父の悩み、マティアスの場合
「何――ラルフの将来が不安? またそれか……」
「またそれかじゃないよ、こっちは切実なんだよ……。クラウスくんからさ、ラルフにちょっと……こう、そういう話を振ってもらうとかできないかな?」
「父親のお前がその話をしようとしても逃げるのだろう? ならば、はぐらかされるか、逃げられるかだろう」
エンセーラム魔法大学にしてもらう演習協力の件で打ち合わせに足を運んだら、それが終わってからロビンに呼び止められてしまった。それで持ちかけられた相談には、もう何度目かと言いたくなったが――いや、言ってしまったか。
とにかくロビンにとって目下の最大にして唯一の悩みは息子のことだ。少し酒が入るだけで延々と同じ悩みをこぼし始めるほどだ。よほど普段から心配をしているのだろう。
「案じることはあるまい。ラルフなら、クラウスと一緒にエンセーラム軍に入隊させてやる。試験を突破さえすれば幹部候補待遇だ。腕っ節は目を見張るものがあるしな。乳兄弟なんだ、クラウスが入るとなればラルフもぶつくさ言いつつ入るだろう。そしてともに入隊したとなれば逃げ出すこともなかろう」
「クラウスくんと、一緒に……?」
「ん? 何だその顔は?」
「いや……クラウスくんって、入隊するつもりがあったの?」
「……な、何を言う。当然だろう。将来、この僕の後を継ぐのはクラウスに決まっている」
「だって……この前、専攻発表会があったんだ。ある程度、将来を見据えて、どんな専門性を持った魔法士になりたいかっていうところまで含んでの発表会だったんだけど」
「う、うむ……?」
「クラウスくん……渋い発表してて、エンセーラム諸島の植生から見る農業魔法の改革研究……ってテーマ。どう頑張っても……将来って考えると入隊とは結びつきそうにないかなと」
久しぶりに頭の中が真っ白になった。
「マティアスくん? おーい」
「ハッ――こうしてはいられん、失礼する!」
「え? 入隊? 少しも考えていませんでしたが……」
「何、だと……?」
夕食前に帰ってきたクラウスを書斎へ呼んで、エンセーラム魔法大学の卒業後についての考えを尋ねるときょとんとされた。
愛するミシェーラが産んでくれた我が息子のクラウスは、僕にもミシェーラにもよく似た優秀極まりない息子だ。甘やかれて育ってきたディーやラルフとよくつるんではいるが、クラウスはきちんと躾けられたので悪友の暴走のストッパーにもなっている。頭脳明晰、運動神経抜群、そして僕とミシェーラ譲りの美貌と全てを兼ね備えている――のに、どうして敬愛する父と同じ仕事に就くという発想がなかったのか。
「で、では……卒業後は、何をするつもりで、考えているんだ……?」
「まだ取り掛かっている途中の大きな研究があって、まだ卒業することさえ考えてはいません」
「……そ、そうなのか」
「はい」
「だ、だったら考えていないだけで入隊ということさえ失念していた、と。そういうことで、いいんだな?」
「……いえ、それは本当に一切何も考えていなかったです……。漠然とした考えの中にも……」
「じゃ、じゃあ……その、漠然とした考えとやらでは、何を考えていた?」
そう尋ねるとクラウスは少し目を泳がせ、何か言いづらそうにしていた。
何だ、まさか、ラルフと同じパターンではあるまいな。ロビンの悩みに、またか、なんて言ってしまっていたのに僕までそんな悩みを抱える羽目になってしまうというのか。
「その……ただの、憧れ程度なのですが」
「あ、ああ。何でも言ってみろ」
遊び人になりたい、以外でなら許す。
「マオ兄様のように旅をしたいな……と」
そっちかぁあああああ―――――――――っ!?
「お父様……?」
「あ、ああ……そ、そうか。旅か――」
しまった、これはまずいぞ。
僕とてかつて、ディオニスメリアで王立騎士魔導学院を出てから、父の言いつけに従わずに旅へ出てしまった。
それは今になっても人生を彩る素晴らしい思い出として胸に残っている。そして立身出世にも役立ち、決して無駄ではない得難い体験だった。旅とは良いものなのだ。
だから僕にはクラウスのその考えを否定する権利がない。
しかし卒業したなら真っ直ぐ入隊してもらいたい。これは、まずい。
「お父様が話してくださった旅のお話も、マオ兄様が以前聞かせてくださった旅の話も、とても胸が踊りました。僕もできれば旅に出たいです。許してくれますか……?」
そんな顔で僕を見上げるんじゃない、クラウス!!
正直、どこへ出しても見劣りしないどころか最高に可愛い我が子なのだ。ディートハルト? ラルフ? あいつらは悪ガキだ。しかしクラウスはそうではない。よくできた子で、誰よりも可愛い息子なのだ。
そんな、可愛い息子に上目遣いで問われてしまったら僕は、僕は――!
