ダリウス旋風
「エンセーラム王は噂に違わぬ人物のようでしたね」
「噂?」
ユーリエ学校でレオンと話した後、ユーリエ島をぐるりと回ってから帰ってきた。それから僕はミシェーラに預かってもらっていたラルフを迎えに行って戻ってきた。ダリウスは中庭で剣の稽古をひとりでしていたようで僕に気がつくとそう言ってきた。
「噂って何?」
「王らしからぬ王であると、エンセーラムに来るまでの道中で聞きました」
否定できない。
「それからエンセーラムには四天王とされる存在がいて国を守護しているのだとも」
「またそれ……?」
「また?」
「あ、こっちの話」
四天王だなんて言葉は少なくとも、この国には存在していない。
いつの間にかよそから言われるようになったものだ。
「リアン姉様とロビンさんがそこに数えられていたのは、最初こそ驚きでしたけれど……エンセーラム王とあなたを見ていて、あながち的外れでもないのだと思いました」
「大切な友達同士っていうだけのつもりなんだけれどね」
「ディオニスメリアの由緒正しき貴族であるカノヴァス家の出身で、元親衛隊のマティアス・カノヴァス殿。
マレドミナ商会を興して財を成すのみならず、聖剣に選ばれた稀代の剣士であるリアン姉様。
ヴェッカースタームの獣人族の中でも特に優秀な戦士の一族である、金狼族の男にして魔法の名手であるロビン殿。
そして十二柱神話の一柱・雷神ソアの現在唯一の神官にして、エンセーラム王の右腕と呼ばれる剣士リュカ殿……」
大袈裟なことになっている気がしてならない。
「四天王とエンセーラム王という無類の強さを持つ存在がいるからこそ、武力で侵略しようとする国も現れないのだと」
「わざわざ海を超えてここまで軍を送ることがそもそもナンセンスなんだよ」
「エンセーラム近海には巨大な海の獣が、そして空にはエンセーラム王が使役するワイバーンがいることも、そう思わせる原因だと思います」
「ジャルもレストも人懐っこくて、そういう風に怖がられるようなコじゃないんだけどね」
手にしている剣を鞘に納め、ダリウスは空を仰いだ。
「ソーウェル領は鉱山を所有しているので、その利権でどうにか食いつないでいるような状況です。しかし、年々、採掘できる鉱物の総量は減少傾向にあり、いつどうなるかは分かりません。僕の代であの鉱山が廃鉱にでもなってしまえば、多くの領民が食うものに困ってしまう悲惨な状況を迎えかねません。何か、その時になってから慌てずに済むような対策を、広い世界を歩いて見つけられないかとも思っていました」
近い将来に訪れる困難をダリウスは見据えている。
決して逃げ出すことのできない現実として。それは領主としての責任だろう。
けれど短い時間をともに過ごしただけで分かってしまった。本当はダリウスは、リアンのように自由に生き、自分の好奇心を満たすような冒険や挑戦をしたいという欲求を持っている。リアンが宰相として激務をこなしながら、ただの一度も弱音や怠慢の言葉を口にしないのは、それがリアン自身で望み実現したことだからだ。が、ダリウスは親の立場を継いで生じた責任を負っている。
自由に憧れる気持ちはよく分かる。
魔法を学びたくて、師匠に連れられて僕も故郷を出ていったのだから。
「でも……目標ができました。
この国に劣らぬ、人々が笑顔で、活き活きと生活できる領地にしたいと。
まずは学問ですね。子どもの教育は未来への大きな力にきっとなると思えました。取り出せる資源に限りはあっても、そこに人がいる限り、人的資源は継続していくことができます。スタンフィールドのように元々は何もなかったような場所でも、学院ができたから人が集まり、発展したという事例もありますから、ソーウェル領にも大勢が学問を修めにくるような立派な学校を作ったらどうかなと」
次から次へと、ダリウスは語り始めた。
自分の治める領地をどう発展させていこうという希望を。
熱が入って語るその姿は、やっぱりリアンに似ているような気がした。
ダリウスはユーリエ学校に呼ばれ、ディオニスメリアの貴族について話したそうだ。
けれどそれは女の子が貴公子に憧れを抱くようなお話ではなく、現実に即した、10歳に満たない子ども達にはなかなか、かなり難しい内容だった――とレオンに聞いた。貴族となればごく一部の例外を除いて領地を持っている。その領地をどう運営しているかという一般論だったそうだ。
