希望と導の神
「希望と導の神、灯火神イグニアスの導きに従い、恥ずかしながら再び、あなたの下に仕えさせていただきたいと考えております」
俺の足元に額突いてシオンはかしこまりながら言った。
ナターシャを倒し、エンセーラムに帰ってきてすぐのこと。小娘が意気揚々とキメラを倒したと報告をしてから、すぐのことだった。何でシオンが俺達を待っていた輪の中にいるのかと、気にしていたが、そういうことだったらしい。
「お前の気持ちを逆撫でするつもりはねえけど、お前のご主人様は……俺が殺したんだ。それでもいいのか?」
「……はい。ナターシャ様をお慕いする気持ちは、まだ、胸の中にあります。ですが、そうなるだろうとは分かっていました。あの方に最期まで従い続けることが本望だと思っていましたが、同じだけ、この国で、レオンハルト様や、他の皆様に良くしていただいたことへの恩義も感じています。主を安易に鞍替えする、卑劣な輩と罵っていただいてもかまいません。自分があなたにまた仕えることを許していただけないのならば、どこへなりとも立ち去ります」
シオンから目を上げて周囲を見ると、マルタがもじもじしながら見守っている。小娘が何やら口を挟みたそうにむずむずした顔をしている。
「……シオン」
「はっ」
「頼むから……もう、お前が敵になるなんて勘弁してくれよ。そんだけ約束してくれりゃあいいさ。頼む」
「……ありがとう、ございます」
「顔上げろって。あんまかしこまるなよ」
「いえ……今は、こうしていたいのです。お許しください」
「あっそ」
マティアスだけは、寝首をかこうとしているかも知れないと俺に言ってきたが、あえての意見だろうと思って受け止めておいた。シオンに酷い目に遭わされたリュカやロビンがどう思うかという不安はあったが、リュカは肩から力を抜いてほっと胸を撫で下ろし、ロビンもやっぱりやさしいやつで改心したなら問題はないというようなことを言ってくれた。
翌日からは、シオンは前のように四六時中、俺の傍で何かとやってくれるようになった。それがややうっとうしくもあり、何だかしっくりきた。茶でもおやつでも、言いつければすぐに用意してくれるのだ。便利なことである。
ナターシャを倒しても、いくつかの残された課題はあった。
ナターシャによって記憶の大部分を奪われたリアンが、宰相として政治をしてくれるのができず、束の間でも代役が必要だということ。
ずっと泳がしていたテレスが、俺らが不在の間にシオンを封印から解き放とうと暗躍していて、その処遇をどうするかということ。
不死者になってしまったリュカが元に戻れるのか、ということ。
大きなところではこの3点だった。
だが、ひとつめの大問題。リアンの後釜問題は、意外な形で、そして最高の形で、どうにかなりそうになってしまった。
「灯火神イグニアスは失せものを見つけ出す力があります」
「失せものって……落とし物とか、どこにやっちゃったとか、ボコロッタでやったような……これ何だよ、っていうのを言い当てるようなもんだろ?」
リアンの後任をどうするかと王宮で開いた会議の席に、リュカがマルタを連れてきていた。そこで、マルタがまだ8歳のくせにやっぱりどう考えても大人びすぎている言葉遣いで言ったのだ。
「やってみないと分かりませんが……イグニアスのお力で、リアン閣下の記憶を取り戻すこともできるかも知れません」
「今すぐやってくれ。必要なもんがあるんなら、何だろうが用意させる。マレドミナ商会に調達できないもんはねえ」
この希望に誰よりも飛びつき、期待をしたのはロビンだ。
すでにリアンは目を覚ましていたが、別人のようになっていた。あの満ちあふれていた凛々しさオーラがなく、覇気にも欠けて、抜け殻のようになってしまっていたのだ。
「精神感応魔法で、リアンの記憶は食い尽くされたような状態なんだ。それなのに、取り戻すことができるの? 何度か、リアンの中に潜ってはみたけれど……本当に、何もなくなって、空っぽの状態になってしまってるのに」
「イグニアスの力は魔法とはまた異なるものですので、やってみる価値はあると思います」
かくして、俺達は希望と導の神様に託すことになった。
椅子に座らせたリアンの前でマルタが精神統一をして、灯火神の力を使った。やわらかいオレンジの光が満ちて、それが室内に広がったまま、何時間も経過をした。マルタはずっとリアンの前に立ち、目を閉じたままだった。
「なあ、リュカ……何をやってるんだ、マルタは?」
「俺は、ソアの神官だし……分かんない」
「んだよ、勉強不足だな」
「マルタならどうにかなるかもって連れてきたのは俺だよ」
「……まあ、それもそうか」
細かいことは分からんままに、時間が過ぎていって、昼日中に始めたのに日が暮れてから動きがあった。マルタがようやく目を開け、それと同時に力が抜けたようにへたり込んで終わった。リアンはいつの間にか眠っていて、起きそうにはなかった。
「どうなった、マルタ?」
「リアンの記憶は戻るの? 戻った?」
俺とロビンが詰め寄ると、マルタは自分の汗を拭いながら、にっこりと子どもらしい笑顔を浮かべた。ロビンがマルタを抱き締めて泣きすがっていた。相当の覚悟で、殺すか、記憶を消すかという選択をロビンは選んだのだ。だが、マルタのお陰で、元通りになれた。大の男が泣いたって仕方ないことだ。ほんの数日、リアンの面倒を見ていただけでもロビンは見る間にやつれていっていたのだ。
かくして、目が覚めればまた記憶を取り戻した、前のままのリアンに戻るはずだとマルタが灯火神に誓った翌日、ふらりとリアンが王宮へ現れて目を剥いた。
「リアン! お前、治ったか!?」
「リアン……本当に大丈夫? わたしの名前は分かる?」
エノラと揃って詰め寄ると、どこか焦点の合っていないとろんとした目を向けられた。それにぞっとして、まさかダメだったのかと血の気が引く。――と。
「ふふっ、ほんのジョークじゃあないですか。
お陰様でこの通りですよ、レオン、エノラさん」
「え?」
「ジョーク?」
「はい。いえ、折角だからたまにはこういうのもいいのではないかと。人は新鮮な驚きをすることで、心が若返って、いつまでも若々しく――」
「リアン、てめえええええええっ!!」
「はっはっは、陛下もお元気そうで何より。では、次はマティアスのところへ行かねばなりませんので!」
逃げられた。
俺と一緒に、まんまとしてやられたエノラは顔をひきつらせつつ、どうにか立ち直った。
「ちょっと、彼女とは今後のつきあい方を考えた方がいいかも知れない」
「まったくだな、あんにゃろう」
「けれど、あの顔は、恐ろしいほどダメに思えた」
「んっとに多彩なやつだよなあ……」
マティアスの家でも同じようなことがあったと後で聞いたが、後になって思えば、病み上がり(?)であんなことをされたもんだから、変な気遣いもなく仕事に復帰させていいだろうという心証に繋がった。一刻も早く復帰したがってやったことなんだろうかと勘繰ったが、リアンはその実のところを語りはしないだろう。
とにかく、我が国の豪腕宰相はこうして復帰をしてくれたのだった。
余談になるが、国王と宰相のゴリ押しで、マルタが恐縮しまくりながら断ってきたにも関わらず、灯火神イグニアスの礼拝堂を国費で建てさせることにした。毎晩、接待と冠して王宮と宰相官邸でマルタをディナーに招いては、ずっとこの国にいろと口説き落とし、12日を費やして頷かせるのだった。