孤独はつらいよ?
「さて、と……。それじゃあエドさん、今日も手加減なしだよ!」
「その手加減は、わたしが加減する必要はないという意味か? お前が手加減をしないという意味であるならば、それは無用な宣言だが」
「むむむ……お年寄り扱いしてあげてるのに、素直じゃないんだから」
「口ではなく、体を動かせ」
「はいはい、それじゃあ、今日も全力で打ち負かすつもりでやりますよっ!」
黒短槍ニゲルコルヌを握り締め、エドさんを見据えて飛び出る。
距離を詰めて、エドさんの獲物の剣では届かない間合いから槍を繰り出す。剣の切っ先で軽くあしらわれるように捌かれる。持ち手を短くするように槍の竿を手の中で滑らせて握り直して捌かれた槍を戻しながらまた繰り出す。ニゲルコルヌはグラビマイトという素材でできている、超重量の槍だから、短く握ってさえいれば小手先の技だけで捌くのは難しくなる――はずだ。
だけどエドさんは、自らも一歩踏み込んで鍔に近いところで捌いてきた。相手もまた力を伝えやすい、根本に近いところでニゲルコルヌを受けることで対応をしてきた。
「おじいちゃんの癖して……!」
「年季の違いだ、小僧」
両手で握った剣で強引に槍を抑え込んで、そのまま俺の姿勢を崩して転がそうとしてくる。抵抗を試みたらすぐに外された。
「うわち……!?」
即座に剣が切り上げられて頬を僅かに切られる。重心が後ろに移りすぎて持ち直せない。
また負けた――と思ったら、コツンとおでこに柄尻がぶつかって仰向けに雪の上へ倒れてしまった。
「未熟」
「……強すぎます。どうして手加減してくれないの?」
「加減している。でなければ、その首、とうに転がっている」
「……ぐぬぬ」
「気は済んだろう。もう帰れ」
「でもエドさんの研究とか気になるし」
「……お前の父親、あれはお前をよく可愛がっていたようだな。見た目相応の年齢ではないというのに」
どうしていきなりお父さんの話?
首を捻りかけたら、まるで心の中を読んだかのようにエドさんは続けた。
「親にとって、子は宝だ。大事にされていることを自覚しているのならば、顔を見せて孝行することだ。
この研究が気になるというのであれば、国へ帰って自分で始めからやることだ」
「でもさあ、俺が帰っちゃったらエドさん、この寒いところでひとりぼっちで過ごすんでしょ? 寂しくない?」
「もう慣れきっていることだ」
「あ、じゃあエンセーラムに一緒に行く? あったかいし、いいとこだよ。お魚おいしいし」
「不要だ」
「魔法大学の先生になるとかは? エドさん、魔法も詳しいんでしょ? 偉いところは大体、顔パスでいけるから、俺から口利いて――」
「不要と言っている」
頑固だ。お年寄りってこういうものなんだろうか。
俺だったら絶対に寂しさで死んじゃうはずだというのに、どうして慣れきってるとか言えちゃうのか。
「……小僧。わたしは若いころより、自分の思うようにやってきた。
地位もあった。権力も強かった。何千の人員が己の配下であり、志を持って己が全てを捧げて責務を果たしたつもりだ。
責務という言葉に胡坐をかき、家庭というものを放棄した愚か者の末路であるのだ。
ゆえに、わたしはこれを運命と悟り、受け入れている。
孤独に見えるだろうが、これでもジジイになってからの方が人生というものを豊かに送っているつもりだ。食物などはただ体を維持するためだけのものであった。しかし今は、己が手で育て、己が手で獣を仕留めている。
大地に根を張り、生きる。土に塗れ、雪の冷たさに身を震わせること。
お前には意外かも知れぬが、充実した生を全うしている最中である。これで良いのだ」
ピンとはこない。正直、分からない。
だけどエドさんは本気で気に入っているか、自罰的にこの生活を受け入れているとは分かった。
「頑固だね、エドさん」
「……否定はせん」
「分かったよ」
「帰れ」
「でも、決めた。俺、ちょいちょい遊びに来てあげる」
「は?」
「だーってさあ、基本的にはね、そりゃ、俺って寂しがり屋だよ? 定期的に誰かにおんぶにだっこしてもらう勢いで甘やかしてもらわないと気が狂いそうになるし。
でも、ちょびっとだけ、他の人よりその傾向が強いってだけで、皆、一緒だと思うんだよね。
だから会いに来てあげる」
「……不要だ」
「またまたー、エドさんって素直じゃないとこあるって知ってるからね、俺。
たまーには俺も静かにのんびりしたい時ってあるし、ここなら丁度いいじゃない? だからそのついでに顔見せに来てあげる」
「いらん世話だ」
「大事にされてることを自覚するなら、孝行しなきゃいけないんでしょ?
