親バカはつらいよ
「ただい――」
「ディー、ディーイ! ああああああ……お前、何だこのほっぺの傷、それに腕も打ち身あるし、ちょっと痩せてない? あのジジイに何かされたか? 言え、言ってみろ、例え国際問題になろうが何だろうが、俺が絶対にあのジジイを――」
「お父さん、心配しすぎ、うざい」
「うざ……!?」
俺の可愛い天使が、俺を、うざいと、言った。
ああ、やっぱり俺はディーをあのジジイのとこに残していくべきではなかった。
全身の力が抜ける。さながら、明日のジョーの死闘を終えた後のリングの一隅そのものだ。もう、俺は生きる意味を失った。
「あのねえ? ほんとはもっともっと、ずぅーっと、エドさんとこにいるつもりだったんだよ?
だけどエドさんが、親孝行で顔見せてやれってうるさく、帰れ帰れ言うから、戻ってきてあげたの。そこんとこ勘違いしないでよね」
「……ディーっ!」
抱きしめる。小さな体と、高めの体温がほっかほかする。
やっぱり天使だ。俺の可愛い息子である。一度突き落としてからぶち上げてくるなんていう小生意気なテクがまたもう、何とも言えない。
「ちょっと、俺のこと何歳だと思ってるの?」
「お前はいくつになっても可愛い俺の天子だよ」
「はあああ……。姉ちゃんと違ってやさしいからつきあってあげるけど、ほんと、程度ってのを弁えてほしい……」
「いいだろ、そんなケチケチするなって。減るもんじゃねえし、このふにふにほっぺも」
「だーかーらー」
「ディーかわいいぞ、ディー」
「んもう……。そんなの知ってるよ」
口では小生意気なことを言いつつ、されるがままになってくれるんだからやっぱり天使である。
ほんともう、どうしてこうもディーは可愛いのか。
シオンに引き剥がされて視察の仕事に戻らざるをえなかったが、久しぶりにディーの天使成分をじっくり補給できたのは俺の心の栄養となった。
トト島に新たに設けられた大型船が停泊するための港の視察が今日の仕事だった。視察とは言え、完成間近で、造られたばかりの新型軍艦がドッグを出て港に入ってくるのを見届けるという、これって意味あるのかと言いたい内容だった。こんなことならディーも連れてくれば良かった。
「どうだ、壮観だろう?」
「何でお前もいるんだ?」
得意気にマティアスが声をかけてきたから言い返してやると、むっとされる。
「エンセーラム商船を狙う海賊が増えているから、哨戒のための軍艦を造っているという話は知っているだろう?」
「ああ、そう言えば」
「その軍艦のお披露目。進水式も兼ねているんだ。シオン、説明してないのか?」
「今朝、陛下にはご説明を申し上げましたが……」
「はんっ、ディーが帰ってきたんだぞ? 仕事のことなんぞ一瞬で忘れるっつーの」
「忘れるな」
「え、ていうか、進水式? シオン、このままその式典にも俺、顔出すのか?」
「はい。……今朝、ご説明、申し上げ忘れました。申し訳ございません」
「シオン、このバカに合わせて自分の落ち度にしないでいい」
「おいこら、バカとは何だ」
「親バカだろうが」
「それは否定できねえな……」
マティアスが大いに呆れた。
親バカだっていいじゃない。可愛いんだもの。れをん。……なんて?
