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ノーリグレット! 〜 after that 〜  作者: 田中一義
 5 エドヴァルドとヴィクトル
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最後の命令

 騎士団本部の隠された地下室。

 かつては公にできぬ者を収容しておくために利用されていた部屋を、今はヴィクトル・デューイが寝泊まりのために使っている。ここへ訪れたのは数十年ぶりのことであった。


「やあ、閣下。ぼちぼち来てくれるころかと思って、しばらーく待たされましたよ」

「そうか」


 そこに足を踏み入れるとカビ臭い廊下から一変し、酒と煙草の臭いが鼻についた。

 ヴィクトル・デューイは寝台の上で片膝を立てて座っており、酒の入った杯をグビと煽った。それから煙草に火を点け、一筋の煙を口から吐き出していく。それは上にのぼるとほつれて霧散し、消えていく。



「元閣下――って仰った方がいいのかねえ?

 後釜にゃあ不安がありますが……まあ、末端の汚れ仕事だけをしてきた身で、上のことをとやかくは言えませんか」


 寝台に寄せられている小さな卓にあった空の杯にヴィクトルが酒を注ぎ入れた。それをわたしの方へ差し出す。


「お互い、おもーい役目が無事に終わったことを祝して乾杯としましょうや」

「毒でも盛ってはいまいな?」

「ははっ、いくら憎い相手を前にしようがお酒ちゃんに、んな失礼なこたぁしやせんよ」


 杯を手に取ると、加え煙草でヴィクトルが自分の杯を掲げた。それに合わせて軽く杯を持ち上げて見せて口に含む。庶民が口にするような三流の安酒だった。



「お役御免ってえことで良かったですね、元閣下」

「ああ、好きにするといい」

「……ま、そう言われたって何もする気が起きやしませんが」


 酒を飲み干し、卓上に出ていたシガレットケースから1本だけ煙草を手にした。それに火を点けて煙を吸い込む。


「元閣下はこれからどうするつもりで? 優雅なご隠居生活ですかい? 王都の屋敷を処分する手筈は整えたそうですが、別の屋敷は手配されたんですかい?」

「耳が早いな」

「これでもあんたの手足として、目や耳として動いてきたんでね」

「それならば分かっているだろう?」

「そいつが分かりゃあ尋ねていやしませんな。どう嗅ぎ回っても、これから元閣下がどうされるのか、検討がつきやしない。別に屋敷を用意したでもなく、どころか所有してるはずの屋敷も全部手放して、かと言ってプライドの高いあんたが今さらカノヴァスの屋敷や、坊ちゃんのところへ転がり込むってえのもありえない。

 ねえ、旦那。これから一体、どうなさるんですかい? 屋敷も使用人も、仕事も、家のことにも、全て整理しちまっておいて……そのどれもに、これからあんたが収まるような場所が見当たらないってのは、ちいとばかり気がかりなんだが」


 灰がぽとりと床に落ちた。

 煙を飲み込み、ゆっくりと吐き出していく。


「ヴィクトル、最後の命令だ」

「おやま、俺はてっきり解任されたもんだとばかり思ってたんですがね」

「わたしとともに来い」

「いつまでですかい?」

「1年もかからん。それさえ済めば、もう全てを終わりにしていい」


 床に吸殻を捨てて踏みつぶす。

 ため息をついてから杯の酒を飲み干し、ヴィクトルが腰を上げた。


「言っときますが、もうアンシュちゃんも俺ぁ手放しちまってるんでね、大したことができるとは思わねえでくださいよ」

「構わん」

「行き先はどこですかい?」

「エンセーラム王国だ」

「…………孫の顔でも拝みに行くんですかい? そんなのに俺を連れてく?」

「黙ってついてこい」



 騎士団本部を出て、徒歩でラーゴアルダを後にした。

 道すがらヴィクトルは腰が痛い、足が痛いとよく愚痴をこぼした。

 夜になれば酒を飲み、煙草を吸ってから横になった。長らく馬車でしか、この国の風景を見てはいなかった。年齢のせいか重さを感じていた鎧を脱ぎ捨て、軽い旅装で歩けば忘れかけていたものをいくつも目にできた。


 最後の清算がまだ、わたしには残っている。




 ディオニスメリア外洋の港町ジェニスーザ・ポートは活気づいていた。

 国内外の船が多く集まり、ここばかりは人間族以外の者も他の土地に比べて多く見られる。


「旦那、あの店は知っていますかい?」


 船着き場へ歩き出してすぐ、ヴィクトルが一軒の店を指差した。


「マレドミナ商会の食堂か。ウドンとかいうものを出している店だったな」

「その横ですよ、横」

「横……?」


 大きく看板を掲げているウドンという店の横へ目を向ける。

 マレドミナ商会のマークが入った、別の食堂があった。こちらの方が店構えは大きく、外観も高級なものに見受けられる。ドレスに身を包んだ貴婦人が従者を数人連れて店へ入っていくのも見えた。



