ディーとクラウス
竜口大河の下顎、奥歯に当たる部分の街――モウラーというところへ来ている。
竜口大河というのはクセリニア大陸西部にある巨大な裂け目だ。そこには海水が流れ込んだのか、あるいはあちこちからの川が流れ込んだのか、一応は大河とついているし、川の認識が正しいのかも知れないけれど、ハッキリこれだとも言い難い――まあ、スケールの大きなすごいところである。
この当たりは日差しが強く暑いようで、露出の多い装束を着ている人が多い。
頭にすっぽりと長い長い布を巻きつけ、顔だけを出しているのが面白い。肌の露出も胸と腰のみを覆い隠す程度で、その上から薄いひらひらする布を緩めに巻きつけている。風が吹く度にそれが揺れて、見ていると何だか涼やかに感じられる。
「ラルフもどうしてついて行ったのやら」
「買収されたんだよ、多分。でも俺、竜口大河って来るのは初めてだ。色々と見ていこうよ、クラウス」
「呑気だな……。陛下の気が気じゃないっていうのに」
「あれは親バカって言うんだよ。て言うか、姉ちゃんをどうにかできるような存在がそこら辺にいると思ってる?」
「……いや」
「でしょ? 行こう、クラウス」
「そもそも、それを言い出したらお前にも必要はないかも知れないんだけどな」
「何言っちゃってるのさ、これでも俺は周りに頼って生きてるんだよ?」
「怠け者」
「あははっ、母さんに似たかな」
ため息をついたクラウスを引き連れてモウラーを歩き出す。
ここへやって来たのは、とある事情があった。
大したことではないんだけれど、先日、姉が家出をしたのだ。
通算18回目、今年4度目の家出だった。姉さんがヴェッカースタームへ遊びに行き、さんざん、尻尾を堪能してきたのを父さんが嫉妬したことと、あと獣人族にとって尻尾を触らせるというのは特別なことだからと変な勘違いをされるのを厭って、そういうことは絶対にやめろと厳命された。それに反発し、10分も経たぬ内にサフィラスにラルフも乗せて家出をしていった。
で、父さんは一晩は姉がいない寂しさを我慢したようだったけど、帰ってくる気配が微塵もないので不安になり始めて、だけどそう簡単に父さんが自分で捜しに行くこともできないからって俺が駆り出されてしまった。おともにクラウスをつけられて。
家出先が竜口大河だろうと目星をつけたのは、家出前に行ってみたいと姉がこぼしていたのを聞いていたからだ。好奇心が人一倍に旺盛な姉にとって、やってみたいこと、行ってみたい場所というのは金塊よりも優先される。ダテに生まれた時から姉弟をやっちゃいないから、それくらいは分かる。
「竜口大河と言っても広すぎる……」
「そうだね」
「そうだね、じゃなくて……どうやって捜すつもりなんだ?」
「ラルフがいるから匂いで気づかれたら逃げられるだろうしね」
「ディー」
「だから誘き出せばいいよ」
「は?」
「にしたって、罠を張るには獲物がいる場所を絞り込まないとダメだよね。東から来ればモウラーは入口に当たるわけだし、一度くらいは立ち寄ると思うんだ。クラウス、ちょっと足使って聞き込んできて。姉ちゃんとラルフがここら辺に来なかったかどうか。夕刻にここで落ち合おう。じゃあね」
帽子を目深に被り、強い日差しから目を守っておいた。
真面目なクラウスならちゃんと聞き込みをしてくれるだろう。姉もラルフも目立つことをしてしまうから、ここに立ち寄ったのならクラウスがきっと聞きつけられる。それで情報なしなら、地道に聞き込んでいくしかない。
俺はそれが分かるまで、のんびり観光をさせてもらおう。
父さんからは多めに小遣いをもらってきたし、遊ぶ金はたっぷりあるのだ。
「ディー!」
「んぅ……なぁに、クラウス?」
人がいい気分でうとうとしてたのに、いきなり怒った声で呼んでくるなんて。昔はちっちゃくてかわいかったのに、背が抜かれてからはすっかり生意気になっちゃって。
「何でこんなところで寝てるんだ。人の目っていうやつが――」
「どうせ、一期一会で俺のことなんてずぅーっと覚えてる人がいるはずないんだよ。旅の恥はかきすてとも言うんだし、それよりも――ふわ、あああ〜……眠いんだから、寝かせて」
「こんなところで寝るな!」
「んぅ……」
葡萄の蒸留酒を飲みながら釣りをしていたらすぐに気持ち良くなってしまって、ちゃんと待ち合わせ場所に行ってから飲むのを再開した。それで眠くなってしまった。
「クラウスも飲む、これ? おいしいよ」
「飲まない!」
「普通の葡萄酒とは全然違うんだ。蒸留酒だから、その分、酒っぽいんだけど……けっこうまろやかな口当たりで飲みやすさもあって。気に入ったから、買い込んでおいてよ。土産に持ち帰ったら喜ぶよ」
