父の悩み、ロビンの場合
「リュカがそんな相談を? で、どうなったんです?」
「もういいって拗ねたように帰っちゃったから、何とも……」
「そうでしたか。……リュカの家は特殊ですしねえ」
「だよね」
久しぶりの夫婦の語らいだった。
今日はラルフが友達のディーのところにお泊まりをするから、リアンと一緒にトト島玄関港付近の繁華街に来た。眠らずの道と命名された一本の通りにはずらりと飲食店が立ち並び、夕方から夜にかけて営業をしている。レオンはゆくゆくは世界屈指の飲み倒れ横丁にしてやるなんて言っていた。治安とか大丈夫だろうかと最初は思っていたけど、いざ始まってみると楽しいところではある。
この眠らずの道にあるお店はどこも競争に必死だ。色々な形で競争をして稼ごうとしている。けれどひたすら高い価格で売ろうとする店は流行らず、かと言って安価な品揃えに走ってもおいしくないと客が離れる。結果、安くておいしくて楽しいお店が生き残って、その中でさらに切磋琢磨をしていく。悪くないお店ばかりが軒を連ねる。レオンの目論見通りにいっている数少ない施策の1つと言える。
「そもそも――リュカは単純に、自分がそこまで必要ではなかったのだということが不意に露見してしまったのがショックだったのでしょう」
リアンがよく冷えている清酒を小さなチョコという器に注ぎ入れながら言い、口に含む。
「あの子は、いえ、もうあの子なんて年でもないですが……責任感が強いタイプですから、曲がりなりにも一家の長として居座っていたつもりなのに、その実、あんまりだったということにまずショックを受けたのでしょう。そして冷静に鑑みた時、確かにその通りであると納得してしまい、アイデンティティークライシスを迎えてしまったのです」
「……う、うん」
正直、リアンが何を言っているのかよく分からない。
そういう人の気持ちだとかの話の専門性は生憎と持ち合わせていない。
「ただ、彼のあの家庭ではそうなっても仕方がないものです。だって3人の妻を娶っていて、多くのお子様を養育されているのですから。1人や2人の小さい子のお世話は1人の母親の世話だけでは大変なものです。しかし3人いれば分担ができます。食事の支度、洗濯の支度、休憩の順番も取れるでしょう。この母親三人システムがある限り、お子様が増えてもそれがよほどの大勢でない限りはどうにかなってしまいます。ましてシルヴィアさんもミリアムさんも教鞭を執ったことがある身ですから、お子様の扱いも上手です。子育てのスキルに乏しいリュカは出る幕がなくなって必然でしょう」
「……確かにね」
「さらにこの母親三人システムは、言い換えれば三馬力とも言えます。ご婦人とは言え、3人で働いて稼いでいれば金銭的な余裕も生まれて必然。つまり父親の生活のために稼ぐという役目さえ放棄しても成り立ってしまうわけです」
「だね……」
「そんなご家庭でまともな父親役というのをやれという方が難しいのではないでしょうか? そもそもリュカは世の旦那方に比べれば育児にも積極的、稼ぐ方もなかなかに良い父親なのです。それなのに霞んでしまうのですから、母親三人システム恐るべしと言えましょう。
結論としてわたしであればリュカは何も落ち込むことはないのです。むしろリュカはこの最強の母親三人システムの要でしょう。一夫多妻によって成立させた張本人そのものなんですから大したものです」
「なるほど……。リュカ、けっこう、落ち込んでたみたいだから顔を合わせたらそう言って慰めてあげて」
「ええ、そうします」
普段はリアンが忙しいから夜にゆっくり時間を取って語らうということはできない。
でもたまにこういう時間ができると、話題は尽きないでずっと話していられる。
「よそのお宅のお悩みを冷静に分析はできても……我が家の可愛い問題児についてはどうも分析できないんだよね」
「おやおや、ラルフについて悩みがあったのですか?」
「そりゃそうでしょ……。むしろリアンは不安じゃないの、ラルフのこと」
「ええ、さっぱり」
あっけらかんと答えられてしまって、少し肩の力が抜ける。
我が家の一人息子ラルフ――。
あの子は他の同世代の子はとっくに働いているのに、いまだにふらふらと遊び呆けてばかりだったりする。仲の良い友人達がことごとく魔法大学へ進学したものの、ラルフはそうしなかった。友達が魔法大学に籍を置いて働いていないので、同じようにラルフもずるずると働かずにつるんでいるという状況なのだ。
