鬼ジジイでも孫にゃあ甘くなるのか
「あーりゃまあ、獣人嫌いのデル・エンシーナの行き遅れおばちゃんか……。旦那ぁ、面倒事にゃあ関わりたくはないってもんでしょう? さっさと金だけ置いて行きましょ――旦那?」
灰皿に吸殻を押しつけて火を消すなり、エドヴァルドが立ち上がっていた。
だが荷物は手にせず、立てかけていた剣を片手に喚き散らしている方へ歩いて行ってしまう。
「獣人なんかが作っていたなんて考えられませんわ! どう責任を取るおつもりなのかしら? わたくしがサロンで少し口添えをすればこんな店なんてどうにもしてしまえるのよ?」
「お客様、そう言われましても……」
「責任を取るつもりはないというの? しょせんは亜人ばかり集まっている蛮人の国の店ということね!」
言いたい放題のおばちゃんが、この国で誰より強いジジイにようやく気づく。
とは言え、今は権威の象徴でもあった団長閣下専用の鎧もつけちゃいないから強面ジジイが出てきた程度にしか思えないだろう。
しっかし、エドヴァルドも何をするつもりだか。
騎士団長の任を解かれて、全ての財産を整理しちまって、身一つ、剣一本、それに全財産から比べりゃあちっぽけな路銀程度しか持っていないてえのに。
「何かしら、あなたは?」
「旅の者だ」
「薄汚い旅人風情がわたくしに何の用かと尋ねているのよ?」
そりゃあないだろう、おばちゃんよ。
相手は家督こそ譲っちまったがブレイズフォード侯爵家の先代だぞ。デル・エンシーナなんて豪農上がりの男爵だろうに。一睨みで爵位剥奪にもできちまうおっそろしい男だとは――ま、分かるはずないか、末端貴族のあのおばちゃんに。
「食後の余韻を台無しにされたのだ、こちらは。どう責任を取る?」
「あなたのような下民如きが、このわたくしに文句をつけようと言うの? 何て厚かましい!」
厚かましいのはどっちよ、おばちゃんや。
「やってしまいなさい!」
おおっと、しかも剣まで抜かせちゃって。
従者は4人か。どうせ騎士団に入るのをためらった弱小貴族の長男以下や落ちこぼれくん達だろうに、無謀なことをさせるもんだ。
エドヴァルドは従者4人に剣を向けられていながら、落ち着き払っている。当然と言えば当然でもある。何せエドヴァルドだ。あの程度の剣士に遅れを取るはずもなければ、素手で全員のしてしまうこともできるだろう。
「お、お客様……」
「下がっていろ」
心配した支配人の嬢ちゃんを静かな声で制すると、従者どもが斬りかかった。相手の懐へ踏み込んで入り、振り下ろされる前に剣を持つ手を押さえる。そのまま軽い足払いをするとぐるんと真横に回転しながら床に転がった。ひとり脱落。テーブルがそれで同時にひっくり返って食器の割れる派手な音が響く。横から斬りかかられるが、後ろに一歩だけ退くなり腕と胸ぐらを掴んでさらに投げ飛ばしてしまう。
同年代とは思えないね、ほんと。
さすがは元騎士団長って感じで、危うげの欠片もなく、剣も魔法も使わずに従者を全てあっという間にのしてしまった。
「っ……わ、わたくしに、こんな仕打ちをしてタダで済むと――」
「フランソワ・デル・エンシーナ。エンセーラム王国はディオニスメリアと正式に国交を結んだ友好国だ。それを蛮人の国呼ばわりするのであれば、それはディオニスメリア王家さえも同類の蛮人と呼ぶことと同義である。国家反逆罪にかけられたくなければ大人しく屋敷へ帰って見合い先でも探すのだな。記念すべき20回目の見合い相手を」
そこでようやく、おばちゃんが相手に気づいたらしい。
抜かなかった剣をエドヴァルドが持ち上げ、その鞘に彫り込まれている紋章を見せつける。由緒正しきブレイズフォードの紋章だ。
「あ……え……? あな、あなた様……は……?」
「もっとも5歳の幼子に失禁させられた事実をどこまで隠し通せるかは分からぬが」
「ひっ……あ、あああ……」
「……弁償代と食事代だ。取っておけ」
腰に剣を佩いて、エドヴァルドが支配人の嬢ちゃんに多めの金を渡す。
痺れちゃうほどかっこいいことをしちゃうねえ、あのジジイ。そのかっこいい去り際のためにも、ちゃんとエドヴァルドの手荷物も持って行ってやりましょうか。
ジェニスーザ・ポートからエンセーラムへの直行便はなく、ダイアンシア・ポートを経由することになる。金ならたんまりあるんだから一等船室にすればいいものを、エドヴァルドは二等船室のチケットしか取らなかった。ま、路銀は全てエドヴァルド持ちだから文句は言わないが、何を考えているのやら分からなくなる。
「旦那よぅ、ほんとのとこは何しに行くんですかい、エンセーラムに」
「…………」
甲板で煙草を吸いながら尋ねてみたが、何もエドヴァルドは言わない。
折角の船旅だってえのに、無口でつまらない男だ。
が、まあ、それで推測できることもある。