「……か、母さんと、話し合って、母さんが許すと言えば許そう。しかし……寂しがるだろうな、クラウスまで家を離れるとなったら。それは父さんも悲しいことだが、どうしてもというのなら母さんは説得しよう。だがまずは、母さんが許すかどうかだ」
「分かりました。……じゃあ、今から話してきます」
「ま、ママママ待て、待つんだ、クラウス」
「え、何で……?」
「そ、卒業なんてまだまだ先のことなのだろう? だったら母さんに打ち明けるのも先で、いいんじゃないか? いざ、その時になってから考えが変わっているかも知れないだろう?」
「しかし……」
「と、とにかく、漠然とでもそういうことを考えていたのなら、いいんだ。さあ、もう、食事ができるだろう。ああ、腹が減った。そうだ、今度、演習があって魔法大学に協力してもらうんだがクラウスは知っていたか?」
「ええ、手伝いに出るつもりですので」
「そうか。だったら、エンセーラム軍のことをよく知る機会でもあるな。演習の協力も大事だが、それだけで終わらせずによく見ておくといいだろう。やりがいがあっていいぞ」
まだ僕より小さい肩を押しながら書斎を出て食堂へ向かう。
これは、由々しき事態だ。どうにかしてクラウスに旅は大変だとか吹き込んで、僕の後を継ぐことを意識させなければならない。しかしどうしたものか。
下手に推しまくっても、それで耳タコになって嫌がられては元も子もない。
こういう時は――気は乗らないが、やはり、あいつしかいないんだろうか。
「――はあっ!? 魔法大学出たら、俺の可愛いディーがお前んとこの泣き虫坊やと旅に出る!?」
「語弊がありすぎるぞ。クラウスは泣き虫坊やじゃない。小さい頃、少し繊細だっただけだ」
「だって今、お前、そう言っただろーがよ!?」
「言ってないだろうが! どうやらクラウスは魔法大学を出たら旅に出たいという願望があるらしく、現状の交友関係を鑑みるにお前のところの甘やかされ王子も行きかねないんだと言ったんだ!!」
「だから一言一句同じだろうが!」
「違う! どんな耳をしている、腐ったか!」
「はっあああ〜!? 腐る? 俺の耳がぁ? ざっけんな、国一番の音楽愛好家だぞ、こちとら!」
「ああそうだったな、それは済まなかった、僕には相変わらず馴染みのない音楽ばかりでな!」
「やるか、てめえ!」
「上等だ、表へ出ろ!」
「――レオンハルト様、マティアス様、どうぞ、冷静になられてください。冷たいお茶を用意しました」
シオンに仲裁され、ひとまずは落ち着いてやることにした。
だがレオンは興奮が抑えられない様子で氷の入った冷たい茶だというのにガブ飲みしておかわりを要求している。
「とにかくだ、レオン。頭が冷えたなら僕の提案を聞け」
「提案だあ?」
「そうだ。クラウスを入隊させる。これを遂行すれば自然と旅に出るなどという話は消え、お前の大事なディーも旅へ出ることはなくなる。ひいてはロビンの悩みでもあるラルフも入隊することになって、あいつもほっとすることだろう」
「……おい、そりゃ、お前にばっか都合が良くねえか?」
「な、何を言う? 僕はお前にも利のある提案をだな……」
「クラウスをてめえの後釜に据えたいがためだけだろうが。ラルフはそのついでだ。つーか、てめえも学院出てから旅に出てんだから、表向きだろうが裏でこっそりだろうが邪魔する言われはねえだろ? ああん?」
こいつ、よくもまあちゃんと昔のことを覚えているものだ。
「だとしても、だ。いいのか? ディーがクラウスと旅に出るなどと仮に言い出したら」
「それは……」
「結局、これは親のエゴだろう? そこについて僕らの意見は一致しているんだ。むしろ、僕とて試されたものだ。騎士団に入らず旅をしたいと言うならばそれに相応しい功績を出せ、と。そして僕はそれをクリアした。だから今の僕がいる」
「そうか、つまり試すって名目で無理難題吹っかけりゃいいのか……!」
「……盲点だった。きみと話してみるとたまにはいいこともあるな」
「たまに、つったか?」
「ごほんっ……とにかく、その手があったな。しかし具体的にはどうする? 生半可ではクリアされかねんが、クリアできそうなレベルは保たねば乗ってこない」
「……うーん」
とにかく僕らの方向性は一致したが、妙案は浮かんでこない。
しばらく腕を組んで考えていたらシオンがまた静かに口を開いた。
「差し出がましければ、どうぞ、そう仰ってください。
的外れな意見かも知れませんが……閉じ込めるより、首に縄をかけて放り出した方が結果としては良いのではないでしょうか?」
首に縄をかけて放り出す?
なるほど、むしろこちらから送り出す、と。ただしちゃんと帰るように縄をかけておけばいい、か。
「シオン、きみはそろそろレオンじゃなくて僕につかないか?」
「おいこらやめろ、そういう引き抜き」
「自分はレオンハルト様に救われた身です。申し訳ありません」
「その忠誠心が是非とも欲しいところだったがな」
「聞いてんのかコラ」
「用事は済んだ。じゃあな、レオン」
「てめえもいい加減、好き勝手が板についたな!」
何か怒鳴られた気がしたが、僕の胸の憂いはすっかり晴れた。
ふ、やはり僕には悩みなど縁遠いのだ。そんなものはすぐに解決してしまえるのだから。