行儀はわるいよ
「エンセーラム王国ってところから来たんだけどさ。
国立で、魔法を研究する養成機関があるのね、エンセーラム魔法大学って言って。
で、俺、そこに籍置いてるんだけど、あんまりさ……何か、研究したいものってなかったんだよね。
そもそも魔法大学に籍さえ置いとけばさ、無職ってわけにもならないし、遊んで暮らせる身分は保証されるかなーって思っただけでね。
だから意欲とかそういうのってなくて、でも周りの人は立派な魔法師になりたいとか、こんな研究をしたいなんて目標とかあって、何だか場違いだなーとか思ってたりしてたんだ。
でもエドさんの研究って面白いなって思った。考えたことなかったもん、魔法で生成した水と、天然の水とで育つ野菜の違いだなんて。
こんな辺鄙なとこに来たのは、その研究をしたかったから? それとも、こんな場所に来たから気がついて研究してるの?
そもそもエドさんって、魔法にもめっちゃくちゃ詳しいけど、魔法の関係で偉くなったりした人?」
ディーという小僧が勝手に居ついて、3日となる。
にも関わらず、この小僧は飽きもせずにこんな老いぼれへの興味を失わない。
かつて、これほどわたしにくっついてあれこれと詮索をしてきた者は、何かしらの見返りを求めている者のみだったが――そういった下心さえ、この少年からは感じられない。
レオは赤ん坊のころに拾って育てたから、わたしとのつきあい方に遠慮というものはなかった。
だが、この小僧はそれともまた異なる。育ての親代わりでもないジジイに、どうしてこう興味を抱き、愛想が良くもないジジイに、これほど好意的であるのか。
レオンハルトの態度の方がまだ、短期間での関わり合いとしては楽であった。
「いつまでここへいるつもりだ」
「気が済むまでだよ?」
邪見にしているにも関わらず、通じていないのか、けろっとして小僧は答える。
「……さっさと帰れ」
「まだまだいまーす!」
調子の良い小僧だった。
何が気に入ったのか、ずっと後をついて回ってくる。
レオも小さいころは何かと追いかけてきたことはあったが、その時のことを髣髴とさせられるほどだった。年を尋ねれば容姿よりもよほど年は上だったが、容姿よりさらに幼い言動に思えてしまうのはどういうことなのか。
よほど甘やかされて育ったのだろうというのは想像に易い。
小さかろうとも影響力を強めている国の王子という立場であるならば、誰よりも己を律し、その責務に向き合わねばならぬはずだというのに――まるで放棄してしまっている。
だが。
聞くところによればエンセーラムという国の王は飾りになりつつあるという。
政治は宰相に任せてその裁量に委ねてしまっている。そして着々と宰相には有能な人材をつけ、彼らの権力も強化をしていっている、と。
政治の形態から王位を外してしまうという構造に変革をしていっている。
ならばこそ――後継の王が政治を知らずとも構わぬという理屈なのかも知れぬ。そこに求められるのは、この小僧のような底抜けの人懐こさということなのか。
「稽古をつけてやる」
「え、それは後でもいいかな……」
「稽古をつけてやる」
「2回も言った!?」
未熟。未熟。未熟。
素養はあれど、素質はあれど、それだけ。
この青さを昔は無用と切り捨てていたことを思い出す。
誰であれ――それが自分であろうと、未熟であれば為せぬと、悪と断じた。力をつけること。強くなること。それが正義と信じていた。
だが、不思議なものである。
今はその青さが羨ましくも感じる。
「槍は手の延長上にある。手で行える全てを、槍で行えるようにせねばならない」
「いやあ、無理でしょう。槍でご飯は食べられないし、槍でペンは握れないもの」
「槍で食事はとれる。槍でペンは握れずとも、字を書き、絵を描くことはできる」
「えっ」
実践をしてやれば小僧は眉を下げ、弱ったような顔で降参した。
効果的ではあるがなかなか行われることのない修行法を試すこととなった。この修行をするには行儀の悪さが必ずつきまとうため、それらを学ぶ幼児期にするには慎重になりすぎてしまう上、それを過ぎれば人の目というものを気にして実行に移せないのが世の常であるためだ。
