行動開始
転移の魔法。
瞬時に遠く離れた場所へ移動をすることのできる、禁忌とされている魔法だ。
エンセーラム魔導学院に籍を置いているひとりとして、これについてはかじる程度だが調べてみようとしたことがある。だが、分かったのは、よく分からないということのみだった。どうやらエルフが関係ありそうだとは掴んだが、エルフの里というのはエルフ以外にその場所さえも知られていない秘境だし調べようがなかった。
ただ、転移の魔法は実在していると聞いたことはある。
それを使っていた女エルフがかつていたのだとも。だから、転移の魔法と思しきものでどこかへ飛ばされても他の人ほど驚きはしなかった。それより、実際に転移の魔法を利用していることに驚かされる。あらかじめ会場に魔法紋を仕掛けておいたとかで発動させたんだろうか。こんなものが普及して誰でも簡単に使えるようになったら人攫いがはかどりそうだ。――現に今は闘技会出場者や、来賓といった人を一度にさらってきてしまったのだから。
「どうする、フィリア?」
「全員ぶっ飛ばすか」
「ステイ、ラルフ。今は状況が悪い」
転移させられてきたのはわたし達を含めて20人ほど。カウリオドゥースのお偉方と思しき人が6人、あとはわたし達と同じく巻き込まれるように転移されてきた出場者。対して周囲を取り囲んで監視している敵は30人はいるだろう。ここは十中八九、敵の陣地内。と、なれば敵の総数はまだまだこんなものではない。
ついでに押し込められている床の上には魔法紋。ガシュフォースだ。この中にいる限り、魔法も魔技も使えない。この状況から強攻突破で脱出をはかるのは難しい。単身、あるいはクラウスとラルフを連れて3人でならば可能ではあるだろうが、とても戦えそうにないカウリオドゥースのお偉方を見捨てていくのはできない。
「じゃあどうするんだ? ここで閉じ込められたままでいいのか?」
「落ち着け、ラルフ」
「落ち着けるか」
「よしよし、ラルフはかわいいから大丈夫」
「撫でるなっ」
「まあまあ」
嫌がられたが気にせず、ラルフの頭を撫でておく。
耳の付け根のところを軽く指でこするようにして頭を撫でるとラルフは言葉とは裏腹に大人しくなってリラックスし始める。小さく尻尾が振られているのも素晴らしい。
「でもフィリア、このままじゃ身動きが取れないまま時間だけ過ぎていくぞ」
「このままなら、そうなる」
クラウスもさり気なくラルフを撫でている。そっとわたしはラルフの尻尾へ手を伸ばす。振れると一瞬だけラルフはビクッとしたが、何か文句を言いたそうな目を向けてくるのみだったから、そのまま尻尾をさわさわする。
「ディーが騒動に気づけばいずれ来るはずだから、それまでは大人しくしておいて問題ないと考えている」
「でもいつになるか……」
「のんびり待てばいい。きっとくる」
「……根拠は?」
「ラルフがここにいる」
「あん?」
「納得した」
「おいっ」
それは冗談にしてもディーは来るだろう。
何だかんだであの子はお人好しだからこういうことを放置はできないだろうし、わたし達まで一緒に姿を消してしまったと知れば後先を考えずに動き出すはずだ。経過時間を考えれば、もうすぐにでも――と考えを巡らせていた時にどこからか衝撃が響いてざわついた。
「何だっ?」
「見てこい!」
早速、見張りが少し減ってくれる。
さすが子分A。ちゃんと分かってくれている。とにかく敵の注意を惹きつけて突入してくれれば、こちらも行動を起こして出口までの道で敵兵を挟撃していける。敵を撃破すればあとは出て行くだけで済むというものだ。
「クラウス、ラルフ」
「ああ」
「動けるよ」
「クラウスはあっちにまとまってる要人の護衛を。ラルフはここから飛び出して敵を攪乱。わたしは各個撃破をしていく」
「任せろ」
「了解」
「じゃあ、そういうことで――行動開始っ」
ラルフの尻尾から手を放すと、彼が牙を剥き出しながら一気に飛び出した。ガシュフォースは魔力を拡散させることで一切の魔法を封じるというもの。身動きを封じるようなものではないから、敵はちゃんと武器を持って囲い込むことでその対処に備えていた。だがラルフは、この程度どうということもなく突破できる。
「ガアアアアアアアアッ!」
