エンセーラムの言い習わし
カウリオドゥースで開催された闘技会から、突如として人が消えるという事件が起きた。
ほどなくして行方を暗ませた人々は竜の上顎にある、コスタクルタの使われていない城塞で発見される。
これを計画したのは、カウリオドゥースへの積極的な侵攻を掲げる積極派の軍内シンパだ。首謀者はブライヤーズ将軍。幸いなことにさらわれた人々に大きなケガもなく、闘技会の観覧に来ていたカウリオドゥース諸貴族も無事だったが、それでめでたしというわけにもいかない。
首謀者ブライヤーズと、加担した積極派の軍人達は軽くない罰を受けることとなる。
そして、この大規模な誘拐事件の要となった転移の魔法を発動させるための工作をしたとして、僕の率いる中隊にも責任があるとされた。監督不行届きとして、僕も同様に罰を与えられるのは明白だった。この事件で積極派が多く処断されることになるが、全てではない。それを免れた積極派の者が、友好派にも罪をなすりつけようとして僕への責任を問うたのだ。
呼び出されたのは、牢獄に併設されている法廷。
天井の高い、薄暗い部屋に引き立てられて中に入り、事実確認を求められる。それが済んでから、審議の間はまた待たされる。誰もいない、小さな部屋。
結局、コスタクルタとカウリオドゥースの友好的関係を築くというのは叶いようのない絵空事なのだろうか。
父は――コスタクルタの将軍にまで登り詰めた父は、かつて海戦の最中に乗っていた船を沈められ、小舟で漂流したことがあったという。広い海を何日も漂い続け、死を覚悟した時に一隻の商船に救われた。それは当時、今よりもずっと両国の関係が難しかったころのカウリオドゥースのものだった。
しかし、父がコスタクルタの軍人と知りながら父を介抱してくれ、無事に帰ることができた。国同士がいがみ合うことはあっても、人同士のつきあいがあれば分かり合うことはできる。その繋がりを大きくしていけば、きっといつかは国同士でも友好な関係を築き上げることができるのだと、幼いころから何度も説かれた。
その父ももう死んでしまったが、それを予見していたかのように父は出兵の前にカウリオドゥース貴族の令嬢を僕の婚約者にと手を回してくれていた。義務感から最初は彼女との関係を良いものにしようともしたが――ラウラと初めて会った時、いっぺんに彼女を好きになってしまった。もう少し、軍内での立場をしっかりさせてから彼女を迎え入れようと思っていたのに、もう婚約解消をされても仕方がないだろう。
明日の我が身さえ、今となっては分からないのだ。
良くて辺境への左遷、最悪、極刑もありえるだろう。
「リカルド・カランカ、出ろ」
「……はい」
重い鉄の扉が開けられた。
法廷までの長い道を歩いていく。
腐ったらいけない。反抗的な部下であったから、などという言い訳は通用しない。僕がきちんと目を光らせておければ、あんなことも起きなかった。何を言い渡されても、受け入れて前を見るしかない。それでも極刑を言い渡されたらと想像すると足がすくんだが、もう祈るしかない。
「リカルド・カランカよ、判決を言い渡す」
「はい」
法廷の中央に立たされる。正面を向いて顔を高く上げれば裁判長。彼を中心にした5人が審議し、すでに僕の今後を決めているのだろう。
「汝にコスタクルタ北方軍への異動を命じる」
「……はい」
軽く済んだが、北方と言えば国境線を巡った小競り合いが瀕発している地域だ。
「ただし」
「っ……?」
「さる御仁より、汝を不起訴にするようにとの嘆願を受け、異動命令は撤回する」
「嘆願……撤回……?」
「これにて閉廷」
裁判長が木槌を叩くと、静かに人が退室していった。
そばに官吏が来て手枷の鍵を外し、出口の方を顎でしゃくった。手首をさすりながら出ていく。
これはどういうことだろうか。
一体、誰が僕を不起訴にしろと働きかけた。
外へ出るとすっかり日は暮れようとしていた。
西日が赤く周囲を染め上げている。出口には僕を待ち受けるかのように人が立っていた。
「……ラウラ。それにディーと、皆さんも……」
ラウラと、ラウラの連れているカウリオドゥースの人が2人。それにディーとクラウス、ラルフ。
「リカルド様」
「っ……」
こほん、と小さく咳払いをしてからラウラが口を開いた。
思わず背が伸び、ついでに尻尾もピンと伸びた。