しかし小僧はこれらの問題をクリアできている。
このジジイの他に気にするべき人の目はなく、知っていても尚、省みずに行儀など最低限さえ守っておけば良いという態度を取り続けていたのである。
果たしてどれほど効果のある修行であるのか、興味深く見守ることにした。
初日。
スープに入れる具を切れと命じ、包丁を持とうとした手を叩いてやると思い出したように槍を持った。重さのせいでぷるぷると手を震わせていた。
2日目。
畑仕事を手伝うと言って農具を手にしようとした手を叩いてやると、げっそりした顔で槍を持ってそれで雪の被っている地面を掘り起こした。芋をかなり傷つけていた。
3日目。
狩りを教えてほしいと言うので連れて行ってやり、獲物を見つけた。自分でやると言って弓を所望したが、無言で目を見つめてやると苦々しい顔で槍を投げた。得物は逃し、その日のスープに肉は入れなかった。
4日目。
自然の水で育てた雪下キャベツと、魔法の水で育てた雪下キャベツの食べ比べをした。味わいの違いはやはりある。小僧にはどれがそうだと言わずに食べさせたが、やはり自然の水で育てた方をうまいと言った。
5日目。
そろそろ帰らないのかと尋ねると、もっと魔法の研究を見てみたいと抜かした。しかし人の研究テーマをそのままやるのは芸がないという。何か研究テーマを見つけたいなどと言うが、具体性はなかった。その場しのぎの発言であるかどうかは今後も注視せねば分からぬ。
6日目。
若いころの話をせがまれた。語るには苦い、今となっては誤りの多い日々のことを赤裸々に語るには年を取りすぎているのだと悟りはぐらかすことにした。すぐに察したのか、小僧は自分のことを話し始めた。レオンハルトはやはり甘やかしすぎている。孫の近況を聞けた。クラウスもまた、小僧と同じく魔法を研究する魔法大学なるところへ籍を置いているそうだ。ミシェーラの息子であれば優秀なはずであった。例えろくでなしの血が半分混じっていようと。
7日目。
槍は随分と手に馴染んだようだ。鍋を取れと言っても、上着を持ってこいと言っても、土を掘り起こせと言っても、芋の皮むきをしろと言っても、全て槍でそつなくこなした。日常動作における手の延長という感覚は馴染んだと見て良い。
8日目。
修行の成果を見るべく、久しぶりに稽古をつけてやった。槍の扱いは短期間にしては上達したように見えたが、それを自覚して調子に乗るので打ち据えておいてやった。戦いとは身体の頑強さのみではならず、技の冴えのみではならず、精神の調整のみではならず、この三位を一体として昇華させるべきであると説いた。口では理解できぬと言いたいのか居眠りをこいていたので、体に分からせてやった。
「うちのお父さん、小さいころ、漁師のおじいさんに育てられたんだって」
夕食を食べていたらおもむろに小僧はそんなことを言った。
そうか、と知らぬ体で返す。
「俺が生まれるちょっと前に亡くなっちゃったらしいから、顔も見たことないんだけどさ、よくお父さんから、そのおじいちゃんの話聞いてたんだ。
お父さんがね、そのおじいちゃんに拾われてからずっと育ててもらってたらしいんだけど、そこを出ていくことを決めたんだって。その時にね、すっごい猛反対はされなかったけど、すごーく行かせたくないって感じになったんだって。で、1年待てって言われて、その1年間はずっと忘れないだろうなってお父さん言ってた。
それまでおじいちゃんがお魚取ってきて、それでご飯食べてたのにね、お父さんの分は取ってくれなくなったから自分で取らなくちゃいけないとか、お父さん、穴空きで魔法も使えないのに料理用の火も出してくれないとか。それでお父さんも意地になって張り合ったんだけど、毎日笑ってたって言ってた。どっちの魚が大きいかとか、肩もみしてあげたら力が弱いって言われて逆にめりめりって肩に指突き立てられて悶絶したとか……。何か楽しかったんだって。
でもその1年後にね、いきなり、絶対に行かせない、行きたいなら倒して行けって、おじいちゃんと手合わせしなくちゃならなくなったって。お父さん、その時からおかしかったから、おじいちゃんのこと倒しちゃったらしいんだけど、ぼろぼろ泣いちゃったんだって。
