいと目的に沿わねえんじゃないかい。強くするってえんなら、手ずからお前さんがあれこれ叩き込めば良かっただろう。少なくともロジオン坊ちゃんにゃあそうできた。……まあ、しなかったようだが」
てっきり、俺から奪い取って手に入れたラトシャが、俺の子を産んだのが許せなくて元少年に当たり散らしていたようにか思っちゃいなかった。いくら強くするためだと言いながらも、やりすぎてそう素直には受け取れやしない。
「詫びにきた。
傲慢がすぎたことを。
矮小なプライドが、必要以上に攻撃的にさせたことを」
ゆっくりとエドヴァルドが足を揃えてその場に座り、腰から上で屈むように頭を下げた。
「すまなかった」
想像もできない謝罪だった。
元少年も玉座から腰を上げ、固まっている。
まさかエドヴァルドが謝るとは。
こんなところをディオニスメリアの他の連中が見れば、頭がどうかしたのだと百人が百人疑うような光景だ。
「吐き出したい言葉があるのなら、全て吐きつけろ。甘んじて受け入れる覚悟はできている。
切り捨てたければ切り捨てろ。ヴィクトル――いやランバート、お前にもその権利はある。お前の子にわたしは酷なことをしてきた」
外で何かが鳴く声がした。
静まり返って、俺も元少年も動けなかった。
ずっと長いこと、時がそのまま止まったように静かだった。
「言い訳しろよ。
そこまで悪いと思ってんなら、言い訳のひとつでもしろ」
黙り込んでいた元少年が言う。その顔には迷いがあった。赤子の内に捨てられ、多くの苦労をしてきたはずだ。その元凶が、今まさにどうにでもしろと言っている。罵るのも殴りつけるのも今はできる。だが、言い訳をしろと命じた。
「わたしはただ、国を守りたかっただけだ。
騎士団を是正しなければ、いずれ破綻することが目に見えていた。そのためにお前を利用することにした。
トリシャがバルドポルメの難民に犯された憤りがあり、彼女をランバートが抱いたことにも憤怒の炎が噴き上がった。そうして生まれた赤子を見た時に、一目でランバートの子と分かり、この考えを思いついた。
捨て子となれば強くならねば生きていけぬ。
それで道を踏み外すのであれば切り捨てるのみ。あえてレヴェルト領に捨てて、物好きのレヴェルト卿が目をつけて取り込めば、いずれは目に留まることになるだろうと考えた。
だが、序列戦で穴空きでありながらカノヴァスの長男と戦っている姿を見て、また憎しみが沸いた。
王都へ来たと耳にした時に、死んでしまうことを望みながらカヤヴァを使って暗殺を命じた。
スタンフィールドでロジオンとともにいたのを見た時、騎士団へ誘ったのは本心だ。
ここで騎士団に入り、今の腐った体制に一石を投じられるのであればと考えたが、それを断られたことで――身勝手に見切りをつけた。下らぬ怒りに突き動かされ、国を守るためという大義の下で、わたしはずっと、トリシャを傷つけられた怒りの捌け口としてお前に当たった」
淡々とエドヴァルドは語り、それからまた黙した。
エドヴァルドは冷徹な男だ。昔から、目的のためならば何でも利用し、切り捨てることを厭わず、それで結果を出し続けてきた。どうしてそうも冷徹でいられるのかと思ったことは何度もある。その度、エドヴァルド・ブレイズフォードという傑物だからだろうと思考停止で結論づけていたが、そうではなかったのだろう。心を押し殺して、鉄の仮面を被って、必死に耐え続けてきたのだろう。
そして騎士団長の任が解けた今、自らを縛りつけてきた全てを捨てに来た。
愛娘の顔を見て、孫の顔を見て、娘夫婦の暮らしぶりを見て、最後に――詫びにきた。
ずっとずっと耐え忍んできた半生に終止符を打つつもりで。
「……そうかよ」
元少年がエドヴァルドに歩み寄っていく。
3歩前で立ち止まり、頭を下げたまま微動だにしない男を見下ろす。
「あんたのせいでこちとら散々な幼少期だったぜ。何度死にそうな目に遭ったやら。だけど、今さら時間を巻き戻してやり直すことなんてできやしねえし、あんたに捨てられなきゃ、今の俺はなかった。だからチャラにしてやる。年寄りをいたぶる趣味もねえしな。だから顔上げてくれ」
エドヴァルドの肩に手を起き、元少年が渋い顔で言った。
「許すのか?」
「許すも何も……ミシェーラとロジオンの父親をどうこうできるはずねえだろ。悲しんじまう」
立ち上がったエドヴァルドに元少年が剣を差し出す。
それを受け取りかけ、エドヴァルドは手を下ろした。
「それはくれてやる。ブレイズフォードの者として生まれたお前にくれてやろう」
「……名前だけで充分だ。俺にゃあ重いよ」
強引に剣をエドヴァルドに押しつけると、元少年はため息をついて肩を落としながら広間を出ていった。




