レオンとダリウス
「リアン姉様と初めて会ったのは僕が14歳のころでした。
他の姉様や両親からお話は聞いていましたが、どうも愛情ゆえに誇張された現実味のないようなお話にしか聞こえなくって。実際にお会いするまではどんな方なんだろうって興味がありました」
「それで、どうだった?」
ダリウスが来て2日が経った。
エンセーラムの主要な4つの島を1つずつ巡って観光を楽しんでいる。昨日はトト島を僕が案内し、今日は自分でトウキビ島を見てきたらしい。
「お話に聞いていたほどではない、と言ってしまうと失礼かも知れませんけれど……でも僕としてはきちんと家族のように生活をしてみたかったと思いました。教わりたいこともたくさんありますし、特に剣なんて軽く手合わせをしていただきましたが、とても敵わないと思い知らされました。しかも今ではあのマレドミナ商会を興して、それをセシリー姉様にお譲りになってから一国の宰相にまでなられて……本当に、ご自分の身ひとつでどこまでも道を切り開かれ、ただ尊敬の一念のみです。あと、この魚のスープ、とてもおいしいですね」
真面目なお話から、すぐに全く違うことが出てくるのもどこかリアンっぽい。
レオンが作ってエンセーラムに広まった、甘塩スープをダリウスも気に入ったらしい。魚をショウユと砂糖とショウガのスープに漬け込んで煮込む料理で、下拵えをした丸ごとの小さな魚にちゃんと切れ目を入れるのがコツらしい。こうすると煮込んだ時に崩れないってレオンが言っていた。
「レオンが作ったんだ、これ」
「レオン? あ、エンセーラム王ですか?」
「うん。けっこうエンセーラムの食事にはレオンの影響が大きいと思うよ。マレドミナ商会のウドンも元々はレオンが考案したものだったし、このお酒もレオンがうるさく言いながら作ったやつ」
「ありがとうございます」
清酒を小さな杯に注ぎ、ダリウスへ差し出す。
匂いを嗅いでからダリウスが口に含み、飲み下すとぎゅっと目を瞑ってから開いた。
「初めて飲む酒です。エンセーラム王は何でもおできになるんですね。どんな人です?」
「どんな、って言われると……」
どう言えばいいのだろう。
王様にはなったけれど、僕からすれば友達だ。
小さかったころから変わらない豪放主義で、尻尾が大好きで、音楽も好きで、子煩悩で、自分にできないことは他人に丸投げして、面倒見が良いのか悪いのかたまに分からなくなって。
「どんな方ですか?」
「……会ってみる?」
とても僕からはちょっと言いづらくて、そう尋ね返した。
考えていた間に離乳食をすくった匙を止めていて、催促するように腕の中でラルフが動いた。口元に運んであげると素直に食べる。
「会えるのですか? 王に」
「明日は、多分、学校かな」
「学校?」
「ユーリエ島に学校があるんだよ。6歳から最低3年通わなきゃいけないことになってて。前は毎日教えてたけど最近はたまに教鞭を執ってる程度なんだ。行く?」
「……是非!」
ユーリエ学校では7日に一度は訪れていて勝手はよく知っているつもりだ。
少し前まではレオン、シルヴィア、ミリアム、シオンの4人だけで子ども達の面倒を見て勉強を教えていたけど、百国会議に前後して先生の数は全部で10人を超えるようになった。それでもまだ、これから学校に通う子どもの数は増えると見られているので人手が足りなくなるらしい。
「レオーン、いるー?」
学校の調理場に顔を出すとレオンが給食作りをしていた。毎日、給食を作っているご婦人達に混じって今日は魚をひたすら捌いているらしい。
「おう、ロビン。どうした?」
「お客さん、なんだけど」
「客ぅ? 別にいいけど、今、手え離せないんだよ。手伝ってくれよ」
「いいよ。――あ、ダリウス、待ってて?」
「……あの、何を?」
「学校で子ども達にはお昼ご飯を提供してるんだよ。その調理中」
「あそこにいらっしゃるのが、エンセーラム王……?」
「そうだけど――あ、まあ、そうだよね」
普通になりすぎていて今さら気がつくけど、王様が子ども達のご飯を作っているのは常識外れすぎるか。ほうけているダリウスに何と言えばいいかと思案していたら、包丁を持ったままレオンがこっちに歩いてきた。
「これが客?」
「っ……お初にお目にかかります。ディオニスメリア王国ソーウェル領領主、ダリウスと申します」
「ソーウェルっつうと、リアンの?」
「弟です」
「へえー、わざわざ遠いとこまで。……お前、包丁持てるか?」
「えっ?」
「今日、いつも手伝いにきてるおばちゃんが、子どもが熱出したってんで休んでんだよ」
言いながらレオンがダリウスの手首を掴んで調理場の中へ引きずり込み、大きな鍋の乗った竃の前に立たせた。
「ロビン、魚、三枚におろしといてくれ。んでもって、お前はこっちに来て包丁は怪しそうだから、この鍋を焦げないようにゆっくりぐるぐるとかき回しておけ。ほら、トウキビしゃぶってていいから。噛めば噛むだけ味出るからな」
手近にあったテーブルからカットされているサトウキビをひとつ取り、ダリウスの口にやや雑に突っ込んだ。
「さあ、じゃんじゃん作るぞ。ガキどもが腹空かせて待ってるからな」
「王様、ちょっとこれ味見してくれない?」
「あいよー」
取り残されたダリウスは困惑しつつ、手でサトウキビを持って歯を立て、首を傾げながらしゃぶって鍋をかきまぜ始めていた。僕も魚をおろし始めるとレオンが戻ってきて横に立つ。
