フィリアとラルフ
「ラルフ、追手は?」
「ない」
「そう。……いい子、いい子」
「撫でるなっ!」
背伸びして頭を撫でてあげたのに身をよじって逃げられた。
ラルフ・コルトーは子分3号。背丈は高く、体格もがっしりとした金狼族の少年。両親と似ても似つかない、プライドが高くて一匹狼を好むやつ。毛も性格もツンツンしているものの、何だかんだで従順なところもあってかわいい子分のひとりである。
特にとんがった三角の耳がぴょこぴょこ動くところとか、嬉しいことがあると顔からも態度からも隠そうとするのに尻尾だけがちぎれんばかりにぶんぶん振られたりするところがかわいい。普段からツンツンしている分、尻尾だけが興奮を抑えられなかったりしているとギャップにやられてしまう。
エンセーラムを家出してきて早15日。
そろそろ弟か、父の忠臣かが追いついてきて然るべき頃合いと見ている。可能性が高いのは弟の方で、こちらの方が厄介だ。あんなにも小さいころからかわいがってきてあげたのに、例えば家出した麗しき姉を捕まえるためならば――という名目があれば、調子に乗ってあらゆる手段を用いてきそうなものだ。突つけばすぐ泣くようなかわいい子だったのに、いつから性格がひねくれていったものやら。あれは腹黒すぎる。
モウラーから船に乗ること、数えて3回。足取りは掴まれると見て間違いない。
ディーが追ってくるのなら、先回りして罠を張ろうとでも考えるかも知れない。
労力を押さえて最大の成果を上げるのが基本的な手口。で、あれば些細な違和感を見逃さず、罠だろうと思った瞬間に逃走をはからなければならない。問題は、どんな罠を仕掛けてくるのか――というところ。
「フィリア、うまそうなのが売ってるぞ。金寄越せ」
不意にラルフがわたしの肩を掴んで止めた。
尻尾を左右に振りながら指差している先には露店が出ていて、鉄板の上で具材を転がすように焼いている料理が売られている。
「お手」
「するかっ」
「じゃああげない」
「うっ……」
「お手」
露店とわたしを交互に見てから、ラルフはそっと右手を出した。
「よしよし、いい子」
「だから撫でるなっ、俺は犬かっ!」
ちゃんとお手ができて誉めてあげたのに乱暴に突き放された。それでもこちらが転びそうになるほど強く押してはこないあたりがラルフだ。それに金狼族のスキンシップは体を密着させてするのが基本で、きっと触れ合うだけ楽しく嬉しくなってしまう。言葉とは裏腹に尻尾はさっきより強く振られているし、キッと吊り上げた目でわたしを睨んできているのも、そういうのを恥ずかしがって隠そうとしているようにしか思えない。かわいいやつめ。
お金をラルフに与えると、すぐに露店へ駆けていった。
その場から見送り、露店を見る。若い2人組がやっている店で、ラルフの前に3人ほど並んでいた。竜口大河を背にして店は構えられている。露店は珍しくない。この街でも港から続いている大通りにわんさか並んでいた。それをどうして、こんなところに出店しているんだろうか。
大通りに店を出すためには資金がなかった、とかか。
いや、何かそれよりも引っかかる違和感がある。こんなところにぽつんと露店を出す理由。競争する店を排除するためにしても、この辺りは人がそう多いところではないからそもそもの稼ぎを見込めなくなりそうだ。だとすれば、わざとここを選んだ理由は、あえて人の少ない場所に出したい理由があったから?