あと1日でも、10日でも、半年でも、一緒にいたいって気持ちもあって、本当の親やおじいちゃんじゃなくても、大好きだったんだって改めて思い知った……みたいなこと言ってた気がする。
結局、お父さんが大人になってからあっさり再会して、それからは亡くなるまでずっと一緒みたいなもんだったらしいんだけどね」
チェスターなるレオンハルトの育ての親のことは調べさせて知っている。腕の良い漁師で、たまに現れる悪漢の類も遭遇すれば打ちのめす逞しい人物だったとも。銛突き漁が得意で、その銛を武器として振り回してレオンハルトが旅歩きをしていたという話も耳に入れている。
「その時にお父さんが銛をね、ぶん回してたんだって。だから長物っていうか、槍? これがお父さんも得意になっちゃったんだって。漁の道具なのに武器にしちゃうって不思議だよね……。もしもおじいちゃんが漁師じゃなくって、農家だったら、農具を振り回してたのかな? 鍬とか? ディオニスメリアにもいるか知らないけど、遊牧民だったらどうなってたんだろう? 牧草とかまとめるフォークとか振り回してたのかな……?」
「ディオニスメリアには土地を変えながら牧畜をする者はいない」
「そうなの? 物知りだね、やっぱり。ディオニスメリアの人だったんでしょ?」
「どうしてそう思う?」
「だって何か、お父さんと知り合いっぽい感じだったし? それにあのお父さんの態度、あんまりエドさんのこと良く思ってなかったよね? となると、因縁ってものを作りたくなくても作っちゃう、若いころだったのかなーって予想」
なかなかどうして、この小僧は目敏いところがある。
あるいは今のこの態度は全て、本性を隠すための演技ではないか。――いや、さすがにそれはないか。
「どう? 当たり? エドさんってナチュラルに偉そうだから……お仕事は、うーん……」
「……当てられたら、何でも1つ教えてやろう。だが、外れであれば帰れ」
「ええ? 他愛のないお話で帰れってどうなの?」
「答えは?」
「聞いちゃないし……。そうだなあ……」
顎に手を添え、じっと小僧が考え込む。ちらと顔を見てきた。うかがうような眼差しをじっと受ける。
「よし。答えは……騎士かな」
「…………」
「あっ、やっぱり撤回、今のなし! 偉い魔法関係の重職! これでどうだ!」
「……違う」
「ああーっ……違ったかあ……」
膝を叩いて大袈裟ではないかと思うほど小僧は悔しがる。
「それで答えは?」
「明日には帰れ」
外へ出て畑の様子を見る。
ここへ最初に小屋を建てた時は木々が生えていた。それを切り倒して家屋にし、切り株を引っこ抜いて地面を耕した。全て手作業でしていたのを見たランバートは「老人の暇潰しで骨を折っちゃ大変だ」と嘯いていた。
しかし手作業で全てをした。その流れで畑の世話も水を汲むことから探した。味の違いに気がついたこととて、ふらりとやってきたランバートの何となくうまい気がするという発言で初めて着目をしたものであった。
昔は全てを己の手中に握り、コントロールすることこそが肝要と考えていた。
しかし今、成り行きに身を任せて、自然の中に身を投じながら過ごす日々も悪くはないと感じている。もし、このような生活を若いころに送れていたら。妻子とともに過ごせていたら――。
そう夢想する己が耄碌したと感じるが、人の幸福というものはそれで良いのではないかと思える。
「ねえエドさん、冷えるよ? おじいちゃんなんだから、ダメでしょ? すぐ体壊しちゃうよ?」
暖かい手が、わたしの手を取った。目を向ければ小僧が手を握って見上げてきている。
何となく、小僧の頭に手を置く。青い髪を撫でると不思議そうな目になった。
「どうしたの?」
「いや……孫の代わりだ」
「孫いたのっ!?」
心優しい子だ。きっと、わたしが子に与えられなかったものを、この子はたっぷりと与えられたのだろう。
後悔ばかりの人生である。
だというのに、このささやかな時間はどうして与えられたのであろうか。