「ああもう、外見は子どもなのに中身はオッサンみたいなんだから……」
「オッサンって失礼だなあ、クラウス。俺はまだまだ若いし、ほら、見てごらんよ、この体――」
「それはハーフだからだろっ。屁理屈ばっかり言って」
肩を貸されて立ち上がらされる。
酔いが体に回っていてまっすぐ歩けないからクラウスに体重を預けきることにした。年齢は俺の方が3つ上だけど、人種の違いでクラウスに成長は抜かされてしまっている。見た目だけは、うーん、13歳とかそれくらいに見られるんだろうか。普段はそれがちょっと癪だけど、こういう時はお互いに楽ができていい。面倒見の良いクラウスに面倒を見られる分には、ちっさい方が楽だ。
「姉ちゃんとラルフは見つかった?」
「船に乗ったのが分かった」
「船?」
「上顎に行ったみたいだ」
「上顎かあ……。その行き先の詳しいところは?」
「さあ?」
とりあえずは追いかけていくしかない、か。
せめて何を目当てに行動をしてるかが分かればいいんだけど、そううまく姉ちゃんの考えを読み取れそうにない。
「宿で寝て……明日になったら、同じ船に乗ってみようか」
「そうだな」
「そしたらまたクラウスに捜してもらって、俺は遊んでるから。その繰り返しで追いかけてみよう」
「……何もする気がないならエンセーラムに帰れよ」
「やだよ、こうしてる方が面白いもん。別にエンセーラムにいるのが嫌ってわけでもないけど、退屈だからね。ところで宿はもう取った? 残ってるから飲み直したいんだけど」
まだ残っている酒を揺らして見せるとクラウスにまた呆れられた。
姉を追って、僕とクラウスは竜口大河に無数に巡らされている航路のひとつを辿る船に乗った。
海か大河か分からないほど巨大なこの竜口大河を挟み、北側の岸を上顎、南側の岸を下顎と人々は呼んでいる。川幅は場所によって異なるが、竜口大河は東側に深く食い込んだ湾のようなものなので、西ほど広く、東ほど狭まっている。下顎の奥歯に位置するモウラーからならば、川幅はそう広くはない。とは言え、対岸はさっぱり見えないのだが、2日で到着すると言われるとさすがに閉口した。
あんまりにも退屈だったもので、土産用に20本も買っておいた葡萄蒸留酒を5本も飲み干してしまって、下船するころにはへべれけだった。すぐに宿を取ってクラウスに聞き込んでもらう間は安静にした。おいしいものも考えものだ。だけど気に入ってしまった。まだ15本あるけれど、姉が見つかるまでに何本残るだろうか。帰りにまたモウラーへ立ち寄って買い足すつもりの方がいいだろうかとさえ考えた。
「ディー、目撃情報がまた掴めた」
「ご苦労さま、クラウス。それでどうだった?」
「今度はまた下顎に向かう船に乗った、ってさ……」
我が姉ながら、人を振り回すのが得意なものだ。
思い起こせば小さいころから、姉にだけは常に振り回されてきたような気がする。何というか、自由人すぎるのだ。俺はいつも周りから可愛がられてきたのに、姉だけは容赦というものがなかった。喧嘩もしたし、泣かされるし、悪戯の濡れ衣を着せられたりもした。
「また船旅か……」
「せめて目的地が分かればいいんだけどな」
父さんから預かってきたレストの笛を握った。ヒモがついていて首から下げている。
きっと姉に定まった目的地なんてものはない。気の向くままに進んでいるだけだろうから、何かが足止めをしてくれないとこのまま延々と追いかけ続けるばかりで時間が過ぎていってしまう。となれば、先回りをしてみたいが――当てが外れて足取りを掴めなくなってしまうのも嫌だし、悩みどころだ。
「ねえクラウス」
「何だ?」
「博打打ってみる?」
「は?」
「上顎沿いに西へ行ってみようか」
「だけど、それじゃ2人が――」
「その時はその時っていうことでさ」
6本目の葡萄蒸留酒を開け、口をつけて飲む。
ふわあっと広がっていく熱いものを感じながら、ベッドに背中から倒れ込む。
「クラウスも一緒に飲む?」
「飲まないっ」
「あっそ。おいしいのに」
「まだ成人前なのに……」
「別に飲んだっていいんだよ。推奨が成人後っていうだけだし、お酒はお薬なんだって父さんも言ってた」
「じゃあ陛下と一緒に飲めばいいだろ」
「そこはほら……父さんって、まだまだ俺のこと子ども扱いしたいみたいだしさ、夢を見せてあげるのも親孝行さ」
「本当はこんな不良だって知ったら、陛下泣くぞ」
「せいぜいショック受けるだけだって。それに不良じゃないさ、少しお酒をたしなんでる程度なんだしね」
母さんにはバレてるっぽいから、もしかしたら父さんにも筒抜けかも知れないけどね。