「何しにきたんだ? あいつ」
「レオンがどんな人か気になってたみたいだから、会わせてあげようと思って」
「ほーん。あ、ロビン、それ身ぃ取りすぎだろ。ちゃんと残せって」
「ごめん」
三枚におろした魚の身はソテーにされた。
蒸らしあがったたくさんのご飯をオヒツという容れ物に移す。
献立は魚のソテーと、ミソスープ、それにトウフの上にスパイスで味つけしたひき肉を乗せたものとご飯だった。それと毎日出されているサトウキビに、今日はロンガンという皮を剥くと半透明の白いぷるぷるした果肉が出るフルーツも添えられる。
けっこう豪華な食事にダリウスは驚いていた。
学校に子どもを取られて仕事を手伝わせることができない、という親の意見に対抗するために食事で釣っているのだと説明すると感心していた。
給食作りを手伝ったから食べていけとレオンに言われて、初年教室で一緒にいただくことになる。初年教室にはフィリアが通っているからレオンはここで食べたいんだろう。けれど当のフィリアからレオンは距離を置かれてしまい、しょげながらも別の子ども達に囲まれていた。
そしてダリウスにも子ども達は興味津々なようで、リアンの弟と分かるとすぐさま囲われていた。距離感が近いせいか、子ども達に舐められているところのあるレオンに対し、リアンは国民からまっとうな尊敬を得ている。というか、親世代からの尊敬が多く、それが子どもに言い聞かせられているからだろう。
レオンは蔑ろにされているわけではないけれど、島の働く男性陣からすれば半分飲み友達のようなものだし、古株の国民からすれば一緒に島を開拓していった仲間のような扱いだから、何というか難しい感じだ。
「悪かったな、色々させて」
「いえ」
給食の後の時間にレオンは子ども達の遊びにつき合わされ、午後の授業が始まってから時間ができた。最早、レオンの私室になっている校長室にダリウスと3人で来た。最近、レオンがハマっている手作りのお茶が出てきた。あれこれ試しながら色々な葉っぱでお茶を作っているらしい。お茶請けは給食で余ったサトウキビ。
僕も同席はしているけれど、今さらゆっくりレオンと話すようなことも特にないからサトウキビを奥歯でかじりながら静かにしておく。この噛み応えはなかなか良くて、味わうよりもただただかじっていたくなる。
「んで、あー……小難しい話はできねえぞ?」
「いえ。それよりもお時間をいただけてありがとうございます」
「かしこまるなって。リアンみてえにバカ丁寧だな。やっぱ弟か」
レオンが立場に対して色んな人に馴れ馴れしすぎるような気もするけれど。
「僕はずっと生まれ故郷から出たことはありませんでした。それで今は、父がまだ元気な内に外を見てみたいという気持ちでここまで旅をしてきました」
「へえ。旅はいいよなあ。俺も気楽に風の吹くまま旅したいぜ……」
「初めてだったので最初は苦労しましたけれど……楽しい道程でした。けれど、この国へ来られたのが最大の収穫だったように思えます。ディオニスメリア国内を見て、ヴェッカースタームも少しだけ見て、このエンセーラムはまだ3日目ですが見させていただき、土地ごとに違う人々の営みを知りました。まだ若輩の身ではありますが、僕も父から……そして先祖から受け継いだ領地を、より良いものにしていこうと思えるようになりました」
「お、おう」
真面目なダリウスにレオンが少しやりづらくなっているのが分かる。
「リアン姉様がお帰りになられてから、僕も故郷へ帰ろうと思っています」
「なんだ、もっとゆっくりしてけよ」
「いえ、一応、すでに僕は領主ですので。ずっと留守にするわけにもいきません。多分、もうこうして海を渡るほど遠くまで行くようなことは二度とないんでしょうけれど……良い思い出ができました」
「そっか……。ちょっと参考までに、どういうとこが良かったかだけでも聞かせてくれないか? ディオニスメリアの貴族ども相手に観光商売に力入れてえんだけど」
「そうですね……。やはり風土の違いが大きくて、ここはとても暖かくて、それだけで気分が良いです。それに食事もとてもおいしくて。ずっとのんびりしていたいですが、いざのんびりするとなると……そういう場所が少ないように思えます」
「のんびり、か」
確かに観光にくる人はトト島の玄関港周辺を散策する程度しかやることはないかも知れない。
のんびり過ごす場所というのは案外、盲点だったのかも。
「よし、考えてみっか。ありがとよ」
「この程度しか僕には」
「いいんだって。明日からはどうするんだ?」
「このユーリエ島とベリル島をまだちゃんと見られていないので、自分の足で歩き回ってみようかと」
「あー、ベリル島は一般には入らせられないとこが多いんだよな……。悪いけど。原生林にゃあ魔物も多いし、それ以外なんて王宮か礼拝堂か迎賓館しかねえし」
言いながらレオンがお茶をすすり、サトウキビをかじった。
「お前、頭っていいか?」
「はい?」
「子どもらにさ、ディオニスメリアのこととか教えてやってくれねえか? 普段はリアンがやってるんだけど、出かけてるから穴埋めどうするかって考えてたんだけど……ほら、お前は現役領主なんだし。ソーウェル領の話でもかまわないから、ためになるような話とかしてくれねえ?」
謙遜して断ろうとしたダリウスを強引にレオンは丸め込んでしまった。