駆け出したラルフに槍が向けられたが、それを飛び越えて素早く背後を取るなり背中を蹴りつける。思いきり蹴り飛ばされてファシュフォースの魔法紋に飛び込んできた兵士は起き上がる前に、他の闘技会参加者に捕まえられてタコ殴りにされる。ほつれた包囲網から血気盛んな腕自慢達が流れ込み、たちまちフロア内で乱戦が繰り広げられる。
闘技会本戦にまで進んだ腕自慢の加勢もあって、コスタクルタ兵――と思しき人々――は次々と倒れ、あるいは逃げ出していく。わたしが戦うまでもなかったと思って周囲を見渡して状況を確認する。
ラルフは絶好調だ。
わたし達の中じゃ、もっとも好戦的ですぐに飛び出していく。
金狼族の恵まれた身体能力を存分に活かして、全力で長時間を動き続けられる無類のタフネスを持っている。ユーリエ学校を出てから2年ほど金狼族の集落で戦士の務めというものの修行もしてきたらしいけれど、それを経てからはさらに研ぎ済まれた動きを見せるようにもなった。嗅覚と聴覚をフル活用することで危機察知能力にもすぐれて、よほどでなければ不意打ちを受けることもない。魔鎧にさえ対抗しうるフィジカルは脅威としか言いようがないほどでもある。
長く伸びている襟足の金髪が尾を引くように閃く度、敵が倒れていく。
まだ腰の剣を抜いてもおらず、素手だけで混戦の中を駆け巡りながら的確に敵のみを徒手空拳で薙ぎ倒している。しかも鋭い牙を剥き出しに見せるような満面の笑みだ。
それからクラウスを探して視線を向ける。
根が真面目で躾のよく行き届いたクラウスは、ちょっとの悪戯にも昔から不安になりすぎて勝手に泣き出すような子だった。だが今はわたしやディーのやることに呆れながらもついてきては、あれこれ気を揉みながらちゃんと役に立ってるくれている。
元ディオニスメリアの騎士という経歴を持つクラウスの父に仕込まれた戦い方は華麗にして剛胆なものだ。サンクトゥスロサという真紅の長剣を振るい、近づいてくる敵を魔法で蹴散らしてカウリオドゥースの高官や、その家族らしい少女を守っている。
問題はないだろうと思っていた時、外野から敵の魔法士がクラウスにアクアスフィアを放った。水球にクラウスが閉じ込められたのと同時、敵兵が一気に迫っていく。すぐにアクアスフィアを破ったが、クラウスが反撃に転じるより早く12、3歳ほどの少女が手首を掴まれて引きずられていく。
「ラルフっ!」
「ああっ!?」
呼びかけて出口を指差す。
混乱に乗じて少女を連れて逃げ出そうとしている兵を示すと、すぐに意図を察してラルフが駆け出した。だが、その前へバリケードを張るように他の兵が立ちはだかる。1人や2人ならともかく、足止めする目的を持って5人もたちはだかられればラルフでもすぐに突破をすることはできなかった。
「人質……には、なるのか」
劣勢と見て、何かしらの交渉材料に使うためにひとりだけでも奪取していった――というところか。
「クラウス」
「すまん、フィリア」
「大丈夫、ここはもう大丈夫だろうから、彼らを連れて外への脱出を。ラルフを連れて、さらわれた子を取り返してくる」
カウリオドゥースの高官と思しき人のひとりが一歩前に出てきた。
「娘を……娘を助けてください。礼ならいくらでもっ……!」
「……別に礼が欲しくてやることではない。あの子の名前は?」
「ラウラと言います」
「ラウラ?」
どこかで聞いた。
そう言えば、確かリカルドの許嫁もそんな名前――というか、本人と見て問題ないのか。
「分かった。ラルフ」
「おう」
「匂いで辿れる?」
「どんな匂いか知らない」
「何か、彼女の匂いが分かるものがあれば貸してもらいたい」
家族のハンカチならば同じ匂いがするだろうということで借り受け、クラウスに彼らを頼んでラルフとともにフロアを出ていった。どうやら城塞の内部らしい。それも地下だ。血気盛んに闘技会の出場者が飛び出していっていて混乱が広がっている。
「ラルフ、分かる?」
「ハッ、俺を何だと思ってる。こっちだ!」
「さすが」
鼻を鳴らしながら一目散に走り出すラルフについていく。
ディーはちゃんとやれているだろうか。できるだけ派手に暴れて人を惹きつけてくれれば助かるが――いかんせん、不安なのはそういうことをあまり考えないで行動するような子だということのみだ。