視察だけと思っていたのに、座ってお飾りになっているだけの式典にまで出席させられて、挨拶までさせられた。原稿はきっちりシオンが用意してくれていたから読み上げるだけだった。
王様ってえのは偉そうにふんぞり返ってるのが仕事らしいとは、最近になって悟ったことだ。
実務的なものをリアンにほぼほぼ丸投げにしちゃっているからだろうが。
しかし、そんなことはどうだっていいのだ。元々、担ぎ上げられただけの神輿というのは知っていた。
それよりも。
可愛い俺の子ども達こそが俺にとっては大事なのだ。
と、胸いっぱいで王宮へ帰ったのにディーが外出してしまっていた。
マノン曰く、研究したいことがあるから魔法大学へ行くとすぐに出てってしまったらしい。モラトリアムのためだけに魔法大学へ籍を置いたのでは疑惑が俺の中でむくむくと育っていたのに、研究したいことというのは一体何なのか。
それなら晩飯でも食いながらディーの話を聞こうと思っていたのに、その席にもディーはいなかった。
「何で?」
「研究の準備とかでしばらく帰らないらしい」
「しばらくって何日? 今夜だけ?」
「さあ? でも学費がちゃんと使われるなら良いこと」
「エノラさんや、悲しいことに、食卓に娘と息子がいないのに、ドライじゃありませんかね?」
「親離れを推奨」
「無理、絶対に死ぬまで無理」
「はああ……」
「そのため息っ! 分かった、フィリアとディーのため息って、お前のそれが移ったのか!? あれか、旦那に隠れて子どもに愚痴をこぼして、家庭に居場所をなくすってやつか! そうなのか! そりゃフィリアもディーも天使だけど、一人占めはいくら嫁でも許さねえぞ!?」
「ほんともう、どうして年を経るごとに親バカが加速していくのか……」
「だって可愛いんだもの」
「オッサンがだものとか言ってると、正直引く」
何故だろう、最近、家庭に居場所を感じられない。
もしかして家長としての威厳というものがなくなってきているのだろうか。
「いや、もしや……」
「うん?」
不意にエノラが神妙な顔をして、フォークを持つ手を止めた。
すっと顔を上げて、出会ったころからほとんど変わらない目で俺を見つめる。
「レオンハルトは幼少期の家庭環境がチェスターさんと2人きりのものだったから、その反動で家庭というものに異様な誤解を抱いている可哀そうな性分に……?」
「哀れむのやめてくれね? そんな重くて暗くて物悲しいガキじゃなかったから」
「それもそうか」
「あっさりするの早えなあ……。もうちょっとだけ心配してくれても……」
「けど、あの子達はもう大人と同じなんだから、本当に困っている時にだけ手助けをしてあげればいい。見守っていることが今の役目。甘やかしたり、過剰なスキンシップをしたところで、うざがられるだけ」
「だけどさ……寂しいじゃんか」
「……寂しいなら、あたしがいる」
「……3人目欲しい」
「無理」
ちゃっかり寝室にイエス・ノー枕を配置したのに、ずっとノーのままにされている。
果たして、イエスが表になる夜が来るのだろうか。俺の年齢的にもそろそろ3人目仕込んでおきたいんだけどなあ。
と――そんなこんなで、あんまり構ってくれない家族ばかりだから、俺は今夜もベニータの店へマティアスとロビンを呼びつける。
ロビンが遅れて、すっかり俺とマティアスができあがりつつあるころにやって来ると、意外な連れを供にしていた。
「お父さん、いつもここで飲んでるの? 小遣いの前借りするくらいなら、もっと安いとこにすればいいのに」
「父さん、また酔っ払ってるんですか……?」
「ベニータ、俺、肉食いたい、肉っ! 金は親父が出すから」
わちゃわちゃと、ディー、クラウス、ラルフがロビンとともに入ってきていた。ここは大人の社交場だっていうのに、一気に学食のカフェテラスと化す。
「どうして、子ども達を連れてきたんだ、ロビン?」
「いやあ……お腹空いたからって、せがまれちゃって」
俺達の卓に座ったロビンがマティアスに責められている。親父としては、呑気に酒を飲んでバカ話をするところをクラウスに見られたくないらしい。こいつ、ほんとにそういうのは気にする。
「クラウス、ラルフ、俺どくから、お前らは親父どもと同じ卓行け。で、俺はディーのお隣……と」
カウンターの席へ3人横並びになっていたガキどもに声をかけ、ラルフを追い払ってディーの隣へ座る。折角、尻尾が隣にいたのにどかされたことが不服らしくディーがしかめっ面をしてくる。