「あれはね、最近になってマレドミナ商会が始めた新しい食堂だそうですよ。手広すぎるマレドミナ商会のルートを通じてあちこちから運ばれてきた食材で、色んなとこの料理が食えるってんで貴族人気が高まってるんだそうで。いい加減、携行食ばっかじゃあ舌が飽きちまうでしょう。うまいもんでも旦那の奢りで食いましょうや」


 ヴィクトルがふらふらと店へ吸い込まれるように入っていき、仕方なくそれに続いた。

 揃えられているメニューは多かったが、字面で見たところで分からないので適当に持ってこさせるように命じた。


「へっへへ、これこれ、清酒っつうらしいんですがね、こいつがうめえって聞いてたんだ。旦那も飲みますかい。米の酒らしいんですがね、この澄み切ってるのがお高いしうまいってもんらしいですぜ」


 食事の前に運ばれてきた酒を嬉しそうにヴィクトルが小さな杯に注ぎ入れる。


「小さな器だな」

「これをちびちび飲んでくのがいいんだそうで。旦那も一杯と言わず、いっぱいやりましょうや」


 ヴィクトルに出されたものを鼻に近づける。やや甘味のある、ほのかな香り。口に含み、容れ物の半分ほどを口の中へ流し入れると香りと裏腹にクセのない水のような飲み心地がした。口当たりは絹を思わせるもので、飲み慣れている葡萄酒とは違って渋みが感じられない。


「どうですかい?」

「……酒のようには思いがたいが、確かに酒だ」

「老い先短いんだから素直に何でもありがたがりゃあいいもんを」


 ヴィクトルは気に入っているようで、小さな杯に何度も酒を注ぎ入れては飲み干していった。

 しばらくすると料理が運ばれてくる。前菜は奇妙な四角い物体だった。煮こごりのようなものとも違うが柔らかく、匙で削り取って口に運ぶとすぐに口の中で崩れた。甘味はあるがほんの少しで味気がない。


「こいつはトーフって言うそうで」

「トーフ?」

「そそ、ここにショウガを擦り下ろしたこいつをちょいと乗せて、でもってショーユをちょんちょんちょん……と。んでもって食べるんでさ」

「詳しいな」

「そりゃもう、元閣下の目となり耳となり……」


 ヴィクトルがしたように添えられていたショウガをトーフなるものの上へ置き、その上から黒ずんだ液体調味料をかける。それをまた匙ですくって口に入れた。


 塩辛いのはショーユというものか。それがトーフに塩気の強い味をくわえ、絶妙な塩梅になる。さらに擦り下ろしたショーガが少しだけ口に辛くもサッパリした味わいをもたらす。トーフ単体では味気なく物足りないのみであるのに、ショーユとショーガが組合わさることで口の中にえも言えぬ満足感を醸し出す。それからまた清酒を口に含むと、それまで感じていなかった清酒の甘味というのが引き立つように感じられた。


「どうですかい、旦那?」

「悪くはない」

「こいつはエンセーラム産のダイズってえ豆からできたもんだそうで、絞って固めて……そんでこうなっちまうんだとかって」

「……そうか」


 それから何品かまた料理が運ばれてきて、気づけば清酒をさらに追加していた。

 食後にはヴェッカースタームから運ばれてきたという果物が出された。甘味と酸味のそなえた、色こそキツい紫色をした丸い果物はとてもディオニスメリアでは味わえないものだった。



「お食事にご満足いただけたでしょうか?」


 支配人らしい若い女が出てきたのは果物を食べ終わり、煙草をふかしていた時だった。まだ20歳にも満たないであろう、若すぎる女だがひとりだけ服装はよく仕立てられている。


「ええ、そりゃもう、堅物の旦那が文句をひとつも言わずに全部食っちまったんだから上等ってもんで。ねえ、旦那?」


 調子の良いことをヴィクトルが言うと、女はにこりとほほえむ。


「お客様がお料理に詳しいので興味を持ちまして。ジェニスーザ・ポートには何をしにいらしたんです?」

「いやね、これからエンセーラムに行くとこなのよ。この旦那が孫の顔見たさに」

「そうでしたか。エンセーラムには当店以上にメニューの揃えられた本店がありますから、よろしければ足を運んでください。こちらをお見せいただければ少しだけサービスをさせていただきますから」

「おっ、ほんとに? 旦那、寄っといて良かったでしょう?」


 渡された紙っぺらをひらひら振りながらヴィクトルがしたり顔をする。



「――け、穢らわしいっ! この店は薄汚い獣人なんかに料理を作らせているというのっ!? 信じられないわ!」


 ヒステリックな叫びが聞こえ、支配人の女がハッとして振り返った。奥の卓で先ほど入店したのを見た女がわめき立てている。


「わたくしを誰だと思っているの、フランソワ・デル・エンシーナよっ!?」

「申し訳ありません、お客様っ」


 女がこちらに一礼してから、血相を変えて騒ぎ立てている方へ歩いていった。



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― 新着の感想 ―
[一言] もうかなりいい歳してしてるだろうに何も変わってないの逆にすごいな
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