結びには、ディオニスメリアには民を軽んじる領主が多いのに対して、エンセーラム王国は大人も子どもも、男も女も、そして人間族や獣人族、魔人族に関わらず、大事にされていると話したらしい。途中でレオンは聞いていられなくなったらしい。気恥ずかしかったんだと思う。
そういう話が子ども達から親に伝わると、大人がダリウスを見かける度に声をかけてくるようになったらしい。若いのに立派だと職人に誉められ、おばさまや若い女の人はダリウスに妙な憧れめいた視線を送って発情の香りも僅かながら発していた。
一躍、ダリウスは小さな国内で話の種となって、さらにその翌日には壁新聞で取り上げられ、さらにその夕刻には一筆、壁新聞のためにコラムを書いてほしいという依頼が舞い込んだ。コミュニティーが狭い分、どんな話も伝わるのはあっという間だ。けれど、こういう情報伝達の早さに関してはソーウェル領でも普通のことだったようでダリウスはあまり驚いていなかった。
好意的に接してくれる人とよく話をしていた。
ディオニスメリアからエンセーラムへと移住してきた人もいたので、ダリウスのような領主が故郷にいればどれだけ良かったかと率直に言われるようなこともあったそうだ。
そうした中でエンセーラム公船が帰港し、リアンが帰ってきた。
エンセーラムに帰るなり、リアンはまた仕事だった。本当に一瞬だけ家に顔を見せたかと思えばダリウスのことも言えぬまま王宮へ出かけて行ってしまった。忙しそうだったから、夜に落ち着いてからでいいかと思っていたらおつかいが来て、夕食を王宮で、ダリウスも交えて食べようということになった。
レオンとの晩餐にダリウスは着ていく服をどうすべきかと貴族の人らしい戸惑いを見せたが、そのままでいいと伝えると驚いていた。が、少ししてレオンの人となりを思い出したのか、静かに納得していた。
あらかじめ会わせておいて良かった。
ダリウスは真面目だから、レオンのことを知らないままだと気を揉み続けたかも知れない。
「大きくなりましたね、ダリウス」
「はい。遅れましたが姉様、ご結婚と出産、おめでとうございます。式には行けなかったので、ずっと機会を待っていたんですが」
王宮の食堂で再会するなり、ダリウスはひとつの小さな包みを出した。
「ロビンに渡してくれれば良かったのに」
「いえ、姉様に直接、お手渡ししたいと思っていたので」
「ありがとうございます」
贈りものはソーウェル領で採れた緑色の石だった。
何でもソーウェル領や、その近辺では赤ちゃんが生まれた季節ごとに縁起の良い石が決まっていて、それを小さいころから身につけさせると健康に育つらしい。ラルフの生まれた季節は緑色の石だそうだ。石とは言ってもそこら辺の石ころのようなものじゃなく、綺麗に研磨されて丸くなったものだ。
「リアン、どうして王宮で? 家で良かったのに」
食事が始まる前にこっそり尋ねると、リアンは肩をすくめた。
「これは正式な晩餐です。ディオニスメリア風ではありませんが。
と、なれば……エンセーラム王の晩餐に招かれた者として、ダリウスは向こうへ帰った時に何かに役立てられるかも知れません。例えば分からず屋と何かの交渉をする時、だとかで。後ろ盾は多い方がよろしいかという老婆心ですよ。つき合わせてすみませんね」
「それ、ダリウスは分かってる?」
「さて、気づくかどうかも、この事実をどうするかもそこはダリウス次第ですからね」
そう言ってからリアンはラルフを腕に抱いた。
晩餐会の食事はいつもイザークが作っている。
今日は山鳥の丸焼きが出てきた。表面はパリパリに焼かれていて、中からはじゅわりと肉汁が出てくる。臭みを消すためにスパイスが使われていたけれど、僕やラルフの鼻に配慮をしてくれたのか薄めだったからおいしくいただけた。
リアンとダリウス、レオン、それにエノラが話をしている脇で僕はラルフと同時に、フィリアとディーの相手をしてあげた。大人の話なんて聞いていてもつまらないだろうし、2人とも僕を好いてくれている。レオンによく似て尻尾好きだからというのもあるかも知れないけど。フィリアなんて少しでも油断していれば尻尾を触ろうとしてくる。素知らぬ顔で尻尾を振ってそれは避けるのだが、そうすると余計に夢中になって狙ってくるのだった。