ラルフの前にいた獣人族の客が1人抜けていく。
鉄板の上で焼かれた具材はポケット状になっているパンもどきの生地に詰められるらしい。歩きながらでも食べられる。くるんと丸まっている尻尾を揺らしながら、料理に食いついてその客が歩いていった。そう言えば並んでいるのは獣人族ばかり――
「っ――ラルフ、ハウス!」
「ああっ?」
呼び戻そうとするとラルフが怪訝な顔でこちらを振り返る。それと同時に露店をやっている内のひとりが飛び出してきた。顔を隠すように覆っていた布が取り払われると、勘づいた通りにディーだった。
「見つけたよ、姉ちゃん!」
「チィッ!」
一足で高く飛び上がり、わたしの前にディーは落ちてきた。
着地した足に踏ん張りを利かせ、石畳を割った。その勢いと伝えた力を乗せながら、背中に隠していたのであろう黒短槍ニゲルコルヌを振り上げてくる。魔偽皮で見切り、右足を半歩後ろに引きながら半身になる。すかさずディーがニゲルコルヌを続けざまに振り下ろそうとした。股を180度開くようにして足を上げ、ニゲルコルヌを受け止める。ずしんと衝撃が足から足へと抜けていくが、勢いが乗り切る前に抑え込んだから大したものではない。
「何か恨みを買うようなことした?」
「勝手にサフィラスを連れ出したでしょ」
「そんなこと?」
「俺がサフィラスにブラッシングしてあげるつもりだった、の……!」
やれやれ、そんな理由でこんな攻撃的になる必要はないのに。
ニゲルコルヌを受け止めている足の膝を曲げ、踵から蹴り返す。わたしも同銘の槍を抜こうとしたが、体重を支えていた軸足がずぶりと泥に沈むような感覚がして姿勢を崩した。
「逃がすはずないでしょ、姉ちゃん」
「っ……ディー」
魔法で足元を液状化させられていた。
しかも粘土が高い泥にされてしまっていて、膝まで埋まってしまうとすぐに抜け出すことはできそうにない。
「俺の勝ち」
「卑怯者」
「調子に乗ってかっこつけて、足でニゲルコルヌを受け止めたりするからそんな隙が生まれたのさ。違う?」
「……ディーのくせに」
「言ってれば? 気にしないから」
竜口大河の西端――海との河口部分まで行くつもりだったのに、ぞんがい早く捕まってしまった。
「ラルーフ、よしよし、いい子だねえ、ラルフは」
「だああああっ、撫でるなっ!」
「ええ? いいじゃない」
「良くない!」
ディーもラルフに拒否され、つまらなそうに舌打ちをした。いい気味だ。
追いかけてきたディーに早々に連れ帰られるかと思っていたが、幸いなことにそうならなかった。折角だからもっと観光をしたいとディーが言い、クラウスが早く帰るべきだと言ったのを却下してしまった。それで宿を取り、4人で今は夕食を食べに来ている。竜口大河に生息するワニ料理を名物にしている食堂だ。
「何であんた達はそうも自由なんだ……」
「クラウスはもっと楽しんだ方がいい。はい、あーん」
「あー……って、食べるかよっ」
「ラルフは素直に食べるのに。はい」
「あーんっ――って食べさせるな!」
「よしよし、ラルフはいい子」
「ラルフかわいいよ」
「このっ、バカ姉弟!!」
兄弟同然に育ってきて、かわいがっているのにバカ呼ばわりされるとは。
「でもその素直じゃないところがいい」
「本当だよね。あ、姉ちゃん、これこれ。葡萄の蒸留酒なんだけど、すごいおいしいんだよ。ラルフも飲む?」
「飲む」
「じゃあ開けよう。クラウスは飲まないんだって」
「飲めばいいのに」
「酒は……苦いから好きじゃない」
「ぷぷぷ、味覚はまだまだお子様だね」
「ディーっ!」
「あははっ、怒らないでよ。ね、クラウス。楽しくやろう」
わたしとディー、そしてクラウスとラルフは幼馴染だ。
クラウスとラルフはわたしとは6つ、ディーとは3つ下で、弟分のようなもので、同時に3人ともわたしの子分でもある。小さいころからそれはそれはかわいがってきている。
エンセーラム王国という、わたしとディーの父親が興した国に生まれた。