「そんな顔してても可愛いな、ディー」
「はあああ……俺もあっちの卓――」
「あっち行ったら、払わねえ」
「……む」
「ん? 高っかいぞー、ここ。お前の小遣いじゃ、ひもじくなるぞー?」
「しょうがないなあ……。でも、それなら元取っちゃうから。ベニータ、俺、一番高いお料理ねっ!」
「はいはい……」
「一番高いの? それやりすぎじゃね? ベニータ、いくら?」
「内緒」
「怖っ」
果たして、今夜はいくら払わされるのか。つってもマティアスとロビンと割り勘だろうからいいけど。あいつらの方が俺より懐が潤ってるのが妙に癪だけど。俺、王様なのに。でも小遣い制だからしょうがないか。
「それで? お父さん、可愛い可愛い俺のラルフの居場所を奪って? どんな面白いお話をしたいんですかー?」
「むくれるなって。ほら、お前、帰ってきてからずぅーっと、魔法大学に通い詰めだろ? 何してんだよ? 教えてくれよ」
「えー? 言って分かる? 魔法の研究だよ? お父さん、穴あきでしょ?」
「いいから、いいから」
「ん-、魔法のさ、一次産業利用ってあるでしょ? 水不足の時に水をあげたりとか」
「うんうん」
「でもね? 魔法の水と、自然の水とで、農作物の生育にどういう違いが出るのかなーていう研究を始めてるの」
「ほおーん? 見解は?」
「自然の水の方がおいしい」
「何で?」
「それを研究するの。エンセーラムって熱帯気候だからさ、独自の食べものも多いでしょ? でも、この研究を通じて、農作物の環境を変えてあげることで、例えば寒い地方の作物を作ることができるのかー、とか、その味の違いも差があるのかとかさ。面白そうでしょ?」
「そんなら、是非とも昆布。これを育てられる環境が欲しいな」
「こんぶ?」
「海藻なんだけどよ、こいつがまたいーい味の出汁を出してくれるわけよ。この昆布出汁と、鰹出汁とかがもう黄金の組み合わせ。うまいんだな、これがまた」
「へえー」
「夢が広がる研究じゃねえの。どんだけ留年してもいいから、たっぷりやってくれよ、おい。可愛いだけじゃなくて天才だなんてな、鼻が高いぜ。あ、いや、元々、天才か。わっはっは!」
やはり俺のディーは天才で、天使だった。
研究するための準備やらで今は奔走してるそうだ。畑を用意して、魔法の水オンリーで育てる作物の選定をして、自然の水が入り込まないようにするための方法を考えるとか、まあ何かよく分からないけど色々とやるらしい。
誉め倒してやるとつらつらと語ってくれる。
そうしてついつい、酒を飲みまくって、あとでエノラに叱られたのは内緒の話である。
我が子はどうやら、学問の追究に目覚めたようだった。
しかし、話を聞く内、ちらほらと、エドさんがー、とか、エドさんのー、とか、そんな発言が混じっていた。
エドヴァルド・ブレイズフォードにディーが懐いたと気づいてしまったのは、翌朝だった。
ちょいと天使すぎるぜ、ディー。
ディオニスメリア王国の元騎士団長なんていう、あのジジイの心を開かせるに至るとは。しかしディーの天使力はきっと53万を超える。ならば、仕方がないことなんだろうか。否、あのジジイには関わらせまい。
二日酔いの頭でそう決めて、朝一番でディーを呼びつけようとしたが、また外出したと言われてしまった。
「どこ行ったかは分かってんのか?」
「それが、具体的な場所は……」
「は? シオン、お前としたことがどうして?」
「それが、エドさんのところへ行く……と仰られてレストに乗って」
どうしてそんなにあんの頑固ジジイに懐いたのか。
もしかして、生まれた時にすでにじいさんが逝ってたから、本能的にじいさんを求める気持ちが根底にあったというのだろうか。もしもこのまま、ディーがジジイフェチにでも目覚めてしまったらどうするべきか。
いや、もしも、万が一にも、ディーが戻ってこなかったら?
あんな雪深い中での隠遁生活を気に入っちゃって、ジジイとの2人での生活なんてものを気に入ってしまったら?
そうしたら、俺がよぼよぼジジイになるまではもう振り向いてくれないのではあるまいか。
「……ディィィィ――――――――――っ!!!」
およそ一ヶ月もの間、俺を悶々とさせてからひょっこりとディーはまた帰ってくるのだった。
そしてまた、うざがられた。
うざくたっていいじゃない。親なんだもの。れをん。