寡黙な男だが目的はしっかりさせるし、それを遂行するために言い聞かせるということはよくする。その上で俺に黙ってるってんなら、口にできねえことを腹の底で考えてるに決まってる。
こいつが口をつぐむようなエンセーラムの用事と言えば――思い当たるのは、エンセーラムの王だろう。
わざわざ、それに俺を同行させるのが引っかかるところではあるが、そう見てほとんど間違いはないはずだ。
ダイアンシア・ポートに到着するなり、すぐにエンセーラム行きの船へ乗り換えた。久しぶりの陸地で羽根を伸ばしたかったところだが、煙草を買い込む程度の時間しかなかった。すでに暑い気候へ入っていて、甲板にいちゃあ干上がるばかりだから船室に引っ込んだ。
マレドミナ商会が管理しているダイアンシア・エンセーラム便は船内でも色々と売っていて、その中に清酒を見つけた。冷やして飲んでもいいし、暖かくして飲んでもいいとそこで聞いたので、冷たくしたのを飲みながら到着を待った。
エドヴァルドは一日中、黙して椅子に座っていた。たまに外の風を浴びに甲板へ出てはしばらくして戻ってくる。その繰り返しで退屈そのものに見えたが、いつもとは違ってそわそわしているようにも俺には見えた。
これから俺にハッキリ言えないことをする心の準備――いや、そんなもんを必要とするような男でもないか。つきあいはそれなりに長いが、今回ばかりは手に負えやしない。
午前中の早い時間に船はエンセーラムへ到着した。
トト島玄関港というらしいところは思っていたよりは発展していた。まだまだディオニスメリアの都に比べればせせこましいが、人間族も獣人族も魔人族も分け隔てなくともに仕事をして活気に包まれている。
「観光客用の宿があるってことだし、まずはそこへ行きましょうかい、旦那?」
「必要ない」
「またまた、んじゃあすぐに船で引き返すとでも言うんですかい?」
「ミシェーラのところへ行けば済む」
「……もしかして、ほんとに孫の顔見に来ただけですかい?」
「行くぞ」
「場所をご存知で?」
マントを翻して歩き出した背中に問いかけると、足が止まった。
さすがにエドヴァルドでもこんなとこでまでいつものようには行かないか。それに迎えがないってえことはあらかじめ知らせてもいないんだろう。
「んじゃ、ちいと場所を尋ねてきますんで旦那は迷子にならんで待っててくださいよ」
「道草を食うなよ」
「へいへいーっと」
エドヴァルドの愛娘――ミシェーラの家がどこにあるかはすぐ分かった。
各島を行き来する小さな舟の漕ぎ手も、詳しい場所を言わずとも心得ていたらしい。こんなことなら尋ねるまでもなかったもんだと思いつつ、トウキビ島なるところの南へ着いた。
「この道をまっすぐ進んでくと林がありますんで、その中にある立派なお屋敷ですよ」
「あいあい、どーもね。これはお金払うもんなのかい?」
「いや、この舟はどんだけ乗ってもタダさ。金ならちゃんと国からもらってるからね」
「そりゃあいいや。んじゃ旦那、行きましょうかい。ご苦労さん」
水夫に言われた通り、示された小道を歩いていくと林が見えてきた。そこをさらに進んでいくと屋敷が構えていた。そう広くはない。ラーゴアルダの貴族街には持っていけそうにない木の屋敷だ。だが、クラシアの屋敷とそう変わらなさそうなものだった。
「旦那、俺はどっかへ行ってた方がいいですかい?」
「行く当てがあるのか?」
「んなもんありゃしませんよ」
「ならばいろ」
「……あいあい」
屋敷に使用人はいないようだ。
戸を叩いても何の反応もなかったが、屋敷の裏の方から赤ん坊の泣き声がした。屋敷を回り込んで行くと広い裏庭があり、花壇も備えられていた。その庭に面したテラスにはミシェーラと、彼女の抱く茶髪の赤ん坊がいた。
一瞬、ミシェーラをトリシャと見間違えた。
母と娘と、ここまでよくも似たものだと思う。だがトリシャほど体が弱そうではなかった。血色は良く、健康そのものに見える。だがそれ以上に、父親に似なくて良かっただろうと思わせられた。
「ミシェーラ」
「っ……お、お父様?」
エドヴァルドが呼びかけると、赤ん坊をあやしていたミシェーラが驚いた顔を向けた。
「お父様……えっ? 何でここに……」
「騎士団団長の任を終えたので暇ができた」
しばらくミシェーラは目をぱちぱちとまばたきしていたが、破顔して赤ん坊を抱いたままエドヴァルドに小走りで駆け寄った。
「お父様、見て。クラウスって言うの」
「クラウス、か」
「かわいいでしょ? 男の子なんだよ。抱いてあげて」
「……ああ」
おうおう、あの団長閣下が――ああいや、元閣下が戸惑ってらあ。
赤ん坊も元気そうだし、心なしかエドヴァルドも口元が緩んでそうだし、鬼ジジイでも孫にゃあ甘くなるってえ俗説はやっぱり本当なのかね。