クラウスの父親は最近ようやく整えられた常備軍の唯一将軍だ。戦にはこれまで無縁なものの、島国のためにたまに水に関連した天災に見舞われる。そんな時に住民の避難誘導であったり、復興支援だったりの全体指揮を執る。ディオニスメリアの元騎士らしくて、その当時は出生街道を驀進する人物だったらしい。
そしてラルフは母がエンセーラムの宰相で、父はエンセーラム魔導学院の院長だ。政に積極的でない父を補佐する宰相と、規模は小さいながらも優秀な魔法士を輩出しようと注力されている魔導学院院長の一人息子――なのだが、どういうわけだが他人とは突っかかるし、魔法がさほど得意というわけでもない。
この親達は愉快な人々であるが、同時に強くもあった。
平和なエンセーラムから外に出れば危険なこともあり、時には自分の力で困難を切り抜けないといけないという理由で色々と仕込まれた。剣術、魔法、その両方を併用したディオニスメリア発祥の魔法戦という戦闘技能。
これに加えてディーは父から、わたしは本で独学で、魔技というものも習得した。魔法の範疇にあって、魔法とは異なる、魔力を用いた技能が魔技だ。本来、魔法は個人に備わっている魔力を、魔力変換器を通じて火や水などといったものに変換し、魔力放出弁を使って外に出していく。しかし魔技は魔力変換器も魔力放出弁も使わず、しかも体外から魔力を取り込んで扱う技術だ。
この魔技を使ってしまえば、身体能力を底上げしてそれだけで誰とでも戦えてしまうような戦闘能力を有することができる。
親達が懇意な間柄なので、自然と小さいころからわたし達も交流を持って育ってきた。
クラウスとラルフにいたっては同じ日に生まれているのもあり、ラルフの母は当時から忙しい人だったからクラウスの母のおっぱいをもらっていた乳兄弟でもある。
この2人とわたし達姉弟は年が少しだけ離れているから、よちよち歩きのころから遊んであげていた。
リーダーシップも知恵も悪知恵も勇気も度胸も兼ね備えた完璧なわたしと、繊細で泣虫で臆病なディーと、おバカで天然なクラウスと、何でも食べて何でもかじって何でも喜ぶラルフと、それはそれは楽しい日々を送ったものだ。
「姉ちゃんが罠にかかるのを待ってる間に聞きつけたんだけどさあ」
食事が進み、煮豆と酒瓶だけがテーブルに残ったころにディーがラルフへ寄りかかりながら言った。お酒が回ってすでに酔っ払ってしまっているらしい。ディーの場合はどれだけ飲んでも意識だけはかたくなに持っているという酔い方をする。それでも体はふらふらになるから、酒を飲みすぎると手近な人にもたれかかるのがクセになっている。
こういう時、普段かわいがろうとすると嫌がるラルフでも大人しく支えになっているのだからかわいい。素直じゃないかわいいやつめ。
「えーと……下顎の、西端だっけかな? そこで大きな祭りがあるんだって」
「祭り?」
「そう、何かねー……えーと、色々、あるって」
「色々じゃ分からないだろ、ディー。っていうか、ふらふらしてると思ったらそんなの聞きつけてたのか?」
「だあって、なかなか姉ちゃんとラルフが来なかったんだもーん。ラルフ、お酒ちょーうだい」
「ほら」
「ありがと、ラルフ。いい子、いい子――っとと」
「だからすぐそうやってやるな!」
杯に酒を注いでもらったのを誉めようとしたディーが、ラルフに突き放された。やれやれ、ラルフを分かっていない弟だ。
「とにかくさ、行ってみない? お祭り」
「だけど陛下が心配するから早く帰って――」
「うまいのはあるのか?」
「あるんじゃない?」
「行きたい」
「姉ちゃんは?」
「行こう」
「決まり」
「ああもう……」
「まあまあ、クラウス。ちょっとくらいいいじゃない。それとも先にひとりで帰る? 姉ちゃんはちゃんと確保したよって伝えに」
「……ついていくよ」
「よしよし、クラウスもいい子だね」
「そういう年じゃないだろ。やめろよな」
ラルフほどではないが、クラウスもつんけんしてしまったものだ。
昔なんて誉められたい一心であれこれとしていたのに。成長が悲しい。