「この度は災難でしたわね。直接、加害者に回ったわけでもないのにとばっちりを受けてしまわれるなんて」
「ラウラが、もしかして……」
「ええ、その通りですわ」
「だが僕は……責任がまったくないとも言えない。キミまで巻き込んで怖い思いをさせたはずだ。僕はあんな卑劣なことをするコスタクルタの、軍人だ。幻滅したはずだ」
「何を仰りますか、女々しい!」
ピシャリと言われて身がすくんだ。
ツカツカとヒールを鳴らして歩み寄ってきて、ラウラがまなじりを釣り上げる。
「それでもあなたは軍人でございますか? あなたは何をもって誇りとしているのです、仰りなさい! さあ、早く!」
「あ、ああ……」
「何を世迷い言を仰られているのです、リカルド様。
わたくしは政略結婚の道具として、あなたとの婚約に同意したのではありませんのよ、お忘れになって?」
「……国同士でいがみ合わなくても良くなる未来のために」
「覚えていらっしゃるではありませんの」
ようやくラウラが澄まし顔でほほえむ。
ずっと胸の中にこわばっていたものがゆっくりほぐれていくのを感じる。
「ありがとう、ラウラ……」
「あら、わたくしだけにお礼を言うのは筋違いでしてよ。あの方達からもお口添えをしていただけなかったら、こうもすんなりとはいきませんでしたの」
そう言いながらラウラがディー達に向き直った。
「まあ……帰ったらちょっと怒られそうなんだけどね、よそ者が口を挟んじゃってどうするつもりだとか何とか」
「本当に、キミは王子……だったのか」
「あんまりそれっぽいことはしてないんだけどね」
「ありがとう……。だけど、ただ知り合っただけの僕のために、そこまでしてくれるなんて」
「ちっちっち」
指を左右に振りながらディーが下を3度打ち鳴らす。
「何だ?」
「エンセーラムでは昔からこう言います」
「昔って言っても20年未満だがな」
「クラウスくん、静かに。ごほんっ、昔からこう言うんです。他人の色恋ほど面白いものはない、と」
「は?」
「い、色恋……ですの……?」
「その昔、エンセーラムにはうじうじうじうじうじうじ……と、好きな人がいるのに好きって言えずに、初恋の人の結婚式に招待されていながら行かずに、そのことをいつまでもうじうじうじうじうじうじ……と、している人がいました」
「はあ……?」
「だからね、他人の恋路はうっとうしがられても、後押ししまくりましょうっていうことなんだよ」
うんうん、とひとり頷いているディーの傍らでクラウスとラルフが苦い表情で顔を見合わせている。何か思うところがあるのかも知れないが、ディーは気づいていない。
「そ、そんな、理由で……?」
「そんなとは失礼な」
「ああ、すまない……」
「でもさ、そういうの抜きにしたって友達を助けたいって思うのは普通でしょ?」
「ディー……」
少しはにかんだように笑ってディーが片手を差し出した。
その手を握り返す。ラウラとそう変わらない背丈の小さな手は、しかし、思った通りに力強くもあった。
「感謝する」
「うん。……ところで」
「ん?」
「その尻尾さ、ちょっとだけ、興味本位なんだけど触りたいなあー……なんて思うんだけど」
「ディー、発情するな」
「発情じゃないっ、興味本位と癒しを求めた原始的欲求だよ! ちょっとだけ、ちょびっとでいいから、ふわって握らせてもらう程度でいいんだっ、だからさ、リカルドっ! ね、ねっ!?」
「やめろ、ディー、みっともない!」
「そうだぞ、ヘンタイが!」
「やぁだよぉー、この尻尾をもふらなきゃ帰って怒られ損なんだからぁーっ!」
「ラルフ、ひっ捕えてもう連れ帰るぞ!」
「指図するんじゃねえっ!」
「待って待って、本当にちょびっとでいいのっ、ちょっとだけ――また、また来るから今度はっ、今度はもふらしてぇえええええ――――――――――――っ!!」
必死になって叫びつつも、ディーはクラウスとラルフに引きずられていく。
「あの王子で……彼の国の将来は大丈夫なのかしら?」
「きっと大丈夫だと思う」
「あら、根拠がおありなのですか?」
「ラウラは見ただろう、あの、破格の強さを。
しかも心根がやさしくて、周囲の人にああも愛されている」
「王子に対してあの態度というのは、愛されているのではなくて舐められているので言うのではなくて?」
小さくなっていくディーが両手を大きく振った。
それに手を振り返している間に太陽は西の大地へ沈んでいった。