「何度か、将来のこととか考えてるのかなって話そうとしたんだ」
「ほう。何か言っていました?」
「それが全く……最初は曖昧に、まだいいなんて言ってたんだけど、だんだんとその話題を出すだけで逃げるようになっちゃって」
「ハハハ、若いのだからいいではありませんか」
「若いって言っても、あの子と同じ年の子はもう立派に働いてるよ。そりゃまだ見習い程度の働きだろうけど、でも、ラルフが何かやりたい仕事を見つけたなんて頃には、同じ年の世代が半人前くらいの働きはできてて、先輩として教えてくるなんてことにもなるじゃない。ラルフだったらそんなの耐えられないよ。人一倍に自尊心が高いというか、競争心だけは人一倍というか……それで嫌なことには噛みつくか、逃げるかするくらいだし……。だから早めに何か職に就いた方がいいとは思うんだ。普通の家だったら親の仕事を継ぐとかもできるだろうけど、生憎と我が家は息子だからって同じ仕事をさせるなんてできないし……」
「心配しすぎでは? ディーやクラウスが働くとなればラルフだって、自ずと自分に合う仕事は何かと考えると思いますが」
「クラウスはいずれ、ちゃんと立派に、真面目に働くだろうね」
「ふむ?」
「でも、ディーは? あの子……レオンの子だよ。王子様だよ。働くかな、果たして」
「……ふむ」
「それこそ、あの子もいつまでも遊び惚けて……ラルフもつるんでずっと遊び人なんてことに……なったら……」
ああ、想像するだけで恐ろしい。
ディーは思い切り甘やかされているし、立場もあるからまともに働くということはない。
むしろ永遠に遊んでいてもいいとまで言われかねない子なのに、ラルフがそれに同調していたら一生遊び人――。
「確かにディーはそうなってもおかしくはありませんね。レオンの子煩悩もなかなかですから……」
「そうでしょう? 別に友達を選べなんて話じゃないんだ。だけど影響を受けすぎるのは、良くない。いくら友達でも、それはそれ、自分は自分ってことでね、ちゃんと己の人生っていうものを考えるべきなんだよ。本当にやりたいことだっていうなら、どんな仕事でも応援するつもりはある。けれどもし、それを見つけたのがすごく遅くなってからだったら? 自分より一回りも下の子に混じって新入りとしてのスタートだったら、どれだけやりたいって思っていた仕事でもラルフには耐えられないんじゃないかって思うんだ。だったらまずは、とにかく、何でもいいから仕事に就いてみて、一度はちゃんと働いたんだって経験を積むというか……」
「まあまあまあ、ロビン、どうどう。少し落ち着いて。我が子を案じるのは当然ですが、悪い方へばかり考えても仕方がないではありませんか」
「だってさ……」
「なーに、もし、いつまでも遊んでばかりでしたらどんなコネを使ってでも働かせますよ」
「そんなの反発して出て行っちゃって、そのまま一生戻らないとか……」
「ないでしょう」
「いやいやいや……」
「だってあの子は、ちゃんと愛情を注がれていると分かりますよ。わたしからも、あなたからも、無償で無限の愛情に包まれていたと、いずれ嫌でも分かることでしょう。だから親不孝はしませんとも」
「……絶賛、親不孝中のリアンに言われるとちょっと。親元出てからろくに顔出しもしないで、顔を合わせた日数なんて数えられるほどでしょ? そういうところ遺伝していたら……あわわわ……」
「おや、ちょっとこれは……何も言えませんね!」
「いい笑顔で言わないで!?」
「ハハハ」
都合の悪いことを笑い飛ばそうとするリアンの癖を僕は知っている。
大丈夫だろうかと、不安になる。
ラルフは決して悪い子ではないけれど、不安は拭えない。そりゃあ可愛い一人息子だから、信じたい。けれど、心配だ。親が子の心配することを悪いという風潮は決してないはずだ。
「ああ、ラルフ……」
「さ、もっとお酒でもいただきましょうか。すみませーん、4本ばかし追加を」
「そんなに飲むの?」
「ええ。……まさか、もう飲めないんですか? またまたー、いいではありませんか、たまになんですから。ね? 明日の仕事は?」
「午前から講義が……」
「おや。……ま、構いません、ちゃんと起こします」
「そういう問題じゃないよっ?」
「あと枝豆と漬け盛りというのもください」
僕の不安を軽々しくリアンは笑い飛ばし、酒の肴にしてくる。
思い返すとこういうの、夫婦の役割としては反対な気もするんだけれど、僕のとこの家庭もそれなりに特殊なんだろうか。