エドさんにもお世話になったし、お礼だから気にしなくていいよ」
「……話の通じぬ……」
とうとうエドさんが額を押さえた。でも折れたってことだよね。言質取ったり。
何だか勝てた気がする。ふふーん、まあ、俺にとっちゃ何てことはないよね。
「そういうことだから、エドさん、一旦帰るけどちゃんとまた来るからね」
「……今度は、ここの雪が溶けた季節にこい」
「え? どうして季節指定?」
「ふらりとここへ来る、年寄り仲間がいる。あの男は雪を嫌って降り始める前にふらりと姿を消すが……萎れた老体を装う、脳みそだけ愉快な男だ。小僧がいれば喜ぶだろう」
何だかちょっと引っかかるところはあるけど、また来いよっていう意味にはちゃんと聞こえる。
「それじゃあ、足を呼びますか……」
レストの笛をくわえて思い切り吹く。音は聞こえない。けれどワイバーンはちゃんと反応をする高周波が発生されたはずだ。
「レストが来るまではまだまだいるからね!」
「……すぐには来ないのか……」
「何かちょっとがっかりしてない? 気のせいだよね?」
エドさんは答えてくれなかった。
まったくもう、年寄り扱いのしがいがないおじいちゃんなんだから。
良い子のレストは笛を吹いた翌夕にやって来た。でも夜に出発しても大変だからとエドさんを言い包め、出発はその翌朝にして、ついでにしばしのお別れのご馳走をせがんでみたら、意外にも応じてくれた。
鹿のお肉を鉄板でじっくりじっくりと弱い火で焼いて取り出して、鉄板にお酒を入れてアルコールを飛ばして煮詰めて、お野菜のスープで少し伸ばして味つけをしたソースを作ってくれた。
このソースにレストに括ったままだったスパイスを使って味を調えると絶品で、鹿肉のローストとよく合った。
「エドさん、これおいしいよ」
「とるに足らんデキだ……。舌もよく鍛えることだな」
「む、俺だっておいしいものはちゃんと食べてるし! イザークっていう宮廷の料理人がいるんだけど、エドさんよりかは若いけどもう年なのね。でもおいしいんだよ、すっごい!」
「……そうか」
「これもおいしいって言ったけど、けども、だよ。こうやってね、ろくな道具もない中でこしらえた環境ではとってもおいしいって話だから! そこのとこ、間違えないでよね」
「ならば、良い」
「……いいなら、いいけども。……エドさん、ナチュラルに人を見下してない? 直した方がいいと思うよ、そういうの!」
「……そうだな」
「あれ、素直」
「ジジイは頑固で何も変えられんとでも思っていたか?」
「……や、やだなー、もう、そんなこと……ちょびっと、しか?」
「……ふっ」
「何その笑いっ!」
「冷めん内に食え」
ここにきて茶目っ気を見せてくるとか、何このおじいちゃん。
もしかしてこれがお父さんが言ってたツンデレ? でもお父さん曰く、若い女の子特有のものだとか何とか言ってたよね。
「エドさんさあ……ほんとに、俺が帰っちゃって寂しくない?」
「ジジイになると、自然と友が増えるのだ」
「お友達?」
「老いによる体の衰えや、うまく声の出てこぬようになる喉、皮膚のしわ……それに、孤独も、友となる」
「……それは友達って言わないと思う」
「そう思わねば何ともやってはいられぬということだ」
「ふうん……。じゃ、俺がエドさんのお友達になってあげる」
「……そうか。人間の友というのは、人生で2人目だ」
「うわ、寂しっ! 今度来る時、俺の友達連れてきてあげようか? 強い人大好きで、尻尾振って何度も何度も挑んじゃうわんこ獣人とかねー、頭堅くて真面目で面倒見がいいやつとかいるよ」
「余計だ」
「またまた~。この前もちょっと話したと思うけど、俺の弟分みたいのがいてね、ラウフとクラウスっていうんだけど」
「そのクラウスという子のことを語れ」
「え、何で? おすすめはラルフだよ? 可愛いんだよ?」
「いいから語れ」
「あ、そう……。クラウスってね、もう、頭が堅いんだよね。真面目だし。責任感とか義務感とか、大好き。それで、今はもう俺よか背とか高くなっちゃってるんだけど、小さいころは大人しくってさ、素直で、従順で、純粋だったのに、どうしてああなっちゃったんだろ……?」
ひとしきりクラウスのことを喋りまくってからラルフの良さを語ろうと思ったのに、クラウスのことだけで夜はどんどん更けてしまった。
しかしどうして、クラウスのことだけ聞きたがったのか。